第2報

JR上野東京ラインで東京駅まで移動したのち、丸の内線で国会議事堂前駅に移動する。階段を使い地下鉄の駅から地上に出ると、この冬一番の寒波に襲われた東京の空気が体を包み込んだ。

電車内や駅舎内で外していたコートのボタンを付け直し、白い吐息を出しながら永田町を歩み続ける。駅から出て数分で、目的地としていたその庁舎へとたどり着いた。

東京都千代田区永田町。首相官邸、国会議事堂、国立国会図書館など、霞が関と並んで、国の重要施設が所狭しと並んでいる。この国家の中枢というべき場所。その一翼を担っている内閣府庁舎が、自分の今の職場だった。

ここが職場になって、1年ほどは経つだろうか。隣の霞が関にある中央合同庁舎第2号館が本来の職場ではあるが、各省庁間での出向、人事交流によって他の省庁で働くというのは、決して珍しいものではない。政府の中枢とも言うべき内閣府へ出向が決まり、この永田町の地に降りたときはこの年ながら妙にそわそわとしていたが、今やすっかり見慣れた地だ。

敷地内に入るとき、警備員に『上原悟 内閣参事官』などと書かれているICや顔写真付きの身分証明書を見せ、首から下げる。庁舎内に入ると、階段を使い自分の勤めている部署がある3階へ移動した。

その道中、見知った顔があった。


「……あ、長官補。おはようございます。磯崎さんも」

「上原君、おはよう」


内閣府庁舎の一室、事態室が置かれている部屋。その部屋のすぐ近くで、ちょうど自分の上司である香山雄太内閣官房副長官補がいた。もう1人、磯崎参事官とともに、何かを話しながら歩いている様子だった。


「上原さん、おはようございます……では私はこれで。お疲れ様です」

「はい、お疲れ様です」

「お疲れ」


磯崎邦尾参事官からも挨拶をされ、こちらも返していく。今日は宿直をやっていた日だったか。ちょうど帰るところのようだ。

私が勤めている部署は『内閣官房副長官補(事態対処・危機管理担当)付』というのが正式な名称である。が、内部ではもっぱら事態室と呼ばれている。事態室は、正式名称の通り内閣官房副長官補の補佐役として活動している。

職務内容は、やはり緊急事態に関する物だ。緊急事態として対処を必要とする事柄は多数ある。自然災害、弾道ミサイル、テロ、鉄道、航空機の事故等々……

それらの緊急事態が起きたときにどのような対処を行うのかという企画の立案、そしてその緊急事態が実際に発生した際、官邸危機管理センターにて各省庁や関係機関からの情報集約、そして迅速な初動対応の調整を実施する。

私が1年ほど前にこの事態室へ来てからも、事態発生として危機管理センターで情報集約を実施した例は何回もある。台風の上陸、北朝鮮からの弾道ミサイル発射、東北、北海道を中心とした大雪による被害など、昼夜を問わず事態対処のために参集された事態は何回も起きていた。

また、緊急事態発生の際にはその場にいた職員は勿論、業務時間外の者でも可能な限りすぐに駆け付けることになっている。北朝鮮のミサイル発射の際には、休日に家でのんびりと過ごしていた中、参集され大急ぎで駆け付けることになってしまった。

それらの事案において、我々は情報集約を迅速に実施した。想定や訓練の通り迅速な対応を実施し、その時を乗り越えてきた。緊急事態への対処は万全であった。


「何か話をされていたんですか?」


磯崎参事官を見送ると、長官補に対しどんな話をしていたのかを聞いた。

特に深い意味はなく、ただの興味本位だった。


「いや、世間話をしていただけだ。次の中央防災会議で発足予定のワーキンググループについて少し確認を取ったが、あとはたわいもない話さ」

「ワーキンググループ、というとオブザーバー参加の件ですね」


長官補は首を縦に振った。内閣総理大臣を会長とした中央防災会議だが、その決議によって専門調査会、ワーキンググループ、検討会などの組織が設置される場合がある。今回事態室が参加するのは『相模トラフ沿いの大規模地震による被害及び防災対応に関するワーキンググループ』だ。

委員は大学教授や研究所などの専門家だが、オブザーバーとして消防、警察、自衛隊、海保のみならず、国交省、厚労省、経産省、さらには都道府県の災害関係担当者も参加する。そしてこの事態室もである。

このワーキンググループが、次の中央防災会議にて新たに設置が決定される。実際に会議が開催されるのは2週間ほど後だが、すでに議論の内容は決まりつつあり、ワーキンググループの発足準備も始まっていた。


「次回開催の中央防災会議では首都直下型地震が目玉となるが、従来想定されていたM7クラスの活断層による地震のみならず、相模トラフでのM8クラスの地震についても詳細に検討することになる。ワーキンググループの設置に際し、事態室からも磯崎参事官がオブザーバーとして参加する予定だからな」


首都直下型地震。これまでもたびたび議論されてきた地震だ。東京の地下にある活断層を震源とする、阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震と同じ、都市直下型の内陸地殻内地震が想定の中心だった。一方、今回追加で想定される相模トラフでの地震は、プレートのひずみによって引き起こされるプレート間地震だ。

相模トラフ周辺地域は、今まで注目されてこなかった地域……というわけではないが、やはりこの手の話題で真っ先に挙げられるのは南海トラフでの地震だろう。M9を超える地震の想定が行われているし、地震周期から考えて発生確率も高まっている。人的被害、経済的損失なども日本で想定されている地震の中ではトップクラスだ。

とはいえ、それ以外にも日本各地に地震が発生しうる地域はたくさんある。ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートが日本列島や周辺海域に存在することによって、日本は世界有数の地震大国と化している。

プレートだけでなく、活断層も数多く存在する。日本では2000を超える活断層が発見されており、未発見のものも含めるとさらに多く存在する。日本ではあらゆる地域で地震発生の可能性があるといっていい。相模トラフも、当然想定すべき地域の1つだった。

この地域で発生した地震として思い浮かばれるのは、やはり関東大震災を引き起こした大正関東地震だろう。1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の地震は、死者行方不明者合計で10万人以上を発生させた。これは日本の歴史上でも最大規模での被害だ。地震の直接的な被害、津波などによる犠牲者もいたが、この時は火災での死因が9割程度にのぼっていた。

日本の災害史に残る災害。それがこの相模トラフで発生していた。


「しかし、年を追うごとに想定をしなければならない被害が増えている気がするな、想定をしているうちに想定してないところで発生してばかりだしな」

「まあ如何せん、地震大国なだけあって検討が必要なところもたくさんありますから。この列島に地震と無縁な場所なんてありませんし、自然の脅威である以上中々計り知れない部分もありますから」

「まあ、それはそうだな。日本にいる以上、地震とは切っても切れない関係だしな……っと、そろそろ行かないと」


長官補は何かを思い出したように腕時計を見た。あまり立ち話をする余裕はなかったのかもしれない。かく言う自分も長々と続ける余裕はなかった。


「あぁ、呼び止めてしまい申し訳ありません」

「いや大丈夫だ、それじゃ」


お辞儀をして長官補を見送る。スタスタと庁舎内の廊下を歩いて行ったのを確認すると、今度こそ事態室の方へと向かい始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る