群青の姫と深紅の女王
桐山死貴
1.野心のポーン
クラシック音楽と女王の吸い上げる水タバコのボコボコという音色が耳障りに私の鼓膜を震わせる。
この真っ赤な密室は女王である彼女の独壇場だ。
私は常に負けたくない。
早くママの秘密が知りたい。
そんな私の苛立ち見透かすかのように、深紅の女王はほくそ笑みながら薄くなった紫煙をゆっくりと燻らせた。
彼女は左手に持ったナイトで絶望的な盤面に深い切り込みを刻み込んだ。
彼女の目元に輝くスパンコール入りの漆黒のヴェネチアンマスクは紫煙の中で不気味に瞬く。
「残念ね、お姫様。今日も私の勝ちよ。」
大理石の盤面は常に女王の手の上にある。
今日の対局も私の敗けだ―――――
姫路葵、十九歳。今を輝く新生若手女優。世間にそう呼ばれるようになるのにはだいぶ時間がかかった。
私にはママがいた。姫路青璃。二十年前をときめかせた伝説の女優。
ママは私を生んだ後すぐに二十六という若さで行方をくらました。
私はその後パパによって男手一人で育てられた。パパから輝かしいママの活躍ぶりを聞いて育った私は、物心ついた時には自然と女優を志すようになっていた。
来る日も来る日もレッスンに励みやっと世間に認めらる誇れるような役柄を任せてもらえるようになった。
しかしここまで日の光を浴びるようになったのはここ最近の事だ。
私は必ずトップになる。ママがそうであったように。
そんな純真無垢な若手女優としての多忙な日々を過ごしていた。
その日も主役ではないにしろ重要なキーキャラを演じた出演映画の試写会に参加した。
控室の中で談笑する個性豊かなの出演者の中でもひと際目に留まる美しい美少女がいる。秋葉恋青、十八歳。瑞々しい美貌と確かな演技力を持って現れた業界の期待の新人だ。
彼女に会う前から噂を小耳には挟んでいたが、所詮ぽっと出の若手女優。私が見劣りするなんてことは微塵も考えていなかった。
しかし、私の嫉妬から生まれた慢心は一瞬にして砕かれることとなった。
彼女と共演した撮影現場で私は度肝を抜かれた。
ハリのある感情的なセリフ、指先にまで役柄の個性を光らす演技力、年配の他の役者物怖じせず場面への意見を述べる情熱。彼女の実力は本物だった。
私も負けじと先輩女優としての矜持をもって撮影に臨んだが私が彼女に追い抜かれるのも時間の問題だった。
あんな女に負けるわけにはいかない、私には夢がある。
試写会も順調に進み、そろそろ締めに入る時間が近づいていた。
いかにも陽気そうな司会の男が声高らかに叫んだ。
「ハイ!本日の素晴らしい試写会ありがとうございました!最後に今回主演の中村悟さんに一言いただきたいと思います。」
司会の男は主演の大俳優、中村にマイクを手渡した。中村は堂々とした態度で今回の映画の出来を語った。しかし、その後に発せられた言葉に耳を疑った。
「今回特に素晴らしかった共演者は姫路恋青ちゃんです。いやぁ、私の俳優史上ここまで出来のいい女優は見たことがありません。ぜひこれからも彼女の活躍に期待したいものです。」
それを聞いた恋青は照れくさそうな表情を浮かべながら中村に一礼をし、会場は満場の拍手に包まれた。
嫉妬と焦りから狂いそうであったが私は女優。そんなぶしつけな態度をとることは許されない。
できる限りのの精一杯の作り笑いで彼女に拍手を送った。
期待と祝福に満ちた会場が目に刺さり、無意識に舞台裏に送った視線の先には、私のマネージャーの白田が黒服の男から何かを受け取っている姿であった。
試写会が終わり事務所に戻った後、白田が神妙な面持ちで話しかけてきた。
「葵ちゃんお疲れ様。今日の姿も綺麗だったわよ。」
しかしその瞳には何か私に隠し事をしているようであった。
「白田さん。さっき試写会の時に何か受け取っていたみたいだけど。どうかしたの?」
白田は驚くような顔を見せると困ったような顔で私に話した。
「やだ、見てたのね……女優には何でもお見通しかしら。実はそのことなんだけど……」
白田は私に真っ黒な手紙を手渡した。宛名は姫路葵。
しかし、その下の差出人の名前を見てぞわぞわと全身に鳥肌が立つのを感じた。
差出人の名前は母と同じ時代を生きた名女優、乙坂朱莉の名であったからだ。
私が恐怖を感じたのは名女優から手紙が来たことだけではなかった。
乙坂朱莉は母より先に自殺により命を落としているはずだった。
いや、誰かのいたずらに違いない。
死人から手紙が来ることなんてありえない。
しかし、長年この業界にいるベテランのマネージャーの白田がこんな単純ないたずらの手紙を私に渡すはずがない。
なにかわけがあるはずだ。
そんな動揺する私を横目に白田は口を開いた。
「ごめんなさい。でも葵ちゃんに渡してくれって手紙を私に私に渡してきたのは……乙坂朱莉さんの元マネージャーだったの。暫く姿を見ていなかったからかなり歳は召していたけど、あの顔は間違いなく朱音さんのマネージャーさんだったわ。とても真面目な人だったから変ないたずらをするような人じゃないはずなの。読むのがいやだったら捨ててしまっていいんだからね。」
一瞬の逡巡はあったが、私は震える手で手紙をちぎり開けると中から甘い香りのする便箋が一枚出てきた。便箋には女性的な端麗な字でこう綴られていた。
『葵ちゃん
急に驚かせてしまってごめんなさいね。あなたの目覚ましい活躍をいつも応援しているわ。ぜひ一度会ってお話がしたくってこの手紙をお送りしました。今夜十時ごろ事務所の前に迎えをよこします。気が向いたら私と会ってくださいな。マネージャーさんのご一緒でも構わなくてよ。お待ちしております。
朱音』
何か私の中で何か不吉なことが始まる予感がした。
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