3-7 もう、無理っす……

 本来、教会は神聖な場所であるはずで、静寂こそ相応しい。

 しかしこの教会の中は騒然としていた。神官たちがドタバタと走り回ったり、そこかしこで話し合ったりしている。事件でもあったのだろうか。

「司祭様が行方不明なってしまって……どうしたらよいものか」

 神官のひとりは不安に震えながら、俺たちに事情を打ち明けた。

 

 そのときチーカの大声が礼拝堂に響き渡った。

「あーっ!」

 釣られて振り返ると、一匹の黒猫がチーカの脇をすり抜け、走り去るのが見えた。口に何かを咥えている。

「財布をスられたっす!」

 何ぃ!?

「待てっ!」

 泥棒猫に待てと言ったところで待つはずもないのだが、俺は思わずそう叫ぶと、黒猫の後を追った。

 

 教会の裏口を出ると、そこは墓地だった。

 薄暗く霧が立ち込める中、見渡す限り墓石が並んでおり、かなりの規模がありそうだ。

 遠方にうっすらと、逃げていく黒猫の後ろ姿が見えた。


「なんすか、ここ。気味わるいっすね」

 チーカが両肩を反対側の手で擦りながら言った。若干びびっているようだ。なんだかんだでまだ子どもなのだな。

「幽霊が出るかもしれない。気をつけて進むのじゃ」

 我ながら意地の悪い返事だったが、案の定、チーカは足元をがくがくと震わせていた。

 

 墓地の奥に進むと霧はさらに濃くなり、視界も悪くなった。

 そろそろ何か出るのではと思った矢先、背後で複数の叫び声が上がった。

「ギャーッ!」「きゃーっ!」


 振り返るとナルが倒れていた。その上に黒い影のようなものが覆いかぶさっている。実体があるのかどうかもわからない朧気おぼろげなその存在は人のようにも見えたが、頭部は醜くゆがんだ骸骨だった。「カースドゴースト」と赤いネームタグが表示されている。

 

「ナル!」

「た、助け……」

 言い終わらぬうちにナルの肉体は枯れていき、薄い皮だけとなり、やがて白骨となった。

 同時にカースドゴーストも消えていく。

「いやぁあああ!」

 そのあまりにも悲惨な最後を見て、チーカとマイラが同時に悲鳴を上げた。

 俺は最後尾にいるはずのカリサの姿を探した。

 いない。

 足元を見ると、カリサの服を着た白骨が横たわっていた。

 さすがクールキャラ。悲鳴も上げずに死んだようだ。


「もう、無理っす……」

 チーカはガクガクと震えながら訴えた。そうしたいのはやまやまだが、これは明らかに強制イベントだ。クリアしなければストーリーは先に進まないし、町に戻ったところで同じことを繰り返すだけだ。


「マイラ、お主は神官じゃ。幽霊を撃退する魔法は使えんのか?」

 俺が聞くと、マイラはメインメニューを開いて自分のスキルを確認した。

「ディスペルという解呪魔法なら使えるみたいです」

 そんなん持ってるなら早く使えよバカ!

 マイラの場合、知っていながら意図的に使わなかった可能性もあるから始末に負えない。

 俺は心の中で罵っていると、マイラの背後から黒い影が忍び寄り、おもむろに覆いかぶさった。


「い、いやああっ! ……ディスペル!」


 マイラは反射的に解呪魔法を発動させた。

 彼女は緑色の光に包まれたが、彼女のヒットポイントはみるみる減っていった。

 ただ、その姿は白骨化しない。

 通常の戦闘で死ぬときと同じように、マイラは綺麗な体のまま光の粒となって四散した。

 ディスペルって、白骨化しなくなるだけかよ!

 一瞬期待した俺が愚かだった。


 これでついに生き残ったのは俺とチーカだけになってしまった。

 カーストゴーストとまともに戦っても勝ち目はない。ここは逃げまくるのが正解だ。

 

「チーカ、走るのじゃ!」

 チーカは頷くと全力で走り出した。恐怖に打ち勝つためか、目を閉じている。

 俺たちは息を切らしながら我武者羅がむしゃらに墓石の間を走り続けた。

 背後からカーストゴーストが追ってきているような寒気を感じてはいたが、振り返って確認する余裕は無かった。


 周囲の墓石の数が減ってきたなと感じながら走り続けていると、突如として周囲の霧が消失した。ゴーストの気配も無い。

 ――危険エリアを脱出したのだ。

 振り向くと、チーカは顔を伏せ、地面にペタリと座り込んでいた。


「どうかしたか?」

「……こわかった……す」


 俺が近寄りチーカの顔を見上げると、目からじわじわと涙が溢れていた。


「うえーん、怖かったっすー!」


 抑えこんでいた恐怖心から開放された反動なのだろう。チーカは思いっきり泣き始めた。これはヴァーチャルなゲームだし、本格的なホラーゲームと比べたらマイルドな演出だったのだが、この子にはまだ耐性が無かったのだろう。

「よく頑張ったの。もう大丈夫じゃ」

 俺が珍しくも優しい言葉を投げかけると、チーカはひっくひっくと泣きじゃくりながら俺をじっと見つめた。

「だっこしていい?」

 え?

 俺が返答にまごついていると、チーカは俺を抱き上げ、両腕でぎゅっと抱きしめてきた。

 頬を俺に擦り寄せながら、じっとしている。

 身動きできなくて辛いのだが、彼女の腕から逃げ出すのも残酷な気がしたので、俺はしばらく耐えていた。トクトクという彼女の心臓の鼓動が俺の体に伝わってくる。それが次第に落ち着き、通常の周期を取り戻すまで、もうしばらくの時間がかかった。これがアニマルセラピーというやつだろうか。――動物側として体験することになろうとは夢にも思わなかったが。


「さて。そろそろ行くっす!」

 チーカはようやく俺を開放すると、すっくと立ち上がった。足の震えも収まっている。いつもの彼女に戻ったようだ。こうでなければ俺としてもやりづらい。

「黒猫を追うのじゃ」

「うっす!」


 針葉樹に挟まれた小道を進んでいくと、やがて前方に巨石を組み合わせたモニュメントが見えてきた。その前に黒猫が座っていた。ネームタグには「アスパー」と表示されている。黒猫アスパーは、俺たちに気づくと前に数歩進み、盗んだ財布を地面に置いた。

 返すということなのだろう。この猫が財布を奪ったのは、俺たちをここへ誘うためだったらしい。

 チーカが財布を回収すると、アスパーは地下へと続く階段を降りていった。

 そこは地下牢のような場所で、奥には司祭らしき服を着た老人が囚われていた。

 アスパーは駆け寄ると、老人の頬をぺろぺろと舐めた。


 老人の名はゼイガル。やはり行方不明の司祭だった。

 猫神の守護が失われた原因を調査していたところ、王国の守備隊によって拉致されてしまったのだという。

 ゼイガルは衰弱した体を起こしながら、俺たちに助けを求めた。

 

「あの者たちは、深淵の谷で何かよからぬことを行っているようなのです」

 

 深淵の谷!

 それが俺たちの次の目標地だ。


 エデラの町まで瞬間移動するため、俺がメインメニューを開くと、チーカが「ちょっと待って」と俺を制した。


「なんじゃ?」

「えっと、あの……」

「?」

「さっきは、ありがと」


 恥ずかしそうにうつむく彼女の頬は赤く染まっていた。

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