第8話 帰りたい

 ──キーンコーン、カーンコーン


 昼休みが始まった。俺は授業で使ったノートを素早くたたみ、背伸びをして窓の外を見る。今日は快晴だった。


 ざわざわとする教室内は、どこでメシを食うだの、食堂に行こうだのという会話が絶え間なく聞こえてくる。俺は席から立ち上がらず、机に頬杖をつく。


「アダム殿。今日も昼食、宜しいですかな?」


 俺のことを『アダム』などと呼ぶ男子生徒が、前の席から振り向いて言った。太り気味の身体に、なぜかグラサンをつけた男。手には2段弁当を持っている。


雰囲気はオタクと厨二病を足して2で割った感じだ。


「おう」と俺は素気なく返答し、傍らに置いてあるカバンから弁当を取り出す。


目の前にいる『ルシファー』と昼食を取るためだ。


 ちなみに、俺たちは本名を言い合っていない。更には、コイツとは中学からの付き合いなのだが、そのグラサンの向こうにある目も見たことがない。


 これが友人と言えるのかと問われれば、間違いなく友人である。たしかに普通とは異なる人間関係ではあるが、俺にとっては丁度いい。


「アダム殿、身体の方は大丈夫であろうか? 拙者と同じ呪いを授かった仲だ。助け合ってこその友であろう?」


ルシファーは俺の顔色を窺うようにして聞いてくる。


「おう、ばっちし」グッと親指を立てて返答した。


 まぁ、コイツは俺アレルギーなど患っていないが、コイツの中では『呪いを喰らっている仲間』という設定になっているらしい。


俺はそんなどうでもいい話をしながら、弁当を机の上に置く。


「おや、アダム殿の弁当がいつもと違うような……。いや失敬、あまり言わない方がよろしいか」


 ルシファーは俺の弁当箱を覗き込んで、不思議そうにつぶやく。発言に気遣いが垣間見える男だ。厨二病だが、根はいいやつである。


「これか?」ルシファーに弁当を見せびらかす。


 ピンク色の箱で、どう見ても男のものではない。俺は更に追撃の意味も込めて、特大の爆弾を投下する。


「女子から貰った奴だぜ?」ニヤリと笑って、ルシファーの反応を観察する。


「ななっ! 禁断の呪いを患っていながら、恋愛ですと!? アダム殿! 何というお方だ!」ガタッと立ち上がるルシファー。


中々にいい反応。これだからコイツは面白い。


「はっはっは! 俺にも青春がやってきたのさ。 ほら、お前はどうよ?」ルシファーの方に話を振る。


 まぁコイツは青春なんて、十中八九経験していないだろうな。思った通り、ルシファーは首を横に振った。


「せっ、拙者はリアルに興味ないので! 2次元女子に恋をしている方が健全なんでございますよ!」


 早口で捲し立てるルシファーの必死さに、俺は思わず吹き出してしまった。コイツ、ギャルゲーでしか恋愛してないじゃんか!


「……ちなこれ、海野の手作り」周りに聞こえないように声を小さくして、俺は最後の一撃を決めた。


「あっ、アダム殿……」ルシファーは意外と動かない。


 ただ背筋を伸ばして立っている。あっ、グラサンの隙間から涙らしき雫が滴ってる。ルシファーのその姿はまるで、映画を見て感動している人だった。


ダンッ!


ルシファーが机を叩く。


ダンッ!


 またもや叩く。涙の量が尋常じゃない。ポタポタとコイツの制服にまで滴り落ちている。


 しかし、俺はそんなルシファーを無視して、弁当箱の蓋を開けた。中にはハート型の卵焼きが入っていた。


ダンッ!


「……拙者、気分が、悪くなったので、早退しようと思う」悲しみで震える声。鼻水と、涙で汚された顔。「異論はないであろう?」


 ルシファーはそう絞り出すように言った後、静かに手で涙を拭いて、教室をあとにした。途中、クラスメイトからドン引かれていたのは言うまでもない。


──ごめんな


ルシファーの悲しき背中を見ながら、そう心の中で謝って、箸を手に取る。


 すると、ルシファーが去るのを待っていたかのように、俺の前の席に座る者現れた。


もちろん、この弁当の製作者である。


「アマミーどう? ウチの弁当、美味しい?」


海野は机の上で両手枕のようにして組み、顔をそこに乗っけている。


 不安そうに、恐る恐る質問をする海野。手には絆創膏が複数貼ってあり、この弁当に対する努力が見えたような気がした。


卵焼きをひとつ箸でつまみ、口に放り込む。


 うん、普通に美味いな。それに、俺の好物とかも結構入ってて、ラッキーな日の弁当って感じがする。


「……んぐっ。うん、メチャウマ」左手の親指をグッと立てる。


 俺の感想を聞いて、海野の肩から力が抜ける。海野は笑顔で座り直した。彼女も弁当を持っており、俺のと同じような色と形だった。


「よかったぁ……」ホッと胸を撫で下ろした海野は、彼女自身の弁当も開ける。


「えへへ、いただきまーす!」


 当然だけど、中身は一緒なのか。別に俺の好物に合わせたってわけでもないっぽいな。たまたま味覚が似てるってだけなのね。


「ねっ、アマミー。ウチ、頑張ったよ?」


 ふと海野が話しかけてきて、俺は箸を止める。彼女の表情は、褒められたいという気持ちが前面に現れていた。


「弁当ありがとな」海野の目を見て礼を言う。


 しかし、彼女は違うと言いたげだった。そして海野は俺の側まで移動すると、頭をコチラに擦り寄せてきた。


「報酬はこちらからお願いしまーす」


 ウリウリと、まるで小動物のように俺の腹に頭を擦り付ける海野。上目遣いで俺を見つめてくる。なんとなく希望を察して、そんなことで良いのかと思った。


「あぁ、ありがとな」


 海野のサラサラとした頭を優しく撫でる。出来るだけ、髪型を崩さないように気を遣って、最低限の力で撫でる。


「……アマミーもっと強く。力足んない」


 海野さんはご不満らしい。声の調子が不服を表している。しかし、周りの目ながあるし、これ以上目立ってしまうと危ない。


「ごめん、今はこんくらいが限界だな。目立つと俺アレルギーが発症する」


「えー?」海野が不満そうな顔で俺を見上げる。「ウチの弁当は、そんなナデナデくらいの価値しかないんですかー?」そう言って、頬を膨らませていた。


 そんなこと言われても、そんな顔で見つめられても、俺の心は変わらない。無理なことは無理。俺アレルギー優先。


「まぁまぁ。あとで埋め合わせするからさ、今はこんくらいで勘弁してくれ」


 俺の提案に、海野は少し間を開けて返事をした。その間にいろいろと考えたのだろう。妥協案を添えられた。



「……いいけどウチ、利息大きいからね。ぜっったい今日中だからね」


「分かった、今日中な」


 まだ少し不満そうだが、海野は観念して前の席に座ってくれた。俺は埋め合わせのことを考えながら、ゆっくりと弁当を平らげた。


 その間、案外クラスの人間の目は穏やかだった。特に男子からの視線があったというわけでもなく。


ダンッ!


と、たまに机を叩く音だけが響く、静かな教室であった。







 俺は今、海野と近くのスーパーに寄っている。彼女はウキウキで俺の手を握り、反対の手でカゴを持っている。


 海野いわく、『スーパーのカップルって、同棲してるみたいでいいよね』ということらしい。


「お豆腐とー、ニラとー、鶏肉ー。さて、なにを作るのかアマミーにわかるかなー?」海野は食材を選びながら、そんなクイズを出してきた。


 機嫌は良く、変なプレッシャーも放っていない。逆に海野が、普通の可愛い女の子をしているため、周りから聞こえるクシャミや咳の回数が多くなったくらいだ。


「麻婆豆腐だな。どうだ? 当たってるか?」


「せいかーい! 正解したアマミーには、葵ちゃんから特別賞!」


 なんだか、和やかでいる時間が愛おしい。最近はゲームの周回と勉強漬けで、こういう時間がなかったような気がする。出来るだけ楽しんでおこう。


 海野に手を引かれながら、そんなことを考えていた。すると、なんだか不思議とモヤモヤしてくる。


「なぁ、海野。ここって、食べ物は売ってないよな?」周りを見渡して、少し違和感を覚えた。


「うん、売ってないよー。だって特別賞だもん」


 海野は日用品売り場に俺を連れて行く。そして、1番立ち止まったらいけない所で立ち止まってしまう。


「アマミーの大きさって普通くらい?」彼女はしゃがんで、とある箱の並びをを目で追う。


この一角は、派手な色で満ちていた。


「……」


「1箱で足りるかなぁ? アマミーどう? 足りそう?」しゃがんでいる海野は俺を見上げる。


「……帰るぞー」俺は無視してその場を離れる。


 ったく、避妊具売り場をスーパーに設けるなって。……こういう頭がピンクな奴が大量発生するから。


「アマミー待ってよー!」


後ろから聞こえてくる海野の声に振り返ることはなかった。


──何が特別賞だバカ野郎

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