第二話 馬車道で少年と
ブロンゲリアにて狼藉を働いた楽団を殲滅したジュリエットは今、隣国のオーラントにやって来ている。
朝の早い時間帯といえど、この季節の日差しは強い。ジュリエットは黒い日傘で陽光を避けながら、
前方から、けたたましく
その先には子どもが倒れている。
さすがに見て見ぬ振りはできず、ジュリエットは駆け寄った。
「キミ、大丈夫?」
ジュリエットが声をかけるのと、少年が上半身を起こしたのはほとんど同時だった。
バチっと視線がぶつかる。
(女の子? いえ、男の子だわ)
頭は打っていないようだ。焦点も合っている。しかし少年の反応がない。彼女は顔を寄せ、手を差し伸べる。
「立てる?」
少年は自分を見て
(どこかで会ったことがあるかしら?)
ジュリエットが思案していると、思わぬ言葉が返ってきた。
「まるでお人形みたいにキレイだ……」
その声に、一瞬固まってしまう。
次いで、自分の言葉にハッとした少年が、熟練の戦士さながらの勢いで立ち上がった。
「うわわ! ごめんなさい!」
顔を真っ赤にしながら慌てる。その様子がおかしくて、ジュリエットは思わず笑ってしまう。
しかしここは馬車道で、子どもが
事実、少年は右手にケガを負ってしまったようだ。見れば指輪を付けている。それを庇ったのかもしれない。
ジュリエットは少年に説教をしながら、その手をとった。
「えっ──」
両手で包み込み、魔力で癒す。痛みが引いた少年は何かを言いかけたが、人差し指を当てて口を塞いだ。
「これで大丈夫ね。キミ、名前は?」
「リアンです。その、ありがとうございました」
「リアン……」
ジュリエットは少年をジッと見る。自分とは少し違う、生命力に溢れた赤い金髪。
少女のように可憐でありながら、男の子らしさを感じさせる顔立ち。
そして何よりも、宵闇を思わせるほど深い青の瞳。
もっと見ていたい。何故だかそう思ったジュリエットは、ちくりと胸に何かを感じた。
(これは、──瞳のせい?)
その奥を覗こうと、ジュリエットは目を細め──
「お嬢さま、そろそろ」
自分に付き従う執事から呼び止められる。
と同時に、黒猫が胸元に滑り出していた。愛猫は、まだ行かないのか? と訴えるように顔を擦り寄せてくる。
ジュリエットは未練を覚えながらも、少年に別れの挨拶をした。
「ではリアンくん、縁があればまた。ごきげんよう」
「はい! いつかお礼を!」
元気よく返事をする少年に、ひらひらと手を振りながらジュリエットは歩き出した。
(あの子、とても高い魔力を持っているのね。あの瞳をもう少し見ていたかったわ)
いいえ、それよりも──
(胸が苦しくなったのは何故?)
†
「おや、朝早くに誰かと思えばジュリエットかい。こんな所まで来るなんて、どういう風の吹き回しだい?」
ここはオーラント王都テラミナ、西の馬車道沿いにある骨董屋だ。
「まあ、ロゼ
無表情で放たれた軽口とともに、ロゼと呼ばれた店主の前に置かれたのは、ある石板の一部だった。
「
豪快に笑いながら、首に下げた眼鏡をかけるロゼ。その奥の眼は笑っていない。
「まさか。深夜のドレーグを散歩していたら偶然楽団の方々がいらっしゃったので、お話をしたらそれを下さったんです」
「ああそうかい。ま、あんたにとっちゃ
過去、
ドレーグの研究者たちが数ヶ月をかけても解読できなかった
その様子をとくに驚くこともせず、ジュリエットは眺めている。
やがて解読が終わったのか、ロゼは顔を上げた。
「いかがでしたか?
「ハズレだ。
「いえ、ロゼッタ様。老骨ではありますが、お互いまだまだ時間のある身。ゆるりと探しましょう」
いつから居たのか、アデスと呼ばれた執事服の老人が、ジュリエットの後ろに控えていた。
冥府の鍵とはその名の通り、西の魔境にあるとされる冥府への門を開ける鍵だ。ロゼは長年、その鍵を探している。
目的のものではないと知って既に興味は失せていたが、アデスは念のために何が書かれていたのかを問う。
「してロゼッタ様、その石板には何と?」
「ああこれは、昔の人間が書いたもんだね。少なくとも知恵神タームトのもんじゃない」
アデスの質問にそう前置きしてから、ロゼも興味がなさそうに言う。
「書かれているのはただの財宝の
「面倒ですわ」
「まあそうだろうね。じゃ、こいつは処分しちまうよ」
ロゼが指で弾くと、石板は静かに砂となって消えた。
「よし、これで証拠は消えたね。ところでジュリエット、魔女としての力は安定してるのかい?」
「ええ、おかげさまで」
世界に七人いる魔女。ロゼッタは先代『夜の魔女』だ。
ジュリエットは五年前に、
とは言っても受け継いだ力はまだ半分ほどであり、厳密には八人目の
魔女は本来、神と世界の意思が選ぶ。
何らかの理由によって魔女が死亡した際に、突然別の人間が、世界によって選ばれるのだ。
選ばれた人間は強大な力を持つとともに、使命が与えられる。それは魔女によって様々だ。
ジュリエットのように、魔女の力を直接継承すると言うのは実例がない。
世界に縛られる魔女たちの中では異端であり、自由に生きる可能性でもあった。
「で、あんたらはもう
「ええ、
久しぶりに会ったにも関わらず、用事が済めばもう帰ると言う
「そうかい、忙しくて何よりだよ。それじゃあ、忙しいついでに一つ頼まれてくれないかい?」
──また面倒ごとかしら?
訝しげな目を向ける
「あんた西に戻るんだろ? ある少年をマリアの所に連れてってほしいんだ」
「少年? どんな事情ですの?」
「あたしでもビックリするような
ロゼッタが水晶球に両手をかざし、ゆらゆらと動かし始めた。
「それで、どうしてマリア様の元に?」
「ああ、あれだけの魔力だ。もし暴走しちまったら死んじまうかもしれないだろ? そうでなくとも、魔術師どもの研究材料にされるのがオチさ。──どうにも不憫でねぇ。マリアなら上手く隠してくれるだろう」
ああでもないこうでもない、という風に手を動かすロゼッタ。水晶球に映る中の様子が変わっていくのを眺めながら、ジュリエットはさも当然な疑問をぶつける。
「高い
「ま、気まぐれさ。──おや?」
およそ納得しがたい適当な返事をした
「もう王都を出ちまったね。実はその少年、ちょっと厄介な事に巻き込まれそうでねぇ」
「厄介なこと? ロゼ
水晶球に集中していた視線を上げ、ロゼッタは
「楽団
ジュリエットの表情が冷酷な笑みに変わった。
「少年の名前は?」
「リアン」
ロゼッタは短くそう答えた。
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