2.片想い

朱家の屋敷に着いてすぐに通されたされたのは、池を見渡す離れの部屋。

入るなり目に飛び込んできたのは、薄衣を一枚羽織っただけで力なく長椅子に横たわる、諧さまのお姿だった。


「わ、若君っ!」


思わず声を上げて走り寄ると、彼はゆっくりと起きあがって、困った顔をしてみせた。


「…悪いね、清花。呼び立ててしまって」

「いいえ、それよりお加減は…」


長椅子の脇にひざをついて顔色をうかがう私に、諧さまが口元だけで微笑んだ。


「無様な姿を晒してしまったね…。今回の相手は少し、分が悪くてね。診てもらえるかな」


病人のようなかすれた声。

ここまで弱った諧さまの姿を、私は今まで見たことがない。

沈痛さがただよう横顔に、胸が締め付けられる。


「では、お手を―」


差し出された手首を、両手で挟むように触れる。

目を閉じて、彼の心臓が打つ鼓動を、全身を耳にして聞き入る。


―あぁ、逞しい…。

肌はこんなに冷えているのに、指先に伝わるのは猛々しく流れる、熱い血潮。

力強い脈はこの身体に宿る『朱雀』の、高潔な精神そのもの。

常人の持たざる覇気に当てられて、指先で触れているだけなのに意識が吸い込まれそうになる。


「…っ」


流されちゃダメ。

早く、見つけないと。

この御身に打ち込まれた害は、どこにある―?

はらに力を込め、集中して全身の脈を読み解いてゆく。

血潮の波に乗り、意識を全身に通わせる。

真っ赤に染まった視界に、突然、バチンと火花が散った。


「痛っ!」

「清花っ?!」

「きゃっ!」


思わずのけぞった私を、諧さまが咄嗟に引き寄せたせいで、私はそのまま彼に抱きつく格好になった。


「あっ!…も、申し訳ありませんっ!」

「いや、大丈夫か?」

「は、い…」


顔が近い。

茶色の目が、すぐそこで私を見てる。

すべてを映す鏡のような瞳が、私の輪郭をなぞった。

―息が、上手くできない。

この距離、心臓に悪い。


「あの、ありました…」


恥ずかしさにうつむいたまま、火花に触れた場所を指で指し示す。

諧さまの、ちょうど肩の上あたり。そこに実体は無いけれど、鋭い刃を持つ『害』の気配が立っていた。


「お背中に、短剣の形をした『害』が刺されています…」


こんなにはっきりした濃い『害』は、珍しい。

術は使い手の能力を如実に現す。

この害を放った相手はきっと、この国でも名うての術士だろう。


「短剣、か…」


諧様はつぶやくと、キュッと唇をかんだ。

どうやら相手に、心当たりがあるみたい。


術にはそれぞれ個性がある。

害の形を知られる事は命取りになるから、本来ならば術士も慎重になるはず。

ここまではっきりした形で害を遣わせたら、相手に身元を知られるリスクがある。

今回の相手はそれも計算の上での、攻撃みたい。


「…たちの悪い相手だな。ここで害を返したら、清花にも迷惑をかけることになる。すまないが『花』を頼めるかい」

「はい。少々御身に触れること、お許しくださいませ」

「あぁ」


諧さまが羽織っていた衣を肩から抜くと、広々とした背中が現れた。

鍛え上げられた筋骨隆々な肉体は、優しいお顔に似合わず男らしくて、ため息が出てしまう。

…こんな時に不謹慎だよね。ごめんなさい。

でもそれが、正直な気持ちなんですよ…。

自分のやましさにゆがんだ口元を隠しながら、机の上の花瓶に生けられた芍薬を、持てるだけ手に取る。


「失礼いたします…」


彼の背に花束を添え、息を整えて言祝を唱える。


『花帝の慈悲に請う―。その瞬きにて、この害を解き放ちたまえ』


すがすがしい香りがスッと鼻先をかすめると、背中にかざした芍薬の花びらが、ぶわっと舞いあがった。

いつもより強く、長く、指先に願いを込める。すると花は咲き誇るように光りながら、順々に背中に溶けていった。


「ふう…っ」


これでもう大丈夫―。

芍薬の高貴な香りが満ちた空間に、ほっと一息つく。


この芍薬は、特別な花。

我が瑞泉国を治める皇帝、通称『花帝』の庭で育てられ、決して枯れることなく、永久とわに咲き続ける。

この不思議な花の力を使って術を行う者を、人は『花使い』と呼ぶ。


何を隠そう、私もそのひとりなんたけど、術を使うのは差し迫った時だけ。

父上いわく、花を使い過ぎると、身体に負担がかかるらしいの。

同じく花使いだった母上がそれで体を壊して、私が幼い時に亡くなった事もあって、父上は私が花の仕事をするのをすごく気にする。

確かに術を使うと、毎回、全身の気がすっぽりと抜けたような疲労感に襲われる。

こればっかりは、どうしようもない。

今日もやっぱり目眩いがして、フラフラとその場に座り込んだ。


「清花、おいで」


だらんと垂れた手をすくい上げる、やさしい温度に顔を上げる。


「諧さ、ま…」

「すっかり痛みは取れたよ。清花、立てるかい?」

「あ、はい…」


足元が覚束ない私を、彼は背中から抱えるようにして、立ち上がらせる。その顔には、いつもどおり余裕の色が戻っていた。


「若君、どうか、お構いなく…」

「いいからほら、つかまって」


諧さまは微笑むと、私の手を取って近くの椅子に座らせてくれた。


「大丈夫かい?」

「お気遣い、痛み入ります…。申し訳ありません、お手を煩わせてしまって…」


足元がふらつく感覚が、まだ残ってる。

もちろん貧血のせい、だけじゃない。

胸を叩く音が耳に響く。

熱くなった頬を知らたくなくて、頭を下げてごまかした。


「気にしない。我の身体は清花のおかげで保てるんだし」

「恐れ多い…」


諧さまは四賢臣の一角、朱家の跡取りにして、刑部けいぶ(警察)の副官を務める生まれながらのエリート。

それでいて、文武両道で人望も厚い。

なのに身分の低い者にも威張る事などなく、私みたいな庶民にも労りの声をかけてくれる。

もう、完璧過ぎでしょう。


「あなたは私の大切な人なんだ。いたわるのは、当然の事だよ」


青白い指先を、温めるように重ねられた手のひら。

あぁ。

本当に、この方は―。

柔らかな笑顔に、心臓が今にも暴発しそうだよ。


「身に有り余るお言葉。若君の御為なら、我が身に替えてでもお護りいたします」

「大袈裟だなぁ、清花は」


諧さまは笑うけど、私が心酔するのも、無理もないでしょう?

憧れの人の、少しはにかむような笑顔は無敵。

この人の為なら、私、いくらでも頑張れるよ。


「でも、ありがとう―。折角だから、今日はここでゆっくりしていっておくれ」


そう言って諧さまは私の頭をなでると、靴音も軽やかに部屋を後にした。


「髪、梳いておけばよかった…」


温かな手の余韻にひたりつつ、私は彼が出ていった扉を、しばらくボーっと見つめていた。

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