その星があまりにも綺麗で

 018



「あれ、先輩?」



 帰り道。



 ボーッと繁華街の本屋で参考書を眺めていると、突然後ろから声をかけられた。振り返るとそこにいたのは、大人向けの星座の図鑑を手に持った星雲だった。



 彼女が持つと、随分とデカく見える。



「さっきぶり。奇遇だな、こんなところで会うなんて」

「まぁ、本が欲しかったらみんなここに来ますからね。先輩も、なにか買いに来たんですか?」

「あぁ、教科書の内容だけじゃ三角関数が理解出来なくてさ。何か、詳しく書いてある参考書が欲しかったんだよ」

「へぇ、やっぱり勉強熱心なんですね。偉いです」



 言って、星雲は幼く笑った。どうやら、個人的な事に踏み込んでくる気はないらしい。



「バカじゃなきゃ、本来は教科書で事足りるんだよ。こういう参考書の正体は、バカに勉強させる為のバッファだ」

「んもぅ、せっかく人が感心してるのに」

「す、素直に褒められると誤魔化したくなっちゃうから」



 そして、俺たちは本を買って外へ出た。夕方の風に、カレーの匂いがした。



「ところで、あんなに知ってるのにまだ星について勉強するんだな」

「まだまだ知らないことだらけです。むしろ、今は疑問が増えて一番楽しい時期ですよ」



 なるほど、その気持ちはとても良くわかる。



 ……あ、思わずラブみたいな事を。



「そうだ。先輩、一緒に星を見ましょう。私が教えてあげます。オーディオコメンタリーです」

「いや、いいよ。今日はそういう気分じゃないんだ」

「そういう気分じゃないから、星を見て気分を穏やかにするんです。先輩、顔色がいつもの三倍くらい暗いですよ」



 まさか、星雲にそんな指摘をされることになるとは思わなかった。噛んでないし、多分本気で心配してくれているのだろう。



 大人しく従ってみようか。



「分かったよ。一回解散して、深夜に集合でいいか?」

「ダメに決まってるじゃないですか。そんなに遅いと危ないです」



 そりゃそうだが、それでは提案と矛盾するではないか。



「じゃあ、どこで星を? この時間はまだ明るいぞ」

「ついてきてください、いいところを知ってるんです」



 案内されたのは、バスに乗って三駅の郊外にある科学博物館だった。確か、小学生の頃に社会科見学に来た記憶がある。

 みんなが恐竜の化石や体験コーナーに熱中する中で、俺は一人で人体模型と臓器のブースに根を生やしていたっけ。



 懐かしい。



「ここ! ここですよ! 先輩!」



 まるで、敵をなぎ倒して東へ東へ遠征するアレクサンドロス三世のように興奮する星雲は、俺の手を引っ張ってグングンと目的地へ向かっていった。



 最早、バスの中に図鑑を忘れてきたことにも気が付いていない。俺が回収してなければ、終わったあとに泣きを見ることになっていただろう。



「……プラネタリウム。へぇ、こんなところに」

「入りましょう。すいません! チケットください!」



 入場券を買って、開始5分前のプラネタリウムへ入った。座ると背もたれが深く倒れる椅子に座って、ゆっくりとその時を待つ。



「いいですか? まず、天球の頂点が北極星です。そこを起点にこぐま座があります。その右がおおぐま座です」

「お、おう」

「その先、北斗七星の向こう側にあるのがレグルスの獅子座です。レグルスは一等星の中では一番暗いんです。因みに、一番明るいシリウスのおおいぬ座はですね――」

「待て待て。まだ、始まってもいないじゃないか。お前には何が見えてるんだよ」

「……す、すいません。何度も来ているので、つい」



 それはつまり、ここに映し出される星の場所をすべて暗記しているという事なのではないだろうか。いやはや、ここまで極めていると感動すら覚える。



 やがて、ナレーションが流れてプラネタリウムが始まった。しかし、実際に星が見えてからの星雲は、オーディオコメンタリーとやらをすっかり忘れてしまったらしい。



 うっとりしながら、黙って星を見ている。時折、彼女が「ふわ……」と感嘆の声を漏らすのを聞いて、俺は不覚にも萌えを感じていた。



 そんなん、ズルいっつーの。



「先輩、どうでしたか? 星って凄いですよね?」



 星が沈み明るくなって、立ち上がるよりも先に星雲が言った。表情を見るに、未だ興奮冷めやらぬらしい。



「あぁ、気分も良くなったよ」

「ふふ、当然です。私も、落ち込んだ時はいつもここに来るんですよ」



 なるほど。暗いし静かだし人も少ないし、一人で落ち込むにはいい場所かもしれない。覚えておこう。



「でも、まだ元に戻ってないみたいですね。やっぱり、なんか悲しそうです」

「わ、悪い。ポーカーフェイスは得意だと思ってたんだけど」

「謝らなくてもいいですけど。でも、先輩」

「ん?」



 言って、星雲は先に立ち上がると俺の頭を二度撫でた。本当に、彼女にとってそうすることが当然と感じてしまうような仕草だった。



「辛い時は、言って下さいね」

「な、なんだよ。照れるからやめろよ」



 瞬間、何故か彼女の顔が赤く染まる。星雲は、脊髄反射で優しさを振りまいてしまう、ラブや切羽とも違うまた別の俺の正反対な性格をしてるようだった。



 なるほど、純粋も突き抜けるとここまで来るんだな。



「……はわわ! しゅ、すいません! いつも、いも、妹にやってるからつい!」

「それならそれで、最後まで姉さんでいてくれ」



 それから、俺は数少ないバスが到着するまで星雲の姉さんからお星さま講座を受けていた。

 傷は早いうちに処置したほうが治りが早いと言うが、失恋の傷も同じようなモノらしい。



 何故なら、その日の夜。俺は弓子姉さんのことを思い出しても、ほんの少ししか泣かないで済んだからだ。

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