第38話 譲らない

「こんばんは」


玄関のドアを開けるとそこには、女の子が立っている。

リンリンと鈴虫、静かに佇む彼女。可愛いというよりも綺麗な子。

そして、見覚えのある顔。私は記憶を掘り起こす。


「あー、……四葉ちゃん?」


「はい。あの時はありがとうございました」


ペコリ、と軽く礼をする四葉ちゃん。

所作がいちいち丁寧で、高校生である事を忘れてしまいそう。


「こんな時間にどうしたの?」


玄関から奥を見る。

そこは道路、車は確認できない。

つまりこの子は1人で来た。こんな時間に。しかも歩いて。


「雨宮の件です。海野さんの家に向かっているみたいなので」


「えっと……どうして?」


返答になっていない返答に、私は聞き返した。


「ですので、彼を私が回収しに来ました」


四葉ちゃんは平然と口にする。

そのせいで一瞬だけ、普通のことを言われたのかと思った。

だけどその異常性に気づいた。おかしい。

彼女にとって優は同級生。『回収』という言葉は似つかわしくない。


「回収ってことは、連れて帰るってこと?

 それなら心配しなくても、ゆう……雨宮くんはウチで泊めるから大丈夫だよ」


「全然大丈夫じゃないです、むしろ問題アリです。

 雨宮に何するつもりですか?」


「何もしないよ、別に。

 普通にご飯食べてもらって、お風呂も入ってもらって。

 あとは寝るだけでしょ?」


四葉ちゃんの瞳がギラつく。

暗闇を背にしているから、余計に光って見えた。


「やっぱり、貴方達には雨宮を任せておけません。

 ご飯は? 彼にアレルギーがあったらどうするんですか?

 お風呂の設定温度は? 熱くて彼が火傷したらどう責任がとれますか?」


「そこまで心配しなくても──」


「当たり前を失うのなんて、一瞬ですよ?」


貫く言葉。

全てが杞憂に終わってしまうだろう。そのレベルの心配は。


過保護。

母親でもそこまで神経質にならない。


私は一歩後ろに下がろうとして、玄関の小さな段差につまづく。

浮遊感を味わったのち、お尻が床に落ちる。

じんわりと痛みが登ってくるが、そんな事を気にしていられない。


「失うのは一瞬です。

 ある日突然当たり前がなくなって、その大切さに気づいた時には後の祭りになるんです。

 作り話みたいですけど、本当のことなんですよ?」


四葉ちゃんは私を見下ろしながら言う。上から言葉が降ってくる。

かなりの質量、そして真実。

最早彼女の言葉を聞く以外に、選択肢は残っていないように思える。


「だから、だからだからだから……綻びなく彼を守るんです。

 杞憂だとしても可能性を潰します。

 不必要だとしても手段を増やします。

 そういう毎日を、当たり前にこなします」


「それは、四葉ちゃんが雨宮くんのことが好きだから?」


彼女の目は、またもやギラついた。

今回は刺すような視線ではない。

表現としては『揺らめいた』の方が正しいのかも知れない。

それでも彼女の瞳は輝いていた。


「好き、っていう感情なんかじゃないです。

 そんな脆弱な言葉で表したくないです。

 ……私にとっては普通の事だから、その感情に名前なんて必要ないんです」


独り言のように聞こえた。

まるで四葉ちゃん自身が、雨宮に対する想いを言語化しようとしているみたい。


だけどその想いは難問だった。

四葉ちゃんの中で完結していて、結論の出ていない問いだった。


この子は道を踏み外してしまった。

愛を一方的に流し込むだけで、向こうから貰おうとしない。

見返りを求めない無償の愛なら、誰しもが生まれた瞬間から享受している。


そして私は、そんな愛の名前を知っている。


「四葉ちゃんが雨宮に対して感じているのは、『母性』って言うんだよ。

 私の気持ちとは違うカタチ、みんなが貰ってるモノだよ」


お尻の痛みが引いて、立ち上がる。

すると今度は四葉ちゃんを見下ろす形になった。

彼女は一歩たりとも後ろにひかず、依然として視線で貫いてくる。

暗闇を除くネコのような瞳。恐怖は感じない。


「……その愛は、雨宮に注がれてませんよ?

 『貴方は知らない』と思いますが、彼の境遇は特殊なんです」


彼女は明らかにマウントを取っている。

表情は相変わらず。しかし言葉の節々に棘が仕込まれている。


そんなの知ってる。


と、言いたかった。だけど直前で口を閉ざした。

私がどういう立場であるのかを彼女に伝えることは出来ない。

四葉ちゃんのマウントに腹が立とうとも話してはいけない。


個人的には落胆した。


「その役割は、はたして四葉ちゃんに務まるのかな?

 お腹を痛めて産んだわけでもないのに

 永遠の愛を注ぐなんて事、普通ならできないよ」


「私は普通じゃないんです」


「口だけならなんとでも言えるよ」


もはや口論じみている。


そして当然のような事象に見舞われる。

私達が話している間にも、時間は刻々と進んでいた。


「……四葉?」


男の声。何度も聞いた声。

自然とその方向に目が動く。

目が合った。何も感じない、これだけでは。

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