マッスルシンデレラ
乙島紅
マッスルシンデレラ
ねえ、世界でいちばん平等なものって何か知ってる?
お金?
愛?
いいえ。それは——筋肉よ。
筋トレをするのにはお金も愛もいらないし、何より努力を裏切らない。
だから私は鍛えることにしたの。
毎日の雑用にも筋トレの要素を取り入れながら、少しずつ負荷を増やして。
ああっ、今日も聞こえてくるわ。
大腿四頭筋の、悦びに軋む声が……!
「お姉様、シンデレラがまた暖炉の前でニヤニヤしながらスクワットしているわ」
「しっ、今はそっとしておきなさい。万が一あの子の気に障ったら、きっとあのカボチャのような上腕二頭筋が私たちに……!」
「ひいっ! わ、私、部屋にこもって舞踏会の衣装の準備でもしようかしら」
「ええそうね、その方がいい。私もそうするわ」
そういえば、鍛え始めてからお義姉さまたちからいじめられることが減った気がするの。なんでかしらね?
おかげで余計なお仕事を言いつけられることもないし、最近はちょっと暇を持て余しているくらい。
お義姉さまたちはお城の王子様に招待された舞踏会の準備で大忙しみたいだけど、私には関係のないことだわ。
だって、私には着れるドレスがないんだもの。
腹筋を鍛えすぎてしまって、ウエストがその……ね?
そうして舞踏会の日がやってきた。
パーティ日和の爽やかな晴れ。
着飾ったお義姉さまたちは春の花のように美しく、そんな陽気に充てられたのか見送る私の僧帽筋まで初々しい蕾のようにぷっくりと膨れてしまう。
「ご、ごめんなさい、シンデレラ……。怒ってる?」
「私たち、これでも色々手を回したのよ。あなたも一緒に行けないか、って……。なのに……」
「もう、そんなこと気にしないで! 私、ちゃんと分かっているわ。お義姉さまたち、私のためにサイズの合うドレスを探そうとしてくれたでしょう。気持ちだけでも十分よ」
「シンデレラ……」
「それに、私調べたのよ。ダンスってね、体幹がとっても大事な競技なんですって」
「へ、へえ……?」
「私としたことが
「あ、あのー、私たちそろそろ行くわね……?」
お義姉さまたちが出かけて行って、静かな家で一人。
日課の雑用と筋トレをこなしても時間が余った夕暮れ時。
今日は人の目もないことだし、つい「アレ」に手が伸びてしまったの。
そう、シャンデリアよ。
シャンデリアを使った懸垂。
ぷるぷると震える腕の筋肉とシャンデリアの装飾。
凄い! 限界を追求する緊張感が半端ないわ!
高揚感に全身の血流が湧き躍っていた、その時だった。
「ナイスバルク! お腹に凱旋門建ててんのかーい!!」
掛け声と共に家の中に現れたのは、白髪で小太りな気の優しそうなおばさんだったの。
「あらやだ、私ったら。美しい筋肉を前につい熱がこもっちゃったわ」
おばさんはハッと我に返ったようにもじもじと赤らんだ顔を手で覆い隠す。
私も急に気恥ずかしくなって、さすがにシャンデリアから手を離した。
「あの、どちら様でしょうか?」
「端的に言うと、私は魔女よ。あなたにお願いがあって来たの」
「お願い……ですか?」
「ええ。シンデレラ……あなたの力で王子様を救ってちょうだい!」
「王子様を!? え、え? あの、どういうことでしょうか?」
うろたえる私を前に、魔女のおばさんはほろりと涙を流して瞳を拭った。
「今日お城で舞踏会が開かれていることは、あなたも知っているわよね」
「ええ。お義姉さまたちから聞きました」
「実はね……それがちょっとした手違いで、『舞踏会』ではなく『武闘会』になってしまったの」
「ちょっとした手違いとは????」
「とにかく、このままでは王子様の命が危ないわ! 武闘会には血の気の多い者たちが集まっている……! お願い、シンデレラ。どさくさに紛れて王家の命を狙おうとする者たちを、あなたの手で成敗して欲しいの……!」
魔女のおばさんとは初対面だし、舞踏会が武闘会になるなんて眉唾でしかない。一瞬騙されているんじゃないかって冷静な考えも頭をよぎったけれど……それ以上に、全身に火が灯る感じがしたわ。己のためだけに鍛えて来たはずの筋肉たちが、誰かの役に立つ日が来るなんて。
「躍りたい」。
筋肉たちが言う。
私も頷いた。
「躍ってやりましょう」と。
「でも、魔女のおばさま。私、着ていく服がないのです。持っているのはこのトレーニングで擦り切れてしまったぼろ衣くらいしか……」
「心配ご無用よ。私の力でなんとかしてあげる!」
そう言って、魔女のおばさんが杖を一振り。
するとたちまちぼろの衣装が早変わり。
胸や下半身など大事なところはしっかりと隠しつつも、動きやすさと筋肉美を魅せることを重視した最適解のコスチューム。強さを誇示する身体にフィットしたフォルムながら、水色のラメ生地に白いフリルで可愛らしさも織り込まれている。脚はふくらはぎの筋肉のラインをよりはっきりと魅せる白いタイツに、攻撃力高めのガラスのハイヒール。
「最高よ、魔女のおばさま! 俄然アガるわ! 私、これで王子様を狙う
「おかしいわね、口調までヒールになっている気がするけれど……それはさておき行ってらっしゃい! 思う存分暴れて来るといいわ! あ、でも十二時には帰ってくるのよ! でないと魔法が解けてしまうからね……!」
そんなこんなで私は武闘会に参加して、あっという間に優勝したわ。
試合の隙に王子様を狙おうとした卑怯な悪党もいたけれど、なんとか身を挺して庇ったの。そしたら敵の持っているナイフが私の腹筋で刃こぼれしちゃって。「鍛え直してきなさい」って言ったら、王子様だけじゃなく悪党までもが瞳を潤ませて私を見つめていたっけ。
その場にいた誰もが私のことを讃えてくれて、豪勢なローストチキンやらお豆のスープやらプロテインやらがどんどん運ばれてくるし、ウチの護衛にならないかってオファーも絶え間ないし、いろんな人たちからサインを求められるし(仮面をしていたせいで分からなかったのかお義姉さまたちも列に並んでいたわ)で時計を見る暇もなく……。
気づけば十二時の鐘が鳴り出して、私は大慌てでその場を後にしたの。
全速力で走ろうとしたから途中でガラスのハイヒールが脱げてしまって、どこかに失くしてしまったみたい。
裸足で家まで走ったから大変だったけど、全身心地良い疲労感に包まれて夜はぐっすり眠ることができたわ。たまには夜のランニングもいいわね。またいつかやろうかしら。
それから数日後。
王子様が我が家にやってきた。
舞踏会——もとい武闘会の夜、ガラスの靴を落としていった女性を探しているという。
「彼女は命の恩人だ! 是非とも結婚を申し込みたいのだが、彼女の正体についてこの靴しか手がかりがない。そこで、この靴がぴったり足にはまる者を探している」
王子様は応対したお義姉さまたちに対し、そう語ったわ。
盗み聞きしてしまった私は青ざめた。
どうしよう。あのガラスの靴は私のもの。
王子様が私を探してくれていることは嬉しい。
結婚したいと思っていただけるのもこの上ない幸せだわ。
だけど……きっと私はあの靴を履けないに違いない。
なぜなら、裸足で走って来てしまったせいで、足の裏がパンパンに腫れているから。
お義姉さまたちが順番に靴に足を通す。
やっぱりサイズは合わないみたい。
お義姉さまたちが気を遣ってか私を呼びにきた。
私は逃げ隠れたかったけれど、声をかけないと何かされるとでも思っているのかお義姉さまたちは血眼になって探し出してきた。
二人に連れ出され、王子様の面前へ。
「おお、その筋ばった腕……只者ではないようだ」
王子様はそう言ってくれたけど、私は惨めで顔を上げられなかった。
赤く腫れた足は、誰がどう見てもガラスの靴よりも大きい。
「シンデレラとやら。そう悲観するな。ものは試しだ、履いてみよ」
美しい金の箱の上に乗せられたガラスの靴。
私は観念し、その靴の中に足の指をそっと入れる。
ひやりと冷たいガラスの温度が皮膚に触れた、その瞬間。
「やはり君だ!!」
王子様が叫んだ。
「え……」
思わず顔を上げる。
王子様はまっすぐに私を見つめて頷き、あろうことか、その場で跪くようにして屈んだ。
私の足に目線の高さを揃え、ハイヒールを履こうとする姿勢で静止している私のふくらはぎの輪郭を指でなぞるようにして。
「うむ! このモンブランの山のように堂々とそびえるヒラメ筋の美しさ! 間違いない、そなたが昨晩私を救ってくれた女性だな?」
情熱のこもった視線が私の胸を射抜く。
かーっと顔が赤くなるのを感じながら、私は黙ってこくりと頷いた。
王子様の表情が綻ぶ。
そのくだけた笑顔に、筋肉がとろけてしまいそう。
「改めて、申し込もう。シンデレラ、私の妻となってくれませんか?」
「……はい。私で良ければ、喜んで」
その場にいた人たちの歓声が上がる。
お義姉さまたちも、はちきれんばかりの拍手と掛け声を送ってくれた。
「まったくニクいよ、あんたって子は……!」
「幸せになってね、シンデレラ……! 私たちもあなたに負けないくらい筋トレを頑張るから……!」
こうしてシンデレラは、筋肉によって幸せを掴みましたとさ。
めでたしめでたし。
マッスルシンデレラ 乙島紅 @himawa_ri_e
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