筋肉は口ほどにものを言う

千石綾子

筋肉は口ほどにものを言う

「良いサプリがあるんだけど、どうだい」


 通っているジムの休憩室で、男が声をかけてきた。実に怪しい。


「結構だよ。間に合ってる」


 こういう時は最初に毅然とした態度をとるのが大事だ。


「怪しいものじゃないよ。筋肉を育てるサプリだ。俺も飲んでるよ」


 見れば男の身体は実に見事だ。バランスよくがっちり、むっちりとした筋肉がついている。どんなトレーニングをすればこんな風になれるんだろう。


「トレーニングは君と同じくらいの内容だよ。でもこのサプリを飲んでいるとこうなるんだ。試しに1瓶やるよ」


 男はサプリの瓶を投げてよこした。僕は思わずキャッチする。しかし、ステロイドなんかだったら大変だ。


「ステロイドならやらないよ」


 僕が言うと、男は大きく横に首を振る。


「危ない成分は皆無さ。俺だって健康には気を遣ってる」


 僕は男の筋肉を見つめた。サプリでああなれるなら飲まない手はない。ちょっとだけ、と僕は1日2錠のサプリを飲み始めた。


 結果から言えば、サプリは大正解だった。

 今までは努力が空回りしていただけという感覚だったが、このサプリを飲み始めてからは目に見えてモリモリと筋肉がついてくるようになった。

 男に購入の意思を伝えると、1月分1瓶2980円で良いと言う。そんなまさか! こんなに画期的なサプリがそんなに安くていいものだろうか。

 しかし買う側からすれば非常に有難い。僕はトレーニングとサプリの効果で、ごりごりと筋肉をつけていった。


「最近すごく良い感じよね」


 コーヒーを飲みながら、奈美が笑顔を見せた。彼女の笑顔は本当に可愛い。

 出会ってすぐ、華奢で色白な彼女に僕は一目惚れをした。しかし彼女の好みは意外なものだった。


「男の人はやっぱりたくましくないとね。理想はドウェイン・ジョンソンかな」


 完敗だ。僕は彼の飼い犬よりも弱々しい。趣味は読書とゲームで、運動はしない。身長はあるものの、ひょろひょろのガリガリだ。

 しかし僕は諦めなかった。奈美の好みがザ・ロックなら、石ころみたいな僕だって努力でなんとかなるかもしれない。

 かくして僕の筋トレ生活が始まったのだ。


 そして、自分の筋肉がジェイソン・ステイサム位になった時、僕は彼女に告白した。答えはOKだ。筋肉よ、ありがとう。努力と筋肉は決して裏切らない。

 そんな時に、このサプリに出会ったのだ。



 ところでこのサプリには一つ大きな問題があった。


「最近食事のバランスが良くないな。もっと鶏肉とかブロッコリーを摂れ。炭水化物もエネルギーになるんだから、運動の後にはしっかり摂るんだ」

「鍛えるのもバランスが必要だ。大胸筋と大殿筋をもっと鍛えるんだ」


 トレーニングや食事の最中などにひっきりなしに話しかけてくるのは、ジムのトレーナー……ではない。僕の筋肉だ。

 始めは妄想かと思った。しかしサプリを売っている男に相談したところ、顔色を変えてこう言った。


「その事は絶対に口外するな。たまに出る副作用だが、人に話せば大概精神を病んでいると思われるからな」


 そんな副作用、先に言ってくれ。しかし筋肉のアドバイスは的確だ。確実に結果を出してくる。

 おかげで僕の筋肉は驚異的な育ち方をした。身長こそ若干足りないが、今では彼女の憧れのドウェイン・ジョンソン並のボリュームがある。

 これには奈美もメロメロで、とろけるような笑顔で僕を見上げてくる。これはもうこのままプロポーズしてしまうべきだろうか。僕は貯金をはたいて指輪を買った。忙しくてなかなか会えないけれど、なんとか1か月後にデートの約束をとりつけた。



 そして今夜がそのデートの日だ。夜に向けて自室で身体を仕上げていると、ふいに筋肉が呟いた。


「お前は大した奴だ。コツコツと努力してここまで私を育ててくれた」

「自分のためにやったことだよ」


 僕はダンベルを上下させながら鏡を見る。確かにサプリのおかげではあるが、よくぞここまで鍛え上げたものだ。


「もう私も独り立ちできるまでになった。ありがとう」

「──は?」


 筋肉の言っている意味が分からずにぽかんとしていると、身体が急にむずむずしてきた。続いて木をへし折るような嫌な音を立てて、僕の身体がぐねぐねとうごめいた。


「うわ……っ」


 何がどうなったのか、僕の前には筋肉の塊が立っていた。どことなく人のような形をしている。


「世話になったな。私が教えたことを忘れずに、また鍛錬するのだぞ」


そう言い置いて、筋肉の塊はすたすたと歩いて行き……姿を消した。あまりに奇妙な出来事に呆然としていた僕は、何気なく鏡を見て悲鳴を上げた。


「僕の……僕の筋肉……!」


 鍛え上げた体は嘘のように貧弱になってしまっていた。元のひょろひょろのガリガリだ。

 なんてことだ。筋肉が育ち切ってしまうと独り立ちしてしまうなんて、聞いていない。


 今日は奈美にプロポーズをする大切な日だというのに。僕はがっくりと床に膝をついた。

 しかし落ち込んでばかりもいられない。予約したディナーの時間は迫っている。

 着ていくはずだったスーツはぶかぶかになってしまったため、急いでスーツを買いに行き、その足でレストランへ向かった。


 遠くから歩いてくる僕を見て、明らかに奈美の表情が驚きに変わり、見る見るうちに曇っていった。


「ごめん、その……なんか、ごめん」

「大丈夫? しばらく会わないうちにこんなに……病気とかじゃないわよね?」

「違う、身体は健康だよ。でも筋肉が……」

 

 やっぱりこんな状態でプロポーズなんかできない。自信がない。こんな僕じゃ別れ話を切り出されてもおかしくない。


「大丈夫よ、筋肉ならこれから頑張ってつければいいのよ! あなたには素質がある。努力と筋肉は裏切らないわ」

「え……」


 奈美の目が燃えていた。


「私がトレーニングも食事も管理するから! 結果にコミットしてあげる! だから……いっそ結婚しましょう、私達!」

「えええええええ?」


 こうして僕たちは結婚することになった。奈美はなかなかのスパルタで、僕の筋肉は今順調に育っている。

 そして、もちろんあの怪しいサプリは使っていない。


 

                  了


(お題:筋肉)

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