憧れの先輩に告白して振られた。先輩の弟に俺と付き合ってよと言われた。

雄哉

第1章 年越しの大祓 1

 今日はクリスマス。

 告白の予定まであと五日。

 私、舟入ふないりあかりは、カフェ煉瓦珈琲レンガコーヒーでシフトに入っていた。名前のとおり、煉瓦の外装がおしゃれで、店内も壁のところどころに煉瓦があしらわれた店だ。ワックスがかけられた木の床に電球色の照明という組み合わせは、いるだけでも落ち着いて、気に入っている。

 私は挽いたばかりのコーヒー粉にお湯を注ぐ。コーヒー粉がチョコカップケーキみたいに膨らみ、湯気が立って、コーヒーの苦くて深い香りが店内に漂った。

 コーヒーを淹れ終えた私は、カップをトレーに載せると、客席に持っていく。

「お待たせしました。ブレンドのコーヒーです」

 カウンター席に腰かけているお客さんの前に、私は淹れたてのコーヒーを置いた。

「ありがとう、舟入さん」

 そのお客さん――井口颯いのくちはやては、さっそくそのコーヒーに口をつけた。私はその瞬間だけ、接客のことも忘れて、その顔を見つめる。

「おいしい」

 さらさらした黒髪によく似合う、柔らかな目つきの彼が、にこりと笑った。物腰が柔らかくて、傍らに黒い布袋に入った竹刀と、剣道着や防具が入った大きなリュックがなければ、武道家だとわからないくらいだ。

「ありがとうございます」

 私も笑みをこぼした。

 颯は、私が通う公立大学の一学年上の先輩にして、このカフェ、煉瓦珈琲の常連さんだ。大学の構内ですれ違うこともあるけれど、会って話すのはこの店のほうが多い。師範のお手伝いとして子供たちに剣道を教えていて、その稽古の前に、よくこうして煉瓦珈琲に立ち寄ってくれる。

「今日も、稽古なんですね」

 私は颯の傍らに立てかけられている竹刀を見て言う。

「うん、今日が今年最後の稽古日」

「今日も頑張ってくださいね」

「頑張るのは子供たちだよ。俺は教えているだけだし」

「……そうでした。でも子供に教えることがあるのってすごいです」

「どうも」

 颯がまた笑ってくれた。嬉しい。

「わ、私、応援しています。では」

「あ、舟入さん」

 カウンターに戻ろうとしたとき、颯に呼び止められた。

「誕生日おめでとう」

「あっ、覚えていてくれていたんですか」

「クリスマスが誕生日だと覚えやすいし、俺の誕生日も覚えてくれていて、プレゼントまでくれたから」

 颯の誕生日は、十月だった。そのとき渡したプレゼントとは、私がブレンドしたコーヒー豆だ。

「ありがとうございます」

 頭を下げて、私は颯の席を離れていく。私と颯の会話を聞いていたお客さんに「おめでとう」と言われ、ちょっと赤面しながら。

 お客さんから注文を取って、またコーヒーを淹れたり、軽食の用意をしたりしているうちに、時間ばかりがたっていく。颯とまた会えたことにも、誕生日を祝ってもらったことにも、呆ける暇はなかった。

 五日後に告白をする予定の相手が颯であることも、ひとまず意識の片隅に置いて、私は働き続ける。

 お客さんにコーヒーを運んでいる間に、つい颯に視線がいくことがあったが、

 この店を一人で訪れる颯は、本を読んで過ごすことが多い。今日も、文庫本を読んでいた。表紙に和服姿の人物が描かれているから、時代小説だろう。

 私も本は読むほうだから、颯におすすめの小説を教えてもらえるだろうか。


 私があくせくしているうちに、時間がたつ。

「舟入さん」

 ちょうど新規のお客さんのコーヒーを用意して、運ぼうとした私は、呼び止められた。眼鏡をかけた、三十代前半の正装した男の人。この店を経営している黒崎秦之介くろさきそうのすけだ。

「何ですか?」

「彼、お帰りだよ」

 言われて、私は颯の席を見る。

 颯は立ち上がっていた。ジャンパーを羽織っている。

「そのコーヒーは私が運ぶから、行っておいで」

「は、はい。お願いします」

 私はコーヒーを秦之介に任せると、レジに向かった。

 荷物をまとめ、剣道着などが入ったリュックを背負った颯が、後からレジに来る。

「今日もごちそうさま」

 彼は言いながら、伝票とコーヒーの代金を渡してきた。

「いつもありがとうございます」

「じゃあ、また」

 颯は、店を出ていく。

 エントランスのベルが鳴って、ドア越しに店から離れていく颯を見送る。

 そのときに、私は気づいた。

 颯に確認したいことがあったのに、確認するのを忘れていた。

 誕生日を祝ってもらったことにびっくりしたから。

 でもシフト中に店の外に出て、彼を追いかけるわけにもいかない。

 まあ、大丈夫だろう。

 颯が稽古に向かうまで、まだ時間があるから。


 シフトが終わり、次のシフトの人が来たのを確認したところで、私は私服に着替え、バックヤードを後にする。

「お疲れさまでした。お先に失礼します」

 厨房で軽食の用意をしている秦之介に挨拶をした。

「ああ、お疲れさま」

 秦之介は軽く手を振ってきた。

 私は店を出ると、道路を挟んで向かいにある神社に向かった。

 くすのき神社といって、この町で最も大きな神社だ。立派な神門があるし、境内は広いし、江戸時代に建てられた銅葺の屋根の社殿に厳かな雰囲気がある。そして、拝殿手前の傍らには、樹齢何百年という楠が、参拝に訪れる人々を見守るように佇んでいた。

 祭りや初詣になると多くの人が訪れる、地域のちょっとした中心地だ。

 そして、この町の大学に進学した私が、よく訪れる場所でもある。

 私は神門のところで一礼して境内に立ち入る。境内の鳥居には、すでに茅の輪が設置されていた。神社を訪れた人たちが、8の字を描くようにして茅の輪をくぐっている。

 そのとき、颯が社務所から出てきた。

 一緒に出てきた中年の恰幅のいい男の人と話をしている。あの人は、高須義友たかすよしとも

 この神社の神主をしていると同時に、颯がお手伝いをしている剣道クラブで師範をしている人だ。

 義友は、境内に私が訪れているのに気づいた。私と目を合わせると、

「井口、煉瓦珈琲の人が来たぞ」

 義友は声が大きくて、離れていても声が私の耳に届く。

 そして颯も、私に気づいた。

「ああ、舟入さん、シフト終わったんだね」

 颯は、にっこりと微笑んできた。

「はい。井口先輩は、これから稽古ですよね」

「境内の清掃や夕拝も終わったし、これから体育館に向かうところ」

「大変ですね」

 大学の講義や課題もあるのに、神社と剣道クラブの両方のお手伝いをするなんて、忙しそうだ。苦労も多いだろう。でも颯は、不満を吐いたことはない。

「好きでやっていることだから」

 颯は、さらりと言った。

「こっちも、いろいろ助かっているよ。剣道の腕は確かで子供たちに教えるのがうまい。神社のことも覚えるのが早くて、すぐ詳しくなったしな」

 義友は、そうやって颯を褒めている。

 私はまだ、颯が剣道をしているところを見たことがない。剣道クラブの稽古場である町はずれの体育館は、私が普段行かない場所だから。

 でも神社のことに詳しいのは、同感だ。この町で暮らし始め、颯と知り合ってから、神社のいろんなことを教えてもらった。手水や参拝するときの作法、神社で行われるいろんな行事とその起源。さらにお賽銭はお米などで、収穫の感謝を神様に伝えるためだったなどという軽いうんちくまで、いろんなことを颯から教わってきた。

「颯には、いっつも助けられてばっかりだな」

 義友は、ご満悦な様子だ。颯のことを信頼しているのがうかがえる。

「こちらも、弟がいつもお世話になっています」

 弟――井口爽太いのくちそうた。私はあまり話したことはないが、母親が煉瓦珈琲の常連さんで、たまに連れてこられることもあるから、顔はよく知っている。兄の颯とそっくりな子だ。

「爽太にも助かっているよ。他の子、特に下級生への面倒見がいい」

「ありがとうございます」

 弟を褒められた颯は、ちょっと嬉しそうだった。何かと弟のことを気にかけている、颯らしかった。

 義友は、ふと腕時計を見た。

「おっと、そろそろバスの時間じゃなかったか? 爽太も待っている」

「そうですね。行きます」

「舟入さんも、ごゆっくりな」

 義友は、境内片隅の駐車場に止めている車へと向かっていく。私は義友にお辞儀して、見送った。

「じゃあ、俺も行かないといけないから。ばたばたしていてごめん。せっかく参拝に来てくれたのに」

「大丈夫です。ただ、一応確認してもいいですか?」

 確認するのを、忘れてはいけない。

 参拝もそうだけど、このために、私は楠神社に来たのだから。

「ん?」

年越しの大祓おおはらい、予定どおり執り行われますよね」

 年越しの大祓、五日後の十二月三十日に予定されている、この神社の主な行事のひとつだ。六月末日に行われた夏越しの大祓以後、体にたまった穢れを落とし、今後の無病息災を祈る。

「準備は順調だよ。舟入さんも来るんだよね」

「絶対に行きます!」

 緊張のあまり、つい、声が強くなった。

 颯はびっくりしただろうか。だが、

「待っているよ。人形は忘れないように」

「はい」

 私は返事をしながら、人形の扱い方を頭の中で復習していた。和紙を人形に切って作られた人形に、自分や家族の名前と年齢を書いて、それで体をさすり、息を三回吹きかける。それで、人形にこの半年でたまった穢れを移す。颯に教えてもらったことだ。

「じゃあ、弟を待たせているから」

 颯は、境内を出ていく。

「稽古、頑張ってくださいね」

 私がその背中に向かって言うと、颯は片手を上げて応じてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る