8."知"のアンテドゥーロ
……一行は食事を終えて、料理店を出る。夕刻というほどではないが、太陽は西に傾いていた。
今の場所からそう離れてはいない、これで今日は見納めになるだろう──という事で、ジュリアスは帰国する前にもう一度正面から<
片側には美しい景観の街並みが続き、もう片側には河川の水を引き込んだ
行き交う人々は旅の者も含めてごった返すほどではないにしろ、まだまだ多く……大国の
そんな中、彼らの前方に
二、三歩後ろには従者──いや、この国の兵士か。兵隊用の制服に黒帽を被った者が二名、付いて回っている。
「なんだありゃ? ……何処ぞの貴族か、お姫様かね」
「んー……なんかそうみたいっすね」
「何かあってもいけないし、端に寄っておこう」
「だな。面倒事になって金でも請求されたら敵わん」
「いや、それは貴族じゃなくてやくざだから……」
ゴートが呆れながらつっこむが──ともあれ、横一列から縦長の列になり、穏便にやり過ごそうと三人は進んだ。
向こうもこちらの方に向かって、歩いてきている。すぐにすれ違うだろう。先頭のジュリアスは何の気なしにその少女を観察した。
背丈は小柄で容貌は十代半ば、見かけだけならゴート達と同世代だろうか。
しかし、そんな若さを台無しにするように厚ぼったく
大人っぽく見せようと、背伸びでもしているのだろうか……?
いやしかし、彼女が
「──
「……え? ああ、御機嫌よう」
まぁ、挨拶くらいはする事もあるか。間の抜けた顔をしながら、挨拶を返す。
間近の少女からきつい香水の匂いがしており、
「
「……ジュリアスだ」
「ジュリアス……知らない名前に、見ない顔ですね」
「当然だな。俺達はまだ駆け出しで、売り出してすらないからな」
そう言って、
「……彼らはおともだちかしら?」
「仲間さ。冒険者のな」
「まぁ、冒険者! わざわざ遠いところから?」
大仰に演技するように、胸元で両手を合わせながらアンテドゥーロは言った。
そんな彼女をジュリアスは少し冷めた目で見ながら、
「……
「そうですか……それにしても、冒険者……少し見立てが外れましたわ。そのような目立つ恰好をしているのだから、私はてっきり同業者とばかり……」
そして、少女は意味深長にくすくすと笑う。そこで何かに感付いて、ジュリアスはお付きの兵士の様子を見た。
彼らは護衛ではない。少女を見る目は冷めている、というより──
(警戒している……?)
「しかし、軟禁生活に飽きて気まぐれに外出しただけで、
「……悪いが俺にとって神の思し召しなんぞ、悪い予感しかしないよ」
「あら、そうなのですか? けれど、言われてみればそのように考えてしまう人も、少なくないのかもしれませんね……私にも貴方と同様の考えを持つ知り合いが、昔はたくさんいましたし」
「それが、同業者ってやつか」
「……ですわ。ほとんどは死んでしまいましたけど」
少女は声音も変えず、微笑んでいた。
感情的ではなく、かといって無感情というほどでもない。
それは彼女にとって日常の一幕で、特筆すべきことではなかったのだろう。
「でも、哀しい事ではないのですよ? 何故なら──」
彼女は首飾りをしていた。服の中に沈み込んだそれを引き上げると、ジュリアスに誇示するように見せつける。
それは宝飾品ではない。真新しい金属の、二匹の蛇が互いの尾を食い合い、円環を
それは、これ以上ない彼女の身分証であった。
「人間は、生き返る事が出来るのですから」
「何……?」
最初は聞き違いかと思ったが、どうやら違うらしい。ジュリアスは
何故ならば"
「……
その際、ちゃらちゃらと動いた首飾りを再び服の中に仕舞い込むと、彼に向かって微笑んだ。
そして──
「私と貴方の出会いに、感謝を」
アンテドゥーロは手を差し伸べてくる。
その時、ジュリアスは彼女の手を無視したり払い退ける事も出来たが……やめた。大人しく黙って手を握る。
「貴方とは
「断る。悪いが人殺し稼業なんぞ俺には向いてないんでね」
ジュリアスは握手した手をサッと離す。
「……我々はかつてそのような
「暗殺者が村に潜んでいて問題ない訳がないだろう」
「いいえ、教団としては問題ありません。先に述べた通り、彼女は既に教団から放逐されていますもの。彼女が所属していた過去ならばともかく、今に問題を起こしたとして誰が我々の責任を問えましょうか? それでも問題だと
「それはそうだが……」
「冒険者、なのでしょう? 国から小銭を得て、喜んで使い走りするその日暮らしの何でも屋。告げ口も得意なのではなくて?」
「……なんだと?」
「失礼。……しかし、事実でしょう? ごく一部の地域を除けば、この"
「それは……」
ジュリアスは言葉に詰まる。自分の事ならどうとでも言えるが、仲間の事に及ぶと口が重くなる。
二人はまだ駆け出し、新米、経験も覚悟も足りない冒険者見習いだ。
ジュリアス自身、長い目で見て育てるつもりでいる。それは裏を返せば今はまだ、厄介ごとに首を突っ込んでいいほど実力がないのだ……
「考えるまでもないよ。冒険者云々はひとまず置いといて、暗殺者の情報が事実なら協会を通じて通報すればいい」
「……だな! 問題があればしょっ引くだろうし、そうじゃなきゃ無罪放免でしょ。それで解決だ」
「──連れのお二人は楽天的でいらっしゃいますが、貴方はどうかしら?」
水を向けられたジュリアスは神妙な顔つきで話し始める。
「追っている暗殺者が下っ端ならさておき、一流の暗殺者ともなれば、みだりに人を殺したりはしないものだ。そして、暗殺を生業とする者は皆、
「その問いかけには肯定しますわ。……それで?」
「俺の仮定が正しいとするなら、通報してもその初動を抜け目なく察知して暗殺者は逃亡するだけだ。そしてまた、何処かに潜伏する。それでは事態の収拾、事件の解決とはならないだろう。真に解決を試みるなら、国には頼れない。個人でなんとかするしかない。対象と接触出来る可能性があるとするなら、それしか方法はない」
「その通りですわ。我がノーライトの最精鋭ならいざ知らず、スフリンク如き田舎の兵隊に捕まるような元・同胞はおりません。しかし、冒険者なら警戒はされど、言葉を交わす機会はあるでしょう。つまり、今この時、どうにかしたいのなら貴方がたが交渉しなければなりませんね」
アンテドゥーロは微笑みかける。その微笑みはジュリアスではなく、後ろの二人に
向けられていた。
「僕達が……」
「暗殺者と対決──いや、説得するのか……?」
「…………」
──この時、ジュリアスは敢えて口を挟まず、成り行きを見守る事に徹した。
此処がある種の分岐点だろうと思ったからだ。
二人の選択次第で後の運命が決まる。伸るか反るか、どちらを選択しても彼は否定するつもりはなかった。尊重し、受け入れて、続けるにしろ辞めるにしろ、最後まで付き合ってやるつもりだ。
ゴートとディディーは顔を見合わせていた。
口を開くにはあまりに場が重く、どちらも言葉を紡げずにいた。
弱気になるか、強気に出るか。
先程、食事の席で何気なく呟いた一言が今になってのしかかっている。
『結局のとこ、俺らは英雄でも何でもない一般人ですからねぇ……である以上、機密情報ってやつは一切手に入らないわけで。だから、ここであーだこーだと酒の
これまでもこれからも、そのように生きていくのか。
町の一角が世界の全て──そのような
なりたい自分ははたして、どちらなのか。
……その時、ディディーは現実に立ち返って尻込みした。しかし、ゴートは違っていた。先に決断したのはゴートだ、
「──分かった。行こう、ジュリアス。ディディーも」
今までの人生を、ゴートは流されるままに生きてきた。そんな彼が珍しく──立ち
冷静になって振り返れば、
「それがお前の選択なら俺は止めはしないよ」
ジュリアスは静かに言った。腹が決まったなら、水を差す事はしない。
彼もまた、ゴートの背中を押した。
「……ええい、いいや! なるようになれだ、俺も行くか……!」
迷いを振り切り、その場の勢いに任せて、ディディーも賛同した。声を張ったのは内心の不安をごまかしているようにも見えた。
若者らしい血気に
「女の前で無駄に格好つけて、取り返しのつかない虚勢を張る男性は多いわ。今回、動機は違っても性根は同じ。熱に浮かれて先走っても、いいことはありませんよ?
「金や名声でも、ましてや使命感でもない……と、思う」
──売り言葉に買い言葉で、彼女に対する反発心もなかった訳ではない。
それ以外にも上げるべき理由は複数あり、
そのどれもが正しく、どれもが決め手に欠けていた。
しかし、根底にある「
そんな子供じみた純真な動機は、自分以外にはさも不純に思えただろう。
事実、ディディーは絶句して引いているように見えた。
アンテドゥーロからも笑みが消えている。ただ一人、ジュリアスだけが言葉にも
態度にも表さないがゴートを肯定した。
アンテドゥーロは一つ、ため息を
「──それでよろしいのね?」
「……
確固たる理由がないなりにも、正直に答えたゴート。
「そちらの方も、それでいいのかしら?」
「俺? 俺は……付き合うと言った以上は、付き合いますよ……!」
一方、ディディーは言葉とは裏腹にまだ吹っ切れていない様子だ。
無理もない、これが普通の反応だろう。
──二人を横目にしながら、ジュリアスが
「好奇心や冒険心。
「……そもそも、冒険者としての在り方に
アンテドゥーロはそう言って、苦笑する。
「ですから、せめて不意打ちは避けられるよう、この言葉を貴方達に送りましょう。『ネストでは世話になった。あの時の礼がしたい』。誰かを仲介して話す時、会話に混ぜるといいですよ」
「……何かの
「これは
アンテドゥーロは三人向かって、再び優雅に一礼する。
「……それでは、御機嫌よう。貴方がたに
横を通り過ぎようとした彼女に、ジュリアスがぼそりと呟く。
「……それがお前らの教団が
「いいえ。共謀者、ですわ」
アンテドゥーロは立ち止まり、
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