第8話奴隷のヒビキ

 異世界に来て、キョウに出会うまでのボクの暮らしは、最悪のものだった。


  


 トラックに跳ねられて、それから知らない場所で目覚めて、ボクは激しく混乱した。


 


 病院か、とも思ったが、明らかに様子が違う。薄暗い室内はわずかに異臭がする。


 どこかで寝かされたボクは、体をぴくりとも動かせなかった。




「え……ここは……?」




 掠れた声で言ってから、気づく。声が不自然に高い。思えば、体の感じにも違和感がある。単に事故の後遺症というだけでは片づけきれない事態に、ボクは混乱した。


 


「能力簒奪スキルスティーラー様。勇者召喚への割り込み、成功しました! へへっ、今度の奴はどんな当たりですかね?」


「よし。早速見てみよう」




 男がボクの体に手をかざす。どこか虚空を見た男は、やがて声を荒げた。


 


「……おいなんだ、外れじゃねえか! 見た目はいいがコイツはとんだ外れスキルだ! 平凡なスキルのランクがどれだけ高くても意味がない! ダメダメ、こんなやつさっさと奴隷にしちまえ!」


「ちえっ、また外れですか。おい、この女運ぶぞ! いつもの奴隷商人のところまで持っていけ!」




 ……女。女と言ったか。それに奴隷商人とはいったい……?


 あまりにも現実離れした現実を受け入れられなかったボクはそのまま牢屋に連れていかれた。


 首輪をつけられて、疲労のままに眠りにつき、そして牢屋の中でもう一度目を覚まして、ようやくボクはようやく自分の身の上を知ることができた。




「だ、出してください! こんなの……こんなのおかしいです! ボクはそもそも日本という国から来て……奴隷なんかじゃなかったんですよ!」


「うるせえぞ!」


「……ッ」


 


 どん、と鉄格子が蹴られた。大きな音に身が竦む。


 ああ、これが女の子の気持ちか、と分からされてしまう。大男が大声を出すだけで怖いし、一方的な暴力の香りに体が強張ってしまう。


 そもそも体が小さい。手は頼りないほど小さくて、体は折れそうなほど細い。




「おい、飯だ。出ろ」




 牢の扉が開き、外に出される。どこかのテーブルに座らされたボクの前に差し出されたのは、パンの端切れだった。


 


「なにボサッとしてんだ! さっさと食え!」


「あっ……!」


 


 後頭部に衝撃。顔面がテーブルに叩きつけられる。


 男に頭を強く殴られたボクの目の前が一瞬真っ白になる。




「あ……チッ、性奴隷にするんだから顔面傷つけちゃまずかった。おい、早く食え」




 机に頭を叩きつけられた衝撃で落ちたパンの端切れを男が指さす。ボクはのろのろと立ち上がるとそれを手に取り、硬い食感に顔をゆがめながら食べた。






 


 


「……ボクはこれから、どうなるんだろう」




 牢屋の中でひとり呟く。他の奴隷たちの顔を見ると、誰もが暗い顔をしていた。ここにいたとしても、誰かに奴隷として買われたとしても、明るい未来が待っていないことだけは確かだった。




「……こんな時に、あいつがいればな」




 幼馴染のキョウ。明るくて、恐れ知らずの彼ならば、こんな状況をあっさりと壊してしまっただろう。そう言えば、あいつもトラックに跳ねられたんじゃないのか。無事だろうか。




「ああ、ひとりになるとすぐにネガティブになってしまうのは、ボクの悪い癖だな」




 独り言をつぶやいているのも、寂しいから。あのうざったいくらいに騒がしい友人がいないだけで、ボクはこんな弱い人間になってしまうのだ。




「……なんで、こんなことに」




 涙が静かに流れだす。たとえどれだけ辛くても泣かない。そう決めたはずなのに、今の体では、どれだけ歯を食いしばっても涙を我慢できないようだ。


 


 本当に、自分が嫌いになる。








 


「こ、この子だ……!」


「お気に召したかな? 最近入荷したばかりで、手つかずですよ。夜の世話にも使えるでしょう。少しばかり魔法も使えるという自己申告もあります」


「買おう。いくらだ?」




 眠っているのか眠っていないのか。絶望に無気力になる生活を三日ほど過ごした頃、こんな声が耳に入ってきた。


 声の主がどんな人間なのか見るのが怖くて、ボクはうつむいた。この生活になってから、ボクは下を向いてばかりの気がする。




「おら、お前の買い手が決まったぞ! さっさと出ろ!」


「っ……」




 ついに、この日が来たか。奴隷商人の話では、ボクは性奴隷として売り出されるらしい。男とそういう行為をしている自分を想像すると、嫌悪感で吐きそうだった。


 


 しかし、どれだけ嫌がっても奴隷商人の言うことには逆らえない。ボクに着けられた首輪、隷属の首輪は主の言うことを聞かないと着用者に激しい痛みを与えるようになっている。あの痛みは、できれば二度と味わいたくはない。


 


 


 ボクを買った男の後ろについて、街を歩く。


 


「なあ、そんなに落ち込むなよ。俺そんなに虐待とかしないから。むしろ丁重に扱うから」


「……はい」


 


 男の声が聞こえても、今から訪れるだろう苦痛で頭がいっぱいなボクは、顔を上げることすらできなかった。男の宿に行って、ベッドに座らせるまで、それは一緒だった。


 怖くてフードから顔を上げられない。奴隷になる前のボクなら、こんなにおびえることはなかっただろう。けれどもたったの数日で、ボクは分からされてしまったのだ。


 


 このちっぽけな体は、男に抵抗できない。大きな手が体に触れればそれだけで震えてしまう。たとえ首輪がなかったとしても、もはやボクは男に抵抗できなかっただろう。




「だー! しゃらくさい!」




 けれども。


 フードをめくられたボクの目に映ったのは、あまりにも見覚えのある顔だった。彼が、驚愕の表情でつぶやく。




「……ヒビキ?」




 ――キョウは、こんなボクでもボクと分かってくれるのか。


 女になった自分の姿が、ボクは嫌いだった。小さな手。細い体。弱い心。


 けれどもキョウは、ボクをボクだと認識してくれた。


 衝撃に胸が熱くなる。涙が溢れそうになる。この世界に来て、初めて嬉しいという感情を覚える。




「キョウ……!」




 それから思わず泣きだしてしまったのは……まあ、この体のせいということにしておこう。元々ボクのメンタルはこんなに弱くなかった……はずだ。




 落ち着いたので、眼鏡を取り出してつける。地面に頭を打ち付けた際にひびが入ってしまったので、ずっとポケットにしまっておいたものだ。


 この世界に来ても唯一同じだったもの。これをつけているだけで、不思議と気分が落ち着いてくるのを感じた。


 


 信じがたいことにキョウは本当に異世界に来てしまってからもハーレムを作ると息巻いているらしい。呆れて、そしてどこまでも彼らしい様子に安堵する。


 ああ、やっぱりコイツはボクがいないとダメだ。危なっかしくて、とてもこの世界を生き抜けるようには見えない。


 


 そういう風に言い訳して、ボクは彼についていくことを決めた。




 ……本当は、ボクが彼と離れたくなかっただけかもしれない。


 何も分からない世界で、ただ一人のよく知った人。ボクを救ってくれた人。


 いつもはどうしようもない奴のくせに、こちらが本当に困っている時には手を差し伸べてくれるのはいっそズルいと言えるほどだ。




 だからせめて、少ないながらも恩を返そう。この世界でも、あの世界でもボクを救ってくれたお前が、自分勝手な夢をかなえる手助けくらいはしてやる。




 彼と再会した時の胸の高鳴りを、ボクは気づかないふりをした。それは、友達に向けるにはあまりに不自然な感情だったからだ。

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