ああ、久しぶりに見る彼女がいた。でも、すれ違いざまに僕は舌打ちされた。
あーる
プロローグ
大学からの帰り道。夕方の電車。強く光るオレンジ色の灯りが、車内を照らす。
終点駅の一つ手前。僕の最寄り駅。周りにいる人たちは数えられる程度。車両がスピードを落とし始めたとき、僕は荷物をまとめて、席をたった。
電車の扉が開く。頭のなかにはイヤホンから流れる、アニメの曲でいっぱい。
何回聞いたわからない好きだったはずのアニソンも気づけば、自分の人生を追い込む側へと回っていた。
沈む夕日を影に、顔をあげる。
見慣れた景色。見慣れた光景。さすが最寄り。使い古された郊外の駅。ちょっと珍しいといえば、五月特有のこの夕焼けだけ。
その中で、ふと僕の目に入ってくる――。
この黄昏の、穏やかな夕焼けにふさわしくない、彼女のあの――冷たい目。
一年ちょっと振り。でも、見慣れた光景。見慣れた視線。
高校三年間、彼女の視線に何度もさらされてきたが、あの冷たさは忘れられない。背筋が凍りつくような感覚。まだ初夏も始まったばかりなのに、秋と春を横目に冬が訪れる気配を感じる。
冷たい目の持ち主は、まっすぐ、どこにも視線をずらすことなく、前を向きながら、電車へと乗りこむ。
降りようとしていた僕。パソコンだけが入ったトートバックを肩にかけ、どこでも席が空いている電車の中で、一人、立ちすくんだ。身体が言うことを聞かなかった。
「っち」
小さくも鮮明なその音。たった一音。
ノイキャンをしているはずのイヤホンも、音楽が流れているイヤホンも、何もかもを貫通して、僕の耳の中へと入ってきた。
彼女が電車に乗った瞬間、彼女は舌打ちをした。僕とすれ違うと同時に――。
その音が耳に残り、僕は、動きが止まってしまった。
電車の扉も閉まって、何もかもが過ぎ去った後、「……え、なに、今の?」と思わず口から呟くしかなかった。
古賀麗奈。それが彼女――冷たい眼差しの持ち主の名である。
立ち尽くし、その場でただ呆然とするしかなかった僕と違い、古賀は何も気にせず、電車の中にすぐに消えていった。
久しぶりの再会がこれか。
僕の抱いた感情はただそれだけだった。
冷静な思考と感情。それらを取り戻しながら、静かに僕はイヤホンをケースへとしまった。
最寄りで降りれなかった僕。その電車は終点まで行くことは確定している。
電車の中に入り、古賀が一人で座っているのを見つけると、僕は彼女の前に立ち、深呼吸をしてから声をかけた。
「もうちょっと何かなかったのか」
僕の顔を見た古賀はわざとらしい驚いた顔をしてから、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。
「あら、“構成”作家の佐藤くん。こんなところで会うなんて運命かしら?」
古賀は肩をすくめ、作家の前につく「構成」という言葉をわざわざ強調してきた。
「運命? あんな挨拶のしてきた相手にそんなのないだろ」
「あー、舌打ちの件ね。特に深い意味はないわ。気に障っただけよ」
「気に障った? それだけ?」
「ええ、それだけ」
彼女は窓の外に視線を移しながら、淡々とした口調で続けるだけ。
「人にはいろいろな感情があるのよ」
「知ってる。だから、何かあるなら、直接言え。それをさっきから言ってんだよ」
僕は内心、どう対応すればいいか分からず、少しイライラしていた。そして、それを隠せていなかった。でも、古賀は冷静で、「これが私のやり方なの。気にしないで」と言うだけだった。
その言葉に、僕は黙った。黙ることにした。
話をしても意味がない。僕の結論だった。未だに、大学生にもなって、こういうコミュニケーションのやり方しか彼女は知らないのかと、少し落胆した。
普段の彼女の活躍を、テレビで、ネットで、雑誌で、業界の評判と友達の世間話で知っているから、なおのこと――。
車両の揺れが心地よかった。
普段はいかない最寄りの先。見慣れない景色。見慣れない光景。
外の夕陽が車窓から差し込むその温かさとは裏腹に、僕の心のなかには、「あの日」の古賀の言葉が頭の中で巡っていた。
こうやってまた、僕は彼女との関係を終えるのだろう。
お互いの本心を隠したまま――。あの日のように――。
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