八話 山内深雪 『限りないもの』
――笹島君に案内されて辿り着いたのは意外にも普通の住宅であった。
リビングで三十分ほど待たされた後、彼はクラス委員長の佐々木さんを連れて来た。正直、意外な組み合わせだと思った。
地下室へ降りると、両手両足を縛られ、猿轡を噛まされ、床に転がされている人物がいた。
顔を見なくとも、背格好や髪の色、話の流れからわかってしまう。
それは紛れもなく三品さんだった。
ここで私は佐々木さんの本性を知ることとなる。
彼女はベッドに横たわる三品さんを視界にとらえると、その髪を引っ張って私の足元まで移動させた。段差があることなんてまったく気にしない。
その様は『座布団が欲しかったから一枚持ってきました』という感じで、三品さんを人間として扱う気が無いようであった。
髪を引っ張られること自体は私もされたことがあったので可哀想だとは思わなかったが……佐々木さんの容赦のなさ、戸惑いのなさにはゾッとさせられた。
そんな彼女の言葉は普段の委員長の清楚なイメージとはかけ離れた明け透けなものであった。
「恥ずかしがり屋で、友達が少なくて、声が小さくて、背が低くて、非力……しかも女の子って。そんなのいじめたくなるに決まってるじゃん。だって裏を返せば、辱めやすく、助けを呼ばれず、暴力で制圧しやすいってことでしょ。いじめられる天才かな? ぶっちゃけ私もいじめたかったもん、山内さんのこと」
指折り数えながらそう話す佐々木さんと、彼女のつむじに手刀を打ち下ろす笹島君。
これを聞いた私の内心は複雑であったが、その表情は受け入れがたいと言いたげな渋いものだったような気がする。
それともう一つ。少なくとも彼女は良い人では無いなと思った。
「いじめって生存競争に不向きな遺伝子を排除する意味があると思うわけ。遥か昔、狩猟採集の時代から人間はそうやって強者を選りすぐってきた。氷河期の厳しい寒さの中を生き残ってきた。その性質は今でも何ら変わりなく人間の本能として受け継がれている。社会に適合できない人間を排除するための機能。それがいじめという形で残っている……わかる? 何がいけなかったのかって、山内さんが弱いからだよ。だからいじめられる。力も気持ちも、何もかもが弱いからね――ほら、三品もそう思うでしょ? いじめは、弱い奴が、全部、悪いんだよね。反撃する力があれば、こんなことには、ならない、はずだもんね」
そう言いながら彼女は三品さんのお腹に真っ赤な跡が付くまで何度も何度も蹴りをいれた。お前は今弱者なんだと教え込むように、執拗に。
三品さんはそのたびに呻き声をあげる機械と化していた。
表情は虚ろで、ソースコード剝き出しのウェブサイトの如く感情を読み取らせない目をしていた。
私は佐々木さんに指摘された己の弱さよりも、何よりも、目の前の光景から目が離せないでいた。
そして佐々木さんの言う〝性質〟が本能のどの部分にインプットされているのか、その存在を確かに感じ取った。
それは笹島君から渡された写真を見たときから薄々感じていたことでもある。私はそんな三品さんを見て、餌を前にして鼻息を荒くする犬のように、どうしようもなく興奮していた。
ねっとりと濃い復讐心を纏った欲が私の血液に溶け込み、体中を駆け巡った。
『――いじめたくなるに決まってるじゃん――』
まったく、その通りだった。
学校で三品さんを見たときに抱く感情と、縛られて喋ることすらできない彼女を見て抱いた感情との差。それはどこから来るのか。
『――辱めやすく、助けを呼ばれず、暴力で制圧しやすい――』
三品さんがそんな存在に成り下がっている。
それを見た私の心は恐怖でも焦燥でもなく、クラッカーの音に虚を突かれた時と同様の驚きに打たれていた。
家に帰ってきたらサプライズパーティーが催されていた――そんな気分だった。
怖くない……いつもの威圧感を感じない。
それどころかこれは……愉悦だ。
そんな三品さんを見ているだけで愉しい。胸がすく。
地下室だというのに大空の清々しさを連想させる晴れやかな気分になった。
佐々木さんの洞察は全くもって正しい。認めざるを得なかった。
『――山内さんが弱いからだよ。だからいじめられる――』
この意見を冬休み前の自分が聞いていたら納得できなかっただろう。
全力で反論していたはずだし、佐々木さんのことも嫌いになっていたと思う。
彼女は三品さんと仲がいいと思っていたから尚更だ。だからそっちの肩を持つんだろうと、そう考えたに違いない。
しかし、この状況が私の思考回路を全く別のものに作り替えた。
情報が
――あのいじめは私の弱さが招いたものだ――
嫌になるほどハッキリと自覚した。
今までずっと飲み込めずに咀嚼し続けていたものがスッと喉を通っていき、ストンとお腹の奥底に落ちた。
再び三品さんを見る。
やはりとても無様だった。
あの高慢な三品さんが佐々木さんの足元で泣いている。そしてこの私に対して命乞いに近い何かを伝えようとしている。
何度やめてと言ってもやめなかった三品さんが私に……この私に命乞いをしている。
今まで見たどんな映画のクライマックスよりも衝撃的で爽快感のある場面だった。システマチックに血液を運んでいるはずの心臓がドクりドクりと跳ね、喜びをあらわにしていた。
「そういうことだから。コレ、好きにしていいよ。私たちは上で待ってるから。飽きたら上がってきて」
「えっ、あっ……」
「……と、そうだ。念のために目隠しもしておこうかな。凄まれたら山内さん
「いやっ、あの……」
「ああ、ごめんごめん。これも渡しておかないと……って、わかるよね? これはこうやって使う」
佐々木さんは三品さんに目隠しをすると、何のためらいもなくエアガンを三発撃ち込んだ。そして流れるようにそれを私に握らせる。
顔は狙わないでね……耳元で小さくそうつぶやくと、彼女は笹島君を引き連れてあっという間に地下室を出て行ってしまった。
その間、私は痛みに悶える三品さんから目が離せないでいた。
好きにしていい。
ここまでお膳立てされた上でそんなことを言われたら、今度は自分でもやってみたいと思うようになる。
三品さんの目に宿っていた小さな希望……これを打ち砕いたら、三品さんも私もどうなってしまうのだろう……と、好奇心のように見せかけて、そう呼ぶにはあまりにも結果が見え透いている。
それは正しく欲望と呼ばれるべきもの。
私はただチョコレートが食べたいだけの子供だ。その味がどんなものなのかを確認したいのではなく、ただ甘い物を欲しているだけ。
この一瞬、最大限に満たされたいだけ。
そして欲望とは限りないものだ。
一度食べたらやみつきになって、もっともっとと
無邪気で残酷な子供と同じ。
理性なんて無い。
いじめっ子がいじめをやめないのと大差ない心。
外道の心理状態が完成されつつあった。
『僕は、あなたが悪い人ではないと証明したい……ただそれだけのことなんです』
それを思い出した途端、欲望の触手がピタッと動きを止めた。
私は何か重要なものを見落としてはいないか……突如としてそんな不安が降って湧いた。
結局のところ、笹島君の言う〝あなた〟は佐々木さんのことだった……と、そういうことでいいのだろうか。
そうだとすると、今この状況のどこが悪人でないことの証明になっているのだろうか。
私がここに来ようが来るまいが、佐々木さんの善悪には何ら影響がないことのように思える……だとしたら〝あなた〟って……普通に私のことだったのだろうか。
もしそうであれば……少し立ち止まって考えるべきだろう。
佐々木さんは私に対して〝好きにしていい〟と言い、笹島君は〝あなたが悪い人ではないと証明したい〟と言った……ここへ来て、私はこの状況が単純なものではないということに気付いた。
仮に私が佐々木さんの言うことに従って行動した場合、それは悪い人でないことの証明にはならない。
当然だ。
対抗手段のない相手に対して一方的に暴力を振るう……それが悪だということは、人類の歴史的にも私個人の経験的にも絶対の真理である。
では逆に、この状況で最も正しいことをしようと思った場合……それは弱者に手を差し伸べるということで、つまりは三品さんを助けるということ……信じられないほどの我慢だ。
人生で一度あるか無いかの復讐チャンスを見送るということ……私の中学生活をめちゃくちゃにした張本人を助けるということ……どう考えてもリスクとリターンが見合っていない。
これが善だというのなら私は悪でいい。
……そう思ってしまうほど、笹島君が期待する結末はハードルの高いものだった。
いや、でも……笹島君ならば選ぶのだろう。ほとんど話したこともないような異性の家に訪ねてきて、あんなに大胆な立ち回りができるのだから。
じゃあ私と笹島君では何が違うというのか。
『――山内さんが弱いからだよ――』
まったくもって、佐々木さんの言う通りである。
私は何をするにも一歩踏み出せない。
他人を恐れ、変化を恐れ、周囲に流されるまま生きている。
優柔不断な弱腰人間――他人の想像通りにしか動くことができない人間。
自分でもわかっている。
わかりきっている。
私がいじめられたのは私が弱いからだと、そう納得するくらいには自覚しているつもりだ。
『これからって、何を、どうすれば……最初に何をすればいいの……?』
そこまでわかっているのであれば、次は私が変わる番じゃないか。
今まではその方法がわからずにいたが、この状況はどうだ。これは己の弱さと決別するチャンスではないのか。その方法が明確に示されている状況ではないか。
となれば、私が取るべき選択肢は
それは真の意味で強い選択肢を取るということ――他人にも欲望にも流されない、そんな選択をして自ら行動するということだ。
後悔したって構わない……そんな決意をしたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます