ドローン

マツ

ドローン

「ミロ、最後まで溶けないですよ」

 マスク越しに赤坂は言った。

「溶けるよ」

 マスク越しに水野は答えた。嘘だった。水野もミロを完全に溶かせた試しがない。

「混ぜ方が足りないのでは?」

「いやめちゃくちゃ混ぜましたよ」

「何回?」

「100回くらい」

 ミロは100回混ぜても溶けない。水野は心の中にメモった。


 赤坂は水野を見ない。水野も赤坂を見ない。二人の視線は上空の、赤坂が操作するドローンに向けられていた。猛暑が続く7月の12時、空は幸いにも厚い雲に覆われている。晴れていたら直射日光に顔を焼かれながらドローンを目視し続けなければならず、工事の昼休みを利用した訓練は、想像を絶する苦行になっていたことだろう。

「じゃあプラント構内に移動させますね」

 ドローンが左へ動く。二人の視線も左へ動く。濃淡の加減で白い機体と雲が、ときおり同化し見えなくなる。「保護色!保護色!」と言いながら水野は笑う。赤坂も笑う。水野と違ってドローン操作に慣れている赤坂は機体が雲のどの位置に来ても輪郭を見失うことはない。赤坂が笑ったのは年上の水野の無邪気さがおかしかったからだ。ドローンは銀色の化学プラントの真上で数秒静止したあと垂直に降下する。

「なんで現場に異動するんですか?」

「総務、飽きちゃったから。会社も喜んでるよ。現場は慢性的人手不足だし。女性の現場監督は広報のいいネタになるし」

 水野が着用している作業着は彼女の体型を採寸して作られた特注品だ。それでも赤坂には着ている、というより着られているようにしか見えない。プラント工事の現場はおそらく水野が想像しているよりずっとハードだ。それほど体力がありそうにない水野に耐えられるのだろうか。降下したドローンを再び上昇させる赤坂には、二次請け、三次請の作業員たちに指示を出す水野の姿を思い浮かべることができない。

「無理って思ってるでしょ」

 見透かしたように水野が言う。

「思ってないですよ」

 プラントから姿を現したドローンを、今度は左に動かしながら赤坂が答える。

「200回混ぜたら溶けるよ。私はいつも200回混ぜてるからね」

 なんだよミロの話かよ。ドローンは二人の頭上で静止する。赤坂はゆっくり降下させる。

「俺、納豆なら200回くらい混ぜますよ」

 え、と水野が赤坂を見る。赤坂も水野の視線を感じて彼女を見返す。降下していたドローンが地上3メートル地点で停止する。

「なんでそんなに混ぜるの。バカなの」

「いやいや、納豆は混ぜれば混ぜるほどまろやかになって美味しいんですよ。試してみてください」

「マジか、今度やってみるわ」

 納豆は200回混ぜるとまろやかになる。水野は心の中のメモをもう一枚増やす。

「これからはタンパク質もしっかり取らないと体力持たないもんね」

 赤坂は再びドローンに視線をやり、二人の目の前に着地させる。

「じゃあ水野さん、やってみますか?」

 赤坂がコントローラーを水野の前に差し出す。

「いやもう一回赤坂くんがやって、今度はコントローラーの動かし方をしっかり見ておきたい」

 珍しく慎重だな。経費処理を頼んだ時の水野の、やや雑な仕事ぶりを思い出し、赤坂は意外に感じる。しかし赤坂はすぐに思い直す。慎重なんじゃない。真剣なんだ。

「プラントのドローン点検はうちも昨年始めたばかりです。操作に習熟すれば、現場で水野さんの武器になると思いますよ」

 赤坂は水野の目をまっすぐ見つめ、真面目な面持ちで言った。水野の目線が少したじろぐ。赤坂も戸惑う。普段軽口ばかりたたいている二人は、こういう空気に慣れていない。ドローンは地面から、どちらが先に沈黙を破るのか、面白そうに眺めている。口を開いたのは赤坂だった。

「ミロを飲み終わったあと、溶けなかった塊がコップの底に残るんですよ」

「何その唐突な振り」

 赤坂はかまわず続ける。

「その塊の味がね、オレオにそっくりなんですよ」

 

 分かる!と水野は答えたかった。オレオを牛乳に浸したやつとそっくりの味!しかしミロは完全に溶かして飲んでいると豪語した手前、赤坂とその話題を共有することはできないのだった。



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ドローン マツ @matsurara

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