第10話 救いたい

静かな、静かな教室に、俺とその子は見つめ合っている。


 彼女は三つ編みを髪の両サイドに垂らしていて、大きなまる眼鏡をかけている。一見しておとなしそうな外見だが、彼女は虎のような威圧を放っていた。


「私の踊ってる姿、見た?」


「いや、見てないです」首を横に振る。


 しかし、彼女は俺に近づいてきた。いつもは忌々しく思っている俺アレルギーが、今日だけは発動してくれと願っていた。


「……アンタ、覗き見なんていい度胸ね」


彼女は俺の制服のネクタイを引っ張る。少し、首元が苦しくなった。


 大きなまる眼鏡が、俺を下から抉り上げるために光っている。まるでカツアゲされているような気分だった。


「さっ財布を取りに来ただけです……」声が震える。「何も、見てないです」


「テメェ、私を舐めてんのか? おい?」


ヤクザ並みの迫力。目を合わせるのですら怖くて足が震える。


「……すみません、見ました」


 グイッとネクタイが引っ張られる。そのまま背中を黒板に叩きつけられた。いわゆる壁ドンの体勢。彼女の眼鏡がきらりと光る。


「テメェ!」バンッと黒板が叩かれる。「私に嘘をつくな!」ビリビリと鼓膜が痺れるほどの大声だった。


 しかしその直後、目の前の彼女は下を向いて呟く。放っていたプレッシャーも消え失せていた。


「嘘なんて……吐くな……」声が弱々しい。


 ポロポロと大粒の涙が床に落ちる。さっきまでの迫力からは想像もできない変化だ。二重人格を疑うほどにかけ離れている。


 眼鏡をとって、俺の肩に顔を埋めて、何故か啜り泣く。彼女の一連の行動中、俺の頭にはハテナが浮かびっぱなしで、状況が理解できていない。


 どうして泣き始めた? 俺がなんかやったのか? てか、慰めたほうがいいのか? なにが正解なんだ?


 そんな疑問には、だれも答えてくれない。慰めるために彼女の背中をさすろうとしたら「やめろ!」とだけ言われたため、俺は静かに見守ることにした。




「わらしの何がわるいんだぁー? いっつも嘘だけつかせてぇー」


 彼女はまだ、俺の肩に顔を埋めている。手は回していない。ただ、俺に寄りかかるようにして独り言を言っていた。


 俺が「もう離れよう?」と言っても彼女が拒否するので、その独り言は悪化する一方だった。


「嘘をつくなぁー。自分を信じろぉー」


「これは……」


 酔っ払いのような言動が聞こえ始めて、過去にも似たようなことがあったことを思い出す。


いつの日か、政府の人間に教えられた調査結果だ。


 俺アレルギーは稀に、咳やくしゃみ以外の症状が現れる場合があるらしい。そしてさらには、その時には必ず条件があるとも言われた。


酔っ払いの症状は、嘘を多くつく人に現れる。


 例えばエセ占い師、詐欺師、訪問販売の男など。最低限、これらの人間との実験においてはそのような症状が見られた。


「……キミも、自分を偽ってんだな」


 抱き合っている最中、俺の言葉が漏れ出る。すると、彼女の独り言が一瞬止んだ。


「アンタに、何が分かるのよぉ?」


 まだ顔を上げない彼女。怖いものを見ないようにしている子供の如く、顔を俺の方に押し付ける。


「ぅぅ、何が本当か分かんないんだよぉ。どっちの私が本当で、どっちの私が偽物なのかぁ?」


 きっと、キミを偽っていたのはキミなんだろ。嘘も何もかも分からなくるくらい、キミは嘘をつき続けてきたんだ。


俺たちの時間は、ゆっくりと溶けていく。


「アイドルの私もぉ、学校の私もぉ……」


 そうさせた周りも悪いよな。こんな未熟な人間に、自分を偽れと言ってしまえばこうなるに決まってる。


「……死ねばいいのに」そうポロッと心が漏れた。俺の発言だ。


独り言が止む。彼女が俺の言葉を聞こうとしているのが分かった。


「嘘をついて作ったキミなんて、死ねばいいのに」


 きっとこの子は酔っているから、俺の一言は忘れてしまうだろう。だが、この一瞬だけでも救えたのなら、それでいいような気がする。


「死ぬ?」


「そう、死ねば楽になるよ」


 彼女の顔が上がった。鼻と鼻がくっつきそうな距離感だった。しかし、俺は彼女から目を離さない。


「ふふっ、なら死のう? 一緒に、どこか遠くへ」


そう微笑む彼女の顔は、どの人格だったのだろうか。


 彼女の足取りは窓のほうへと向かってゆく。千鳥足のまま、俺を引き連れて……。





──早朝


 俺の部屋を出て、朝食を確認する。湯気のたったホットコーヒーがお盆に乗っている。その隣にパンとマーガリン、折り畳まれた新聞紙が置いてある。


俺は自分の机にそれらを持っていき、コーヒーを啜って新聞を開く。


『高校生アイドル、自殺未遂か?』


 誌面にデカデカと書かれた見出しを見て、俺は笑ってしまった。あの時、窓に身を乗り出した彼女を救った感じを装い、警察に嘘の言伝を吹聴した。


 俺の中に嘘が溜まってしまうが、彼女が救われるなら問題ない。別に、綺麗に生きようなんて思ってないしな。


コーヒーをもう一口啜る。


スマホを確認して、通知のところからラーインを開く。



『アダムくん大丈夫?疑われてない?』



 送り主の名前は黒咲明日香(くろさき あすか)。彼女にはある程度の嘘をついて、俺の本名を教えていない。


アダムと仮に呼ばせているが、案外しっくりくるものだな。


『大丈夫。全部うまく行った』


 俺はそう返信してカレンダーを見つめる。そこには赤く丸をつけた日付があった。『政府に顔出し』とだけ赤い字でメモしてある。


そう遠くはない日付。あと数日後だった。


はぁ、憂鬱だな……。







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