夢に誘われて

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話    第一部     第一章  初老の紳士

この年・・・つまり、二〇一〇年に日本に上陸した台風は少なかった。誰もが、今年はもう台風は発生しても、日本には上陸しないと信じ切っていた。だが、この予想は全く外れた。紀伊半島は例年台風の通過路になっていて、二つや三つの台風はやって来る。台風を余り気にはしていない。もちろう、やって来ないに越したことはない。

 ところが、十一月に入り、続け様に二つやって来た。しかも、大きいのがである。特に、後の方が規模は大きかった。十一月十日の夜半、この辺り・・・三重県の中部地方というより伊勢神宮を通過するよう予報だった。

伊勢市駅の東出口を出る地元の人は、今日はいつもより少ない。みんな、帰宅を急いでいる。こんな日だから仕方がない。改札口にいる駅員も構内にしけ込む雨を避けるように、駅員室の中から外の様子を見ている。

横殴りの雨は吹き込む風にのって、駅構内中央付近までしけこんでいた。車で迎えに来るように知らせていたんだろう、二人の男性が構内の中で傘を差し、目を潤ませ立っていた。時々タクシーがやって来るが、誰も乗らない。客を乗せないまま出て行く。

「君、君!」

駅員室にいた駅員は慌てて振り向き、一瞬何が起こったのかと目をくるくるさせている。

「切符、ここに置くよ」

初老の男は、駅員がいない時に切符を入れる箱の中に、切符を放り込んだ。

「あっ、はい、有難う御座います」

と、少し頭を下げ、上目遣いに初老の男の後を追った。

初老の男はボストンバッグを持ち・・・というより引っ張っていたのだが、ゆっくりとタクシー乗り場の方へ歩いて行った。しけて来る雨を避ける風でもなく初老の履いた靴は構内の鈍い明かりに光り、所々に出来た水たまりに靴が入っても、彼は気にしなかった。この辺りの人ではないな、と駅員は初老の男を見て、思った。観光客かな・・・と駅員は首を傾げたのだか、そう断定はしなかった。

初老の男がタクシー乗り場に着くと、いいタイミングで一台のタクシーが入って来た.すくにドアが開き、初老の男は乗り込んだ。風が中まで吹き込んで来る。その老人が、

「ホテル・シティ」

と言うと、ゆったりと座席に背を落とした。

「は、はい」

タクシーの運転手は背中を伸ばし、礼儀正しく返事をした。運転手はこの道に入って二十四年のベテランだった。十二年前、この運転手稼業から足を洗ったことがあったが、二か月後にはまた舞い戻って来た。以後この仕事から逃げ出したいと思ったことがない。職業歴から言うと、ベテランなのである。ベテランのタクシー運転手は、道をよく知っているだけでない。客の声、張り、仕種から、いつの間にかその人となりを感じ取るようになっていた。それがまた当たっていることが結構多い。

乗り込んで来た初老の男に、彼が今まで感じたことのない威圧感が抱いた。多分、一代で・・・そうだ、この男の力だけで、事業を起こすくらいのことをやった人に違いない。運転主はそう感じた。しかも並大抵の会社ではなく、多分・・・彼の想像は止まない、この人は人間としての品格が並大抵ではない。こういう客には敬意を表しなればならない。彼はそう感じた。

運転手は背を伸ばし、バックミラーを一瞥した。彼はすぐに目を逸らした。客の中には長い間目を合わすのを嫌うものが多いからである。

「何処から見えたんですか?」

と、運転手は訊ねた。

「東京だよ。それよりも、明日は大丈夫かね?」

運転手はすぐ明日の天候のことだと直感した。

「明日ですか・・・明日はもう雨もやみ、この激しい風も穏やかになっていると思いますよ」

初老の男の眼に安堵の輝きが浮かんだ。

「訊くんだか、ここから田丸町までは、ここから来るまでどの位かかりますか?」

初老の男は訊いて来た。

「田丸ですか?四十分くらいです。お客さんは、明日田丸に行かれるんですか?」

「その積もりだが・・・」

「そうですか・・・田丸といえば、いい城が出来上がりましたね。この伊勢市に新しい観光の目玉が出来て、私たちも大変喜んでいます。明日、開城式じゃなかったかな」

「そうだよ。そうだよ。私はその会場式に出席するために、東京から来たんだよ」

「そうですか・・・」

運転手は、明日の仕事をいただこう、と明日の迎えの予約を申し出た。

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