第13話

「な、なーるほどー……」

 アレサの言葉でエミリは、自分の能力が彼女に知られてしまった理由を理解した。


 アレサたちに自分の話を聞いてもらうために、エミリは紅茶とオレンジジュースを用意していた。それは、これまで何度もループしてきた「今日」の中で完全に確定した、「正しい選択肢」だった。

 だから「今回のループの彼女」も、それを用意する事自体について疑うことはなかった。


 百回近く繰り返した結果の、最適解。これが、自分の能力で導き出した正解の答え。だから……それが紅茶とオレンジジュースでなければいけない理由について、今さら深く考えたりはしなかった。「最適化された行動」に疑問を持たず、本来ならば当然ウィリアのために用意していたはずのオレンジジュースを、アレサの前に置いてしまった――あるいは、「ジュースと紅茶あるけど、どっちがいいー?」なんて、アレサたちに聞いてしまったのかもしれない。


 そんな、本来のエミリだったら絶対にありえない行動が……。ウィリアの好物を知っていて、いつも他人を思いやっていて気が利くエミリだったら絶対にしない行動が……アレサに、『時間跳躍タイム・リープ』のことを気づかせてしまったのだった。


「ふ、ふふん……」

 それは、エミリにとってかなり衝撃的なことだったが……。しかし、立ち直れないほど致命的、というわけでもなかった。


 彼女はこれまで、何度も同じような窮地・・におちいり、それを切り抜けてきた。うっかりミスで自分の能力が誰かに知られてしまうたびに時間を戻して、そうならないような選択肢ルートを選び直してきた。

 だから、今回もそうすればいいだけ。一度知られてしまったからといって、どうってことはない…………そう思っていた。


(ウィリアの好物を忘れちゃってたから、能力に気づかれたって? じゃあ次は、ウィリアにオレンジジュース出せばいいんでしょ? 今はもう、それを知ってるわけだし。『時間跳躍タイム・リープ』が使えるあたしは、何度だってやり直せるんだ。だから、そもそも失敗すること自体が、ありえないんだから)

 彼女はそう思っていた。しかし……。

「……え? あ、あれ……?」

 エミリはそこで、強烈な違和感に襲われる。


 まるで、突然夢から覚めて現実に引き戻されかのように。ドハマりして完全に感情移入してやっていたVRゲームを、誰かに横から中断させられてしまったかのように。

 自分を取り巻くルールが、変わってしまった。さっきまでは当然出来ていたことが、できなくなってしまった。

 出せるはずだったゲームの必殺技が、出せなくなってしまった。いや、むしろ……その必殺技のコマンドを急に忘れて・・・しまった・・・・ような感覚……と言ったほうが適切だろうか。


「うふふ」

 とまどうエミリの様子に、また、アレサが微笑む。

「いま、時間を戻そうとしたわね? でも残念だけど、それはもう出来ないと思うわ。たった今、私が消しちゃったからね。時間を戻すときのきっかけ……貴女の頭の中の、『時間を戻す呪文の記憶』を」

「……っ⁉」

 アレサのその言葉が、さっきのエミリの違和感を確信に変える。


 確かに今のエミリには、その『呪文』が全く思い出せない。その能力を使うときに「何か特別な行動」が必要なのかどうかということ自体が、もはや分からなくなっている。

 それが、アレサがエミリの記憶をピンポイントに消してしまったせいであることは、明らかだった。



「そ、そんな……」

 もう、時間を戻せない。

 それを自覚したエミリは、激しい衝撃を受けた。

 それは正真正銘、「立ち直れないほどに致命的」な事実だった。




 ……怖い。


 それを自覚して、最初にエミリの頭の中に湧いてきた感情は、恐怖だった。


 今までどれだけ危険な目にあっても、時間を戻してやり直すことが出来た。どんな悲惨な状況も、自分が望まない結果も、無かったことに出来た。

 それは、この世界にやってきた瞬間から当たり前に出来たことだ。だから、自分にとってのこの世界は、「失敗しても何度でもやり直せる安全な世界」という認識だった。

 それがたった今、一変してしまった。


 突然、自分が今いる状況が「リアル」に思えてくる。


 最凶最悪の魔王が住むラストダンジョン。恐ろしいモンスターがひしめきあい、回避不可能な凶悪な罠がそこかしこにある。ここまで来る間にも、命を落とした冒険者たちの亡骸がいくつも転がっていた。

 眼の前にいるのは、そんな凶悪なダンジョンを鼻歌混じりに攻略してしまう、冒険者ランキング最上位クラスのアレサとウィリアだ。自分がそんな怪物のような二人と戦っていたことが、とても信じられない。

 ループ、選択肢ルート、百分の一のギャンブル、リセマラ……。

 そんなゲーム感覚でいられた自分のことが、いまさらになって恐ろしく思えてくる。



 脚が、震える。

 その振動に耐えきれず、体ごとその場に崩れ落ちてしまう。


 怖い…………ここから、逃げ出したい。

 いままでずっと飄々ひょうひょうとして余裕のあった明日葉絵美梨が、まるで生まれたての子鹿のように、情けなく震えてしまっていた。



「エミリン……」

 そんな彼女のことを憐れむウィリア。

 アレサの顔からも、もう微笑みは消えている。

「もう、私たちは先に行くけど……。心配しないでも大丈夫よ? 貴女は、私の帰還魔法で、ちゃんと街まで戻してあげるから」

 そう言って、これまでもやってきたように魔法を使おうとして、アレサはエミリに手を伸ばした。




 バシィッ!


 しかしそこで、伸ばしたその手を、エミリが強く掴む。

「……どうして」

「え?」

 彼女はまだ、体を震わせたまま。恐怖に支配されたまま。

 しかし、そんな恐怖を頭からかき消すように、叫ぶような声で言った。


「そ、そうだよっ! あたしは、時間を戻せるタイムリーパーだよっ! だから知ってんの! 見てきちゃったのっ! あんたたちが、魔王に負けて死んじゃうところを! そんなの嫌でしょ⁉ っていうか、あたしが嫌なんだよっ! 耐えられないんだよっ! だから、そんな無謀なことしないでってお願いしてるんじゃん! この先に行かないでって言ってるんじゃん! それが、どうして……どうして…………どうして分かってもらえないのよっ!」

 それは、今も恐怖に震えている彼女の、本心だった。

 彼女は最初からずっと、アレサたちを守ることだけを考えてきた。


 飄々ひょうひょうと、ときにふざけたような態度をとったり、思いつめて迷走したり、切羽詰まって二人に戦いを挑んでしまったりしたが……そのすべてはアレサたちのことを思っていたからこそ、だ。


 明日葉あすは絵美梨えみりは異世界転生者で、女神から特殊な能力を授かったタイムリーパーだったが……しかしその前に、友だち思いの一人の優しい少女だったのだから。

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