カフェオレ 2

 翌日、私は煉瓦珈琲でシフトに入る。赤色のカフェエプロンを身に着けた私は、エントランスの『準備中』の札を『WELCOME』に入れ替える。

「舟入さん、おはようございます」

 話しかけられて、私は声の主を見る。短い髪の、女の子だった。赤色のマフラーを首に巻き、ベージュの小さなコートを着ている。肩から提げているのは、小さな赤色のポシェット。身に着けているものを暖色系でまとめているから、かわいさもあって見ている私も温かい気持ちになる。だが、

 この子、どこかで……あっ、

堂場どうばさん? 堂場さんなの?」

「はい」

「ごめんね、かわいくしているからすぐ気づかなかった」

 剣道クラブに通うときは、男の子みたいな格好をしているのに。

「変、かな?」

「褒めてるんだよ。ささ、中に入って。寒いから」

 つい自宅に友達を招き入れるような話し方をしてしまう。彩夏ほどの年下の子とあまり話したことがないから、ちょっとだけ嬉しい。

 颯も、こうして彩夏と話すのを許してくれているのだし。

「お邪魔します。こんな店初めてだから、ちょっと緊張するな」

「普通にしていいんだよ。今は他のお客さんもあまり来ないし」

 私は、彩夏を店の中に入れた。

「暖かい」

 彩夏はつぶやきながら、赤いマフラーをほどいた。店の装飾や照明が気になるのか、きょろきょろしていて視線が落ち着いていない。

「こちらにどうぞ」

 向かい側がすぐキッチンになっているカウンター席の椅子を引く。

「ありがとう」

 彩夏はコートを脱いで壁のフックにかけると、腰かけた。

「すぐにお水とメニューをお持ちしますね」

 私はキッチンに入り、メニューとお水を持ってくる。彩夏はメニューを受け取ると、開いた。

「あっ、カルボナーラ、お願い」

 即座に注文してくる。

「え? それ?」

 開店と同時にパスタを注文してくるお客さんなんて、初めてだ。

「パスタはまだやってない?」

「いや、用意はできるけど、お昼までかなり時間あるよ。まさか朝ごはん食べてないの?」

「食べたんだけど、さっき一時間走ったり竹刀振ったりしたから、お昼までもちそうにないの。お願い」

 この子もストイックだ。ちゃんと休みの日も体を動かしているなんて。

「わかりました、カルボナーラ一点ね」

「あーっ、飲み物とセットで大盛り無料なんだ。じゃあそれで」

 彩夏は、メニューの片隅の文言を目ざとく見つけてきた。

 私は伝票を書こうとした手を止める。

「お昼ごはん食べられなくなって、親御さんに叱られるよ」

「お昼前に走ってお腹空かせるから」

 さっきすでに運動したのに、また運動すると言ったよこの子。

 ちょっとついていけない。

「それで、お飲み物は?」

「カフェオレで」

「昨日飲んだばっかりなのに?」

「あれ、おいしかったの。また飲みたいな」

 メニューで顔を半分隠しながら、彩夏は私を見上げてくる。

「かしこまりました。お飲み物は食後にお持ちします。少々お待ちください」

 私はキッチンに戻り、カルボナーラを作り出した。お皿に盛りつけると、彩夏の前に持ってくる。

「お待たせしました。カルボナーラ大盛りです」

 湯気を上げる料理を前に、彩夏は目を輝かせる。

「おいしそう、いただきます」

 フォークを手に取って、カルボナーラをがつがつと食べ進めていく。無我夢中で、遠慮がなかった。私に見られていることも気にしている様子がない。むしろこうも旺盛に食べてくれたら、作った側も嬉しくなる。

 ――彩夏、食べるのが好きなんだ。

 爽太に似てほっそりだが締まった体つきをしているのは、よく食べている上で、よく動くからだろう。

 あっという間に、彩夏はお皿を空にしてしまった。

「ごちそうさま」

 彩夏は満足した様子だ。

「では、カフェオレ準備するね」

「お願いします」

 私はミルにコーヒー豆を入れた。ゆっくりと挽いていく。

「いい香り。コーヒーを豆から挽いて淹れるところ、見るの初めて」

「私も、この香りが大好き」

「舟入さん、どうしてコーヒーを?」

 期待した目で、彩夏は尋ねてくる。

「お父さんがきっかけかな。コーヒーが大好きで、私が堂場さんくらいの歳には、よくこうやってカフェオレを作ってくれたんだ」

「へー、おしゃれなお父さんだね。そのお父さん、今もコーヒー淹れてくれるの? ひょっとして舟入さん、こんな店で働いているくらいだから、淹れてあげてたりして」

「できれば今も淹れてあげたかったんだけどね。お父さん、私の淹れるコーヒーはおいしいってよく言っていたし」

 私はコーヒー豆を挽く手を動かしたまま言う。

「言っていた?」

 私が過去形で話したことに、やはり彩夏は引っかかったらしい。

「私のお父さん、亡くなっているから。お母さんもだけど」

「え?」

「三年前に事故でね」

 町に買い物に出かけているとき、酒気帯びで暴走したトラックに衝突した。両親の乗った車と、親子の乗ったもう一台、合計二台の車が巻き込まれた、大きな事故だった。私だけ自宅にいたから、こうして生きている。

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