第37話 同じ轍は無い
俺達は日没を待った。
それもこれも、黒咲とかいう馬鹿のせい。
そういうわけで日没するまでの間は部室に篭っていた。
黒咲は罪悪感からか、一切話さなかった。非常に気まずかった。
当然部活も行わなかった。といっても、アニメを観るか観ないかの違いである。
そして現在に至る。
依然変わらず部室内。俺は長椅子から立ち上がる。
ポッケから右手でスマホを取り出し、時間を確認する。
黄昏時だ。太陽はもう少し居座りたいらしいが、この気まずさではここに居座る俺の方が苦しい。
だから提案も端的だった。
「まだ少し早いけど、もう帰るか?」
スマホから、黒咲に視線をずらす。視線は上から下にゆく。
そこには俺を見上げる少女の姿。
彼女は驚愕といった風な表情を浮かべて、目を丸くしている。
俺と手錠で繋がっているから、右手だけ中途半端に挙がっている。
「ちょっと待ってアンタ、どこに帰るつもり?」
「俺の家」
「絶対いや」黒咲は首を横に振る。
「じゃあどこ? 黒咲ん家?」
少し腹が立った。
ただでさえ面倒ごとを押し付けた張本人なのに、我儘も言うのかと。
「私の家でも、アンタの家でもないわよ。
だってこんなの親に見つかったらまずいでしょ?」
黒咲は手錠をゆびさす。
「マズイって言っても、帰んなきゃいけないだろ。
腹も減ったし、風呂も入りたいし……」
「親に見つかるのはそれよりも嫌なの!
この状況よ!? 絶対変な勘違いされるって!」
そう言って黒咲は、手錠の巻きついた腕をブンブンと振る。
彼女の動きに連動して上下する俺の腕。確かに俺達は繋がっていた。
多少の動きなら不便はないが、移動するのなら許諾がいる。
つまり黒咲の合意を得なければ家には帰れない。
だから言いくるめるしかない。
でも、簡単な事だ。要するに黒咲の不安を取り除けばいい。
「大したことないって。
子供じゃないんだから、キチンと説明したら──
「ぜっったい揶揄ってくるわ」
食い気味な予想外の回答に驚いた。俺は反射的に言い返してしまう。
「え? 揶揄うわけないだろ?
確かに最初は誤解されるかも知れないけど」
「アンタ、やっぱりズレてるのね」黒咲は目を細める。
あたかも俺が的外れな言葉を発したみたいな顔だ。
やっぱりコイツはズレている。
でも金持ちだからな、しょうがないか。庶民と貴族じゃあ感覚が違う。
「あのね、親ってね、アンタが想像してるよりも人間なのよ。
完璧超人じゃないし、むしろその逆。ほんとに普通の人間よ……」
まるで先生だ。俺を下から、真っ直ぐ見つめてくる。
悲しそうな瞳。
親という存在を諦める瞳。
俺にはできない瞳。
どうして?
「もっと私を見て……」
彼女の目尻に涙は溜まる。
トクトクと、ゆっくり、確実に。
決壊するなら時間の問題で、俺がそれを止めなくてはいけない。
本能で分かった。黒咲の親に対する思いを、ここで零してはいけない事。
「お前にも色々あるんだな、悪かったよ。
……泊まる場所は他で考えような」
自分でもびっくりするくらいの優しい声。
俺の人情は底知れない。
そういえば最近、女友達を慰める機会が頻発している。
「うん」彼女はうなづいた。
しおらしい黒咲に調子を崩される。五月蝿いほうがマシだな。
もう一度スマホを取り出して、この辺の泊まる場所を調べた。
が、この辺のホテルはダメだった。予約しなければいけないのだ。
それに万が一予約の必要ないホテルがあったとして、そこは健全じゃない場所。
あまりにも詰んでいる。
「なぁ黒咲。
仮に、泊まる場所が見つからなかったとして、どこまで妥協できる?」
「……野宿はいや。……そういうホテルなら、まぁ」
言葉の端も濁し、その対象も濁された。彼女の視線も逸れている。
故に、ここでの特攻は危険と判断。
「分かった、そこには行かない。友達の家なら大丈夫か?」
俺はスマホの画面を黒咲に向ける。
文字を捉えた黒咲の瞳。
『あおい』
その後の表情に変化は見られなかった。依然として半泣き。
否定はしないが、肯定もしない。
「沈黙は肯定とみなしていいか?」
「……」
画面は通話の待機画面。
ちょうど3コール目で雫さんの声が聞こえてきた。
──少し、時刻は遡る。
海野 葵
教室を出て、廊下を歩いて、階段を降りて。
アマミーの声がしたから、進行方向を九十度変えた。その時。
見てしまった。窓越しに。
校舎裏の壁でアマミーと女の子が話している姿。
私の視線は地面と平行。まっすぐ2人を見つめるだけ。
「っ……」息を飲む。
大丈夫、大丈夫。
そういう関係には見えない。
アマミーの表情は分からないけど、乗り気じゃなさそう。
それに話している女の子の表情も緊張している。
せいぜい告白だ。
「よかったぁ」
安堵の声が漏れ出た。だってウチは知っている。
アマミーは性格上、女の子とそういう関係になりたがらない。
彼氏彼女とか、付き合うとか、恋人とか。
ウチにとっても悲しい事だけど、今だけはそれでよかった。
「ご愁傷様です……」
これから玉砕するであろう女の子に手を合わせる。
アマミーは優しいから、あの子はきっと優しい言葉で振られる。
やんわりと綿菓子みたいな言葉で振られて、家に帰ったら泣いちゃう。
ウチも一緒。
だから、同じ轍は踏まない。
「こうやって使うんだね」
同じ轍は踏まない。
何度も頭で繰り返す。
試験前、アマミーに教えてもらった言葉。
使い方も教えてもらったけど、その時はよく分からなかった。
「ふふん」
賢くなったような気がしていい気分。
そして校舎裏に背を向けて、ウチは歩き出した。
今日はウチが晩御飯当番の日。早く帰らなくちゃいけない。
お姉ちゃん怒ったら怖いからね。
特に、約束を破られるのが一番嫌いだって言ってた。
というわけで急いで帰った。途中のスーパーに寄って、まっすぐ帰った。
家に着いて、着替えて、ご飯を作って、お姉ちゃんを待って。
全部が日常すぎて、一周回って楽しい。
ガチャ
そんなことを考えていると、玄関から鍵を開ける音。
カレーの入った鍋に火をつける。
「おかえりー!」
海野 雫
「おかえりー!」
「うん、ただいま」
リビングのドアを開けると妹の声。
カレーの香りも漂ってきた。
食卓にはサラダが2つ。キッチンには大きな鍋。
「晩御飯ありがと。今日はカレー?」
「うん!
人参とじゃがいもがびっくりするくらい安くて、
もうね、カレーしかないって思っちゃった!」
「さすがの生活力。いや、お母さん力……?」
結構真剣に考えてみた。
可愛いし、優しいし、謙虚だし、生活力もある。
この子、男子からしたら優良物件すぎる。
「どっちでもないよぉ。もう、そういうの恥ずかしいからやめてって」
「満更でもないくせにー、顔に書いてるぞー?」
「書いてないー!」
「そう?」私はそう言って、リビングを縦断し食卓に座る。
疲れて帰宅して、すぐ食事にありつける。
これ以上にありがたいことはない。
「あっ、そう言えば!」
葵が目の前にカレーを置く。そして何かを思い出したようだ。
その直後、葵がリビングを出て行く。階段を上る音がした。
ほんの少しして下る音がして、葵が不思議そうな顔をして戻ってくる。
「ウチ間違えて、お姉ちゃんのハンカチ学校に持って行ったらしくて」
「そんな事……だけじゃないね。その感じ」
葵はうん、とうなづいて右手のひらを見せる。
「こんな鍵がハンカチに挟まってたの。
これ、お姉ちゃんのでしょ?
困ってないかなぁ、って心配だったんだけど……」
葵の掌には確かに鍵が乗せてある。
それを確認した上で、私は首を傾けた。
「なにこれ? こんな鍵知らない。
しかも、この鍵……」
手錠の鍵だった。
警察が落とした? いや、そんなヘマを犯すはずがない。
それにこの鍵は新品に近い。持ち主の手に届いて間もないはず。
「えっ? これお姉ちゃんのじゃないの?
えっ? えっ?」
葵は混乱している。
鍵と私の顔を見比べて、大きな瞳はまん丸。
そんな様子も可愛い。
「その鍵、私が預かっておく。
あと、挟まってたハンカチも見せて」
「あっ、ハンカチならもう洗濯機に入れちゃった。取りに行ったほうがいい?」
「うん、一応。何か分かるかもしれないし」
「了解! じゃあちょっと待ってて!」
私から確認をとると、葵はお風呂場にすっ飛んで行った。
ドテドテと騒がしいあの子の背中を眺めていると、
ピリリ……
どこからかスマホの着信音。
音源は机の上にあった。画面に表示されている文字列は『雨宮』とだけ。
通常の場面なら葵に渡すべきなのだが、私はスマホを手に取って立ち止まる。
2回のコール音を聞いたのち、思わず電話に出てしまった。
優の声を久しぶりに聞けるという誘惑。
それに打ち勝てるほど、私は強くない。
「もしもし、優?」
『はい、あれ? 雫さんにかけ間違えました?』
その第一声は、チクリと心に突き刺さる。
私への電話は間違いなのか。と、めんどくさい女みたいな考えが頭をよぎった。優の発言にそんな意図はない。分かっているけどそう考えてしまう。
「いや、葵の携帯で間違ってないよ。
葵、今ちょっと席を外してて、私が代わりに出ただけ」
『あー、なるほど。それなら丁度良かったです』
「私で丁度いいの?」
『はい。今日、海野の家に泊まりたくて電話したんです。
だから雫さんにも確認をとっておきたくて』
「そう、なのね」
声が沈まぬよう努力。
まぁ要するに個人的な用ではなくて、事務的な確認。
ここにいるのが私でも、お母さんでも問題ない。
優の目的はあくまでアポを取るためだった。
優との会話は続く。
『はい。その、突然で申し訳ないんですけど、
これから2人、家に泊まることって可能ですか?』
「別に泊まるくらいならいいけど、2人? 優だけじゃないの?」
『はい。俺と黒咲っていう女の子を泊めて欲しいんです』
「クロサキ……? その子とはどういう関係なの?」
『ええっと──』優が私の質問に答えたらしい。
でもその内容はよく聞こえなかった。
いや、聞こえるはずがない。私の内心が揺れていたのだから。
クロサキ? 誰? どこの女?
弟みたいな存在に、変な女は近づけられない。
でもその子が泊まるのを断ってしまったら?
そしたら優が泊まってくれなくなるかも。
肉を切らせて骨を断つ。欲張らない。
少なくとも、優には会える。
それで良い。
「分かった。じゃあ布団は2つ用意しておくね。
もう暗いから気をつけて……」窓の外は薄暗い。
黄昏時だ。
すると優が『葵にも言ってくれると助かります』と付け足した。
「うん、葵にも言っておく」
これで会話が終わった。
私はその後、電話を切るまでの間を埋める言葉を発して、
優が最後に『本当にありがとうございます』と言って電話も終了した。
スマホを耳から離す。
「お姉ちゃんあったー!」
ドテドテドテと、またもや騒がしい足音。
葵が一仕事終えた顔をして自信満々に帰ってくる。
手にはハンカチ、見たことのない柄。
「それねー。うん、見た事ないし、私のじゃないね」
「あー、やっぱり? はいどうぞ」
「ありがと」そう言ってハンカチを受け取る。
紫色の古風なハンカチ。
昔の人がお弁当を包むなら、こういう布だろうな。
当然名前の類は書かれていない。
……と、思ったけど。端に小さく、小さく書いてある。
『黒咲 明日香』
「ふーん」
「お姉ちゃん、何か分かった?」
「いや、なにも。良いハンカチだなぁってくらい?」
「そっか……」
クロサキ……。偶然なら天文学的確率の珍しい一致。
必然なら、この子は手錠を所持しているヤバい女。
優が危ない。助けなくては!
「……さっき優から電話があったんだけど、
これから優と『クロサキ』っていう女の子が泊まりにくるんだって」
葵のスマホにかかって来たということは伏せた。
めんどくさい事になりそうだったから。嫉妬ではない。
「ええっ!? アマミーと明日香ちゃんが!?」
「うんもうすぐ来るって。葵もいいよね?」
黒咲 明日香、ハンカチに記入されている名前と完全一致。
「うん! カレーも残ってるから……アマミーに食べてもらお」
お姉ちゃんの前では、好意を隠していただきたい。
知らないふりをするのも体力が必要だ。
「このカレー美味しいし、優も喜ぶよ」
「やった……」
そうやって葵と適当に話している最中に、チャイムが鳴るのだった。
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