第十話『史上最凶の怨霊に会いに行く』(前編)
食事中に見せないで欲しい。いきなりドレモン先輩が例の死体専門誌を見せてきた。据え置きの古いものではなく、最新号だという。カラーグラビアが充実して嫌な気分になるのは、この雑誌くらいだろう。
「日本だとオカルト系の月刊誌ってあるじゃん。有名なやつ。で、この国なら凄いのがありそうだと思って探したけど、見付からなかった」
雑誌を買いに中心部にある大きな書店まで行ったのだそうだ。それっぽい雰囲気の月刊誌はあったが、劇画タッチの下手なイラストと文字だけで、お目当ての心霊写真は一枚も掲載されていなかったと
「カメラを持っている人の比率が少ない為じゃないでしょうか」
係長が独自の見解を述べた。俺は合点し、相槌を打った。この街の人々はみんなお化けの話が大好きだ。ピーと呼ばれる精霊はどこにでも居て、災いが降り掛かってくることもある。話のタネになる心霊写真が豊富にあってもいいはずだ。
「本気で怖がるのかも知れないな。自慢して人に見せるようなものじゃないのかも。雑誌の編集部やテレビ局に送ったりしないで、速攻、お寺で祓って貰ったりするんじゃないか」
ドレモン先輩の推理は良い線いっていた。南京飯店の女主人サワニーに聞くと、もし自分だったらそんな縁起の悪い写真は持っていたくはなく、祓い屋に頼んで処分してしまうと話す。
そんな会話をした翌日、係長がまた日帰りツアーに誘ってきた。
「誰でも知ってる有名すぎる怪談があるんです。その舞台が都心の東にあって、所縁のお寺も残っているんだそうです」
得意のバスマップを持ち出して話す。前に川向こうの死体博物館に行った際は路線図に記されたバスが存在しなかったが、係長は今度こそミスはないと大小判を押す。
有名な怪談は実話で、舞台は郊外の村とのことだが、地図で見るとそう遠くはない。中央駅前の大通りを東に進むだけだ。加えて目的地に向かうバスは三系統もある。係長は熱心に誘った。
「これ今日中に着くのかな…」
バスに乗り込んでから、係長が強引に誘った理由が分かった。ひどい渋滞である。一ミリも進まない。それが十五分くらい続き、ほんの少し前進して再び停まるのだ。独りで乗ったのなら、イライラして途中で飛び降りたに違いない。
「もうちょっとの辛抱です。この先の大きな交差点を越えればスムーズに走り出します」
こっそり試乗したらしい。いったん停止すると運転手はエンジンを止める。周りの車も同じだ。三車線の大通りに多量の車が
「百二十年とか、そのくらい前に実際に起きた話です」
渋滞につかまる間、係長は怪談の本筋を聞かせてくれた。思ったより、ドラマチックで長い話だ。さらに後日譚と外伝と定評まで聞く時間があった。
怪談のタイトルは「メーナーク・パッカノン」という。ナークが人名で、悲劇のヒロイン。パッカノンは地名で当時は田園が広がる小さな村だった。メーナークで、ナークさんかナーク夫人といった意味になるそうだ。
夫が兵役で出征した時、ナークさんは妊娠していた。村の誰もが羨む美男美女の新婚カップル。やがて妻は臨月を迎えたが、夫はまだ復員しない。難産で、ナークさんはお腹の子と共に命を失ってしまった。昔は度々あったという
「夫は暫くして還ってきたのですが、村人は可哀相に思って奥さんが亡くなったことを告げませんでした」
夫が家に戻ると、ナークさんは以前と変わらぬ美しい姿でそこに居て、新婚当時と同じごく普通の生活が始まった。いや、普通ではない。妻は朝早く出掛け、日没後に帰宅する。それでも夫は、働き者だと感心するばかりだった。
「奥さんが怪異だと知るシーンは色々なバージョンがあるのですが、ある夜、ナークさんは調理器具を手から落としてしまいます。ころころと転がっていったのです。夫は微笑ましく見ていましたが、次の瞬間、妻の手がにゅーと長く伸びて、落とした物を拾い上げたのです」
不気味に長く伸びるのは、ろくろっ首。こっそり覗いて正体を知るシーンは鶴の恩返しに似ている。
「夫は悲鳴をあげ、お前は何者だと罵りました。その時を境に、ナークさんは凶暴な怨霊と化したのです」
大きな交差点を過ぎると、それまでの渋滞が嘘だったかのようにバスは走り出した。目的地の寸前で再びエンジンが切られたが、十分前後の停止は渋滞に巻き込まれたと言えない。俺と係長はバスを降り、ローカル色の濃い通りを進む。
「見えてきました。あれが、さっき言った寺です」
夫は家を飛び出し、近くの寺に逃げ込んだ。寺には絶対的な結界があって、怨霊の類いは入って来られない。明確な結界の概念があるのか詳しく分からないが、その辺はこの国の仏教徒にとっては常識の範囲内だ。悪いものを近寄せたりもしない。
(後編に続きます)
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