婚約破棄をなかったことにする、たったひとつの冴えたやり方

杜野秋人

王宮主催の大夜会にて

「公爵令嬢スッチー!そなたとの婚約を、今この場にて破棄するっ!」


 王宮主催の、社交シーズンの終わりを飾る大夜会の会場。突然響きわたったその声に、談笑していた参加者の貴族たちは何事かと声のした方を一斉に振り向いた。


 そこには一組の男女が、互いに手を伸ばせば触れられるかどうかという位置で相対していた。

 一方は公爵家令嬢スッチー。いま一方はその婚約者であるユターカ王子である。


 公爵家令嬢は何を言われたか分からないといった様子で、小首を傾げている。


「聞こえなかったのならもう一度申し渡す!公爵令嬢スッチー!そなたとの婚約を、今この場にて破棄するっ!」


 最初の一声で辺りは談笑も止み、静寂に包まれている。だから王子のその声はよく響いた、のだが。


 公爵家令嬢はよく分からないといった様子で、右手の人差し指をピンと立てた。もう一度言ってほしいというジェスチャーだ。そしてそんなジェスチャーをされたものだから、王子は一歩前に出て、さらに大きな声を張り上げた。


「そなたとの婚約を、今この場にて破棄するっ!」


 ところが公爵家令嬢、自らも一歩近寄りながらもさらに指を立てるではないか。


「そなたとの婚約を、今この場にて破棄するっ!」


 スッ(人差し指を立てる)


「そ・な・た・との婚約を、今この場にて破棄するっ!」


 スッ(首を傾げつつ、人差し指を立てる)


「そーなーたーとの婚約をォ、今!この場にて!破・棄・すーるーっ!」


 スッ(耳をそばだてて、さらに人差し指を立てる)


「なんで聞こえへんのやお前!この距離やぞ!」


 たまらず王子が激高した。聞き返されるたびに互いに一歩ずつ歩み寄っていた両者は、もうすでに耳打ちができるほどの至近距離まで近付いていた。

 そんな距離で怒鳴られたら耳を押さえて「うるさい!」と怒鳴り返すのが当然の反応であり、いくら何でもこれで聞こえなければ難聴を疑われるレベルである。


「いえ、申し訳ありませんが今一度お願い致しますわ」


 さして申し訳なさそうでもなく、公爵家令嬢がそう言った。普通の声音で、だがすでに会場じゅうが静まり返っているため、その程度の声でも非常に明瞭に聞こえる。


「どこが聞こえんかったんや言うてみぃ」


 激高のあまり、王子はすっかりこの国の方言が出てしまっている。それまでこうした公の場では大陸共通語で澄ました喋り方をしていたのに台無しである。


「それが……『毛細血管のいっぱい詰まってるとこ、わーきー』という部分がよく聞こえなかっ」

「言うてへんわそんな事ひとっ言もォ!何をどう聞き間違えたらそうなるんじゃボケェ!」

「いえ、殿下は確かにそう仰いましたわ。さあ、もう一度お願い致します」


 そう断言してさらに一歩詰め寄る公爵家令嬢。そのつま先が、ちょうど王子のつま先を踏んづけた。


「オイ、足やめろ」

「あら、失礼」

「って言いながら脇つつくのやめろや!」

「あら、つい」

「ってなんでこの流れでアゴ触んねん!」

「お気に召しませんか」

「気に召す気に召さんの問題やないわい!ってだから足やめろや!」


 ツン(王子の脇を指でつつく)


「脇やめろ!」


 スルリ(王子の顎を撫でる)


「アゴやめろ!」


 興が乗ったのか、公爵家令嬢は目にも止まらぬ速さで足踏み、脇つつき、顎撫でを繰り返した。


「足やめろ脇やめろアゴやめろ、足やめろ脇やめろアゴやめろ、足やめろ脇やめろ、って乳首ドリルすな!」


 なんと公爵家令嬢、その三パターンに飽き足らず王子の胸をつついたではないか。それも手首のスナップを利かせてぐりっとねじ込むように。


「お前なんで服の上からそんなピンポイントで乳首当てれるんやお前ェ!」

「あら、では殿下の乳首はこのあたり」

「やから乳首ドリルすな!」


 ぐりっ。


「ドリルすな!」


 ぐりっ。


「ドリルすな!すな!すな!すな!すな!すな!すな!って足やめろ脇やめろアゴやめろ、乳首ドリル」


 流れるような淀みない動作で王子のつま先、脇、アゴを的確に連続ヒットさせる公爵家令嬢。その手指が水平に突き出されたのを見て取り、王子はここで乳首ドリルをやられると確信し、先に牽制で『乳首ドリルすな』と言おうとした。

 ところが公爵家令嬢、乳首に当たるか当たらないかのタイミングでスッと指を引いてしまったではないか。


「ってせんのかーい!」


 王子はたまらず絶叫した。


「ドリルせんのかい!すんのかと思たらせんのかい!すんのかいせんのかいすんのかいせんのかいどっちかハッキリ」


 ぐりっ。


「すんのかーい!」


 ここまで両者とも流れるように淀みない動きで、しかも王子は長ゼリフにも関わらず一切噛まなかった。さすがは長年の婚約者同士というべきか、息が合いすぎていて若干感動的ですらある。

 なので、見ていた夜会の参加者ギャラリーたちからは自然と拍手が沸き起こった。


「ってなんで拍手起きてんねん!なんの拍手やこれェ!あんたら関係ないやろ!」


 怒りのあまり王子はギャラリーにまで怒鳴り散らす。だが関係ないと言うのなら、そんな第三者の大勢いる場で婚約破棄など言い出した王子がそもそも悪いのだが。


 ぐりっ。


「そして乳首ドリルするんかーい!」




 結局このあと、報せを受けて慌ただしく会場に駆け込んできた国王と王妃によってユターカ王子は連れ出され、会場にいた参加者や使用人たちにはきつく箝口令が敷かれた。

 婚約破棄は有耶無耶になり、だが後日王家から公爵家へ慰謝料が支払われたとの噂が立ったところを見ると、結局は王子の有責で婚約は解消あるいは白紙になったようである。


 その夜に起こったことは、箝口令の成果もあって噂として広まることはなかった。だが翌年の同じ大夜会で、とある公爵家の子息とその婚約者である侯爵家令嬢が、王子と公爵家令嬢のあの伝説のコントをほぼ完璧に再現して見せて騒然となった。

 以来、社交シーズン終わりの大夜会では、必ず誰かがとっておきのネタを用意してきて披露するのが定番化したという。だが毎年参加している者たちはみな口を揃えてこう言うそうな。


「ユターカ殿下とスッチー公女のアレがもっとも完成度が高かった。できればもう一度見たいものだ」


 と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

婚約破棄をなかったことにする、たったひとつの冴えたやり方 杜野秋人 @AkihitoMorino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ