第2話幼馴染
「キョウ……本当に、キョウなのか……?」
見知らぬ顔をした少女は、ひどく懐かしい感じのする声で俺の名前を呼んだ。小学生の頃から聞いていた声。たとえ性別も見た目も声質も変わっても、分からないはずがない。
「……ああ。本当にヒビキでいいのか?」
少女の外見の中でヒビキ、と呼べる要素は、せいぜいが瞳だけだった。柔らかい体も、整った顔も、彼のもとは全く違う。
強い意志を灯して、けれども冷徹な光を灯す瞳だけが、彼女を彼であると確信させる要素だった。
「ああ……ボクは、ボクはたしかにお前の知るヒビキだ……! あ、うあ……」
途端、ヒビキの強い意志を灯した瞳に雫が溢れ出した。頬を赤らめ、感極まったように涙が溢れ出す。
長く一緒にいて初めて見るカレの泣き顔に、俺は動揺する。そもそも、女の子の泣き顔なんて慣れていないのだ。
「お、おい、ヒビキ……」
「ち、ちが……こんなの、ボクじゃない……これは、これはボクの女の体が勝手に……」
ぽろぽろとこぼれ出る涙に、俺はどうすればいいのか分からずオロオロする。
彼は強い人間だった。いつも冷静で、自分の意思はハッキリと伝える。そういう男だった。
迷ったすえにせめて、とカレの肩に手をのせる。柔らかい感触が返ってくる。
「まあ、なんだ。こんな時くらい泣けよ。強がる必要なんてない」
俺の言葉にゆっくりと頷いたヒビキ。カレは、俺の手をそれをどけるでもなく、掴むでもなく、ただ静かに泣き続けた。
「う、ああ、あああああああ!」
宿屋にヒビキの泣き声が響く。カレが今まで味わった様々な苦労や苦痛を吐き出すような、長い長い泣き声だった。
目元が真っ赤になった頃、ヒビキはようやく泣くのをやめた。
「ッ……あんな見るな……殴るぞ」
「お、おう」
ぶっきらぼうに俺に言ったカレは、少し照れているようだった。泣き終わった後でもちょっと頬が赤いし、目が合わない。
少しだけ、胸がドキドキする。
カレの顔が直視できずに視線を下に向けると、今度は大きな胸に目が吸い付いてしまう。クッ、相手はヒビキだ……!
「……でも、ありがとな。キョウ」
ヒビキは懐に手をやると、見覚えのある眼鏡を取り出した。長年愛用していたそれには、小さなひびが入っている。
それをつけると、カレの表情はだいぶ和らいだ。冷静で、色んな物事を見て考えている。いつものカレの顔だ。
「キョウ。お前は正当な手順でここに召喚され、勇者としての使命を言い伝えられた。間違いないか?」
「……ああ」
先ほどの泣き顔から一転、冷静な顔になったヒビキの問いかけに俺は答える。
やっぱり、こんな顔をしている方がヒビキらしいとも思えた。こっちの方が落ち着く。昔からずっと見ていた彼の顔だ。
「ボクも同じく、勇者として召喚された……はずだった」
「はずだった?」
本当に勇者として召喚されたのなら、奴隷なんてやってないはずだが。俺みたいに召喚師たちに歓迎されているはずじゃないか?
「召喚になんらかの不備があったらしい。いや、あの男が妨害したっていう方が正しいのか? 神ってのも万能じゃないんだな。おかげでボクは犯罪者集団の元に召喚、さらには肉体の性別まで変わっている始末だ。まったく、勇者召喚が聞いてあきれる。これじゃあ異世界から奴隷を取り寄せているようなものだ」
眼鏡をわずかに上げるヒビキ。レンズが反射して、カレの目が見えなくなる。
「それでキョウ。お前は奴隷の命令権、どうするつもりなんだ?」
コツコツ、とヒビキが自らの首輪を指で叩く。奴隷商の説明によれば、それは奴隷に自分の言うことを聞かせる道具らしい。命令に従わない奴隷には、首輪を通じて痛みが与えられる。
「ああ、そういえばそんなのあったな。……いらねえよ」
首輪に手をやる。俺の手が近づくと、ヒビキは少し体を強張らせた。
首輪に手を添え念を籠めると、あっさりと首輪は壊れさった。
ヒビキが目を見開く。
「ッ……よかったのか?」
「何馬鹿なこと言ってんだよ。幼馴染を奴隷にしたいやつなんていないだろ」
「でもお前は、異世界転生してハーレム作りたいってずっと言ってただろ? 今のボクは女なんだし、都合がいいんじゃないのか?」
頭の回るヒビキらしからぬ馬鹿な物言いに少し腹が立つ。
たしかに俺は奴隷を買おうとした。けれどそれは、首輪で無理やり言うことを聞かせるようなことを望んでいたわけじゃない。
奴隷を買ったのは、自分に黙って従ってくれる都合の良い相手が欲しかったわけではないのだ。
それに、相手はヒビキだ。
「いいか、俺が欲しいのは美少女ハーレムなんだよ! 中身男のTSっ娘なんてハーレムにはいらん!」
自惚れるな。どれだけお前の顔がよかろうとも対象外だ。
誰が男友達をハーレムメンバーに加えようとするのか。
「ヒビキ! せっかくだからお前には、俺がハーレム作るのを手伝ってもらうぞ!」
呆然としたような、どこか安心したような顔を見せるカレ。
その顔はたしかに女の子のそれで、俺はようやく幼馴染が女になってしまったということを実感した。
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