隣のクラスのアイドル的存在の腹筋の話

幽八花あかね

青野さん

 彫刻みたいに綺麗だな、と思った。顔を見ていたわけじゃなくて、斜め横から、ちらりと覗いたお腹を見ていた。

 運動部の子かな、と思ったけれど、体操服をさっと脱いだ下に付けていたブラは、ベビーピンクのゆめかわいいデザインのもので。それはまるで勝負下着みたいに大人っぽくって繊細で。

 えっ? と思って顔を見れば、そこには隣のクラスのアイドルがいた。

「……なにか?」

 長いまつ毛に縁取られた瞳が、あのあおさんが、下着姿で私を見てる……!

「あっ、いえ、すみません! へ、ヘアゴム、落としちゃって、その辺にないかなって……」なんて、もちろん誤魔化しだった。嘘だ。「でも大丈夫です! 予備があるので!! はい!」

「そう? 見つけたら拾っとくね」

「ありがとうございます。お気遣いなく!」

 ラップタオルをするりと手際よく巻き、青野さんは水着へと着替えていく。早くしないとセンセイに怒られちゃうや、と私も慌てて支度を再開した。



 ――その、薄っすらと割れた美しい腹筋を見た日から、私は彼女のファンの一員になってしまった。事故みたいに起きた憧れの情だった。



 ***



 青野さんは、あんな可愛い顔をしていて〝タチ〟らしい……というのを、ちょっと前に聞いたことがある。女の子と女の子で恋人関係になる子も結構いる女子校だったからか、ソウイウ話はよく聞いた。

 私は男の子とも女の子とも付き合ったことはないけれど、たぶん、どっちとも付き合えると思う。どっちと付き合いたいのかは、まだわからない。

 みんなの話を聞くに、〝バイセク〟や〝パンセク〟ってやつなのかもしれないなって思う。それもよくわからない。もしかすると、そんな〝枠組み〟なんてどうでもいいとさえ思っているのかもしれない。

 ただ、私が今、付き合いたいと思っている相手は、女の子である。それだけは確かなことだった。

 青野さんのカノジョになれるなら、なりたいなっとはいつも願っている。ふわふわと。

「田中さん。これから委員会?」

「あっ、青野さん! はい! 委員会です!」

「がんばって」

「ありがとうございます!」

 私みたいなつまらない女の子にも、こうして話しかけてくれる、優しいところ。それは彼女の魅力のひとつだと思う。〝べつにふつうじゃん?〟って言う子もいるけれど、私が魅了だと思うなら、それでじゅうぶん。それは私が彼女を推す理由のひとつになれるんだから。

 この高嶺の花への想いを、ありきたりな恋らしくする、言い訳にできるんだから。



 ***



 ふわりとホワイトフローラルの良い匂い。ぴょこぴょこと揺れる、垂れ耳ウサギみたいなツインテール。

 そんな可愛らしいを集めたみたいな青野さんの肉体の美しさに、ある日、他の誰かさんも気づいてしまったらしい。それ自体は仕方ないことだと思う。そこまでなら私も受け容れられる。

 でも、問題は、その後だ。誰かさんが余計なことを聞いたのが聞こえた。聞いてしまった。

「青野さんって、なんで鍛えてるの?」

「――結婚したいひとがいるの」

「へ?」

 彼女以外、みんなアホみたいな顔をしていた。盗み聞きしていた私も含めて。みんな、みんな。

「好きな人がね、筋トレの趣味をもってるの。だから、私も近づきたくて、同じものを楽しみたくて、してるの」

「……へぇ」

 みんなにとって、失恋の瞬間だった、と思う。そんなの知らなかった。まったく知らなかった。

 青野さんに、うちら中等部一学年のアイドルに、好きなひとがいた。

 みんなをフった彼女の横顔は、憂いを帯びているように見えて。それが私たちのためなのか、想い人のためなのか、それはわからない。

「でも、あのひと、カノジョいるんだって」

 その青野さんの呟きに、喜ぶべきか悲しむべきかも、わからない。


 この恋心は、淡く、脆く、自覚しているより幼かった。



 ***



 中等部と高等部の共用自習室。なぜか青野さんに〝一緒に勉強しよ?〟と誘われて、私はそこにやってきた。もうじき一学期の期末試験があるからか、自習室には中等部生と高等部生がそこそこ居る。

「ねえ、田中さん。――ちゅー、しよっか」

「えっ」

 脈絡なく紡がれた誘いに、その言葉の意味に、私は遅ればせながら気づく。キスしてから、気づく。

 ――あ。あのひと、だったんだ。センパイだったんだ。

 青野さんの好きなひと。それは、きっと青野センパイ。私のしてる体育委員会のセンパイ。彼女の従姉妹である、高等部三年生のお姉さんだった。

 彼女が年下カノジョと一緒に自習室に来ようとしたタイミングで、青野さんは私の唇を奪った。自習室監督のセンセイにはバレないように、でも、青野センパイには見えるように。

 きっと、あのひとに見せつけるためのキスだった。でも、それでもいいやって思う。

 ――叶わない恋なら、せめて思い出が欲しかったもん。これで、いい。これでいいもん。

 青野さんのキスは、涙が出るほど、上手だった。

「私らも付き合おっか。田中さん」

「……うん」

 もう知ってる。これは当てつけみたいな交際なんだって。あのひとに見せつけるためのカノジョなんだって。八つ当たりなんだって。

 でも、それでよかった。しあわせだった。


 そうして、青野 こゆきは、私の初めてのカノジョになった。


 ひと夏の恋。



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隣のクラスのアイドル的存在の腹筋の話 幽八花あかね @yuyake-akane

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