第四話『童子の霊が買える寺』(前編)

 この街にはアイドルが存在する。俺たちのアイドルだ。天使と言い換えると若干語弊がある。小悪魔的という表現は実態不明で、取り留めがないけれど、そちらの方が妥当に思える。


 少し風呂敷を広げすぎた。この街といっても、俺たちが暮らす安宿周辺の話だ。局地的なエリアでやたらに有名なアイドルである。彼女の名はヌイ。幼い顔立ちで、十代半ばから後半に見えたが、実年齢とかなりの誤差があった。


 ヌイが日本に行ったのは五年前だという。この安宿街に暮らしていた男と一緒に日本へ行った。旅行ではなく結婚したのだ。妻として永住するつもりで旅立ったらしい。当時、十五歳前後であったことは絶対にない。噂によるとめとられたのは二十歳ぐらいの時分で、そこから計算すると今は二十五歳程度だ。


「ダイジョウブ」「ケチ」「アホンダラ」


 日本語も達者だ。品の悪い言葉も多く、夫になった男の素性が窺い知れる。ただ日本滞在は一箇月未満で、とっとと独りで帰ってきたそうだ。嫁入り先は雪深い僻地で、和食も口に合わなかったらしい。


 難解な日本語も実は理解できる、と指摘する者もいる。わざと知らない振りをして、日本人同士の会話に聞き耳を立て、その日本人の懐具合を確かめているというのだ。果たして、どうなのか…俺が知っているヌイはいつも底抜けに明るく、狡賢ずるがしこそうには見えない。


「アナタ、ココ、イツキタ?」


 初めて会った時、ヌイは小猿を連れていた。インパクト抜群の登場の仕方である。屋台に一人で座っていたところ、相席してきたのだ。この国の屋台では珍しいことではない。


 普通は小猿に目が行くものだろう。最初は確かにそうだったのだが、俺はヌイに惹き付けられた。細面の美人だ。髪型も洗練されていて、飯屋の田舎娘とはまったく違う。ストライクゾーンである。


 ただし、連れの男がいた。後でドレモン先輩に聞いて分かったことだが、その男が現在ヌイを囲っているのだという。ホテルで一緒に暮らしているらしい。連れの中年男は、毒蝮どくまむしと呼ばれていた。芸能人由来の渾名である。


「昨日の晩も、気になってちょいちょい覗いてみたんだが、何も見えかなったなあ」


 近くの公園に子供の幽霊が出るのだという。ちょっと前に、俺はドレモンからその噂を聞いていた。近くの公園といっても、離れているわけでななく、いま俺が飯を食っている屋台の目の前だ。毒蝮の発言を受け、俺は公園のほうを眺めた。


 夜間は無人の公園だ。正式名称ではないようだが、そこは六月四日ロータリーの真ん中にあることから、六四公園と呼ばれていた。俺の泊まる一品香旅社イーピンシャンりょしゃからも近く、宿前の通りをちょっと進むと直ぐロータリーに突き当たる。


 ドレモン先輩や毒蝮が根城にするジューン・ホテルも、この古いロータリーに因んだものである。そのホテルは入り口がロータリーに面していて、一部の部屋からは公園が見渡せる。


「夜中に迷い込んだ近所のガキじゃないのか」


 毒蝮は信じていないようだった。お化け嫌いで、信じたくないのかも知れないが、あの公園は夜中に子供が迷い込むような場所ではない。日没後は鉄門の鍵が閉められ、誰も入れないようになっているのだ。


 六四公園はその昔、ジャンキーと浮浪者の溜まり場になっていた。やばい連中が徘徊していただけではなく、麻薬密売のマーケットとしても名を馳せ、喧嘩や刃傷沙汰が絶えなかったという。当然、周辺の治安も悪化した。 


 今でも俺らの安宿が集中する辺りは魔窟の雰囲気たっぷりなのに、以前はもっとダークな世界だったというのだ。想像するだけでも恐ろしい。悪い評判は、チャイナ・タウン全体にも影響を与えた。暗黒街のイメージが広がってしまった。


「でも、あそこは夜閉まってますよね。子供どころか、不良が入り込んでいるのも見たことないし…」


 俺がそう言うと、毒蝮は困った顔をした。悪い人ではないようだ。初対面だったのに、ヌイという美人を連れているだけで、嫉妬心から攻撃的になってしまった。ここは反省したい。


「ああ、門は閉まってるな。だけど夕方に人払いをしているのも、誰かが鍵を閉めに来る姿も見たことがない。不思議な感じの公園ではあるな」


 幽霊話はそれ以上進まなかった。ヌイは二人の日本語の会話をそっと聞いたのだろうか。食べかけの唐揚げを小猿の口に運んだりするのに忙しく、関心があるようには見えなかった。


(後編に続きます)

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