第8話 その後の物語 ②

「再会……それは、そなたが仕組んだのか?」

「そんなはずないでしょ」


 拗ねたように一睨みする清果。


「すまぬ。だが、そなたならやりかねない気がしたから」と清果の髪を撫でながらクツクツと笑う閻魔。


 ぷぅっと可愛らしく頬を膨らませた後、ふっと眼差しを和らげると、自身の戸惑いを隠しもせず清果は続きを語り出した。


「私も驚いたの。健太郎君から美和子さんとの恋の記憶を引き受けたら、また、彼ら二人は出会ってしまったのよ。ね、この二人の引き合う力って相当強いんだと思うわ」

「結局、小さな記憶の欠片を引き受ける程度じゃ、人の運命は変わらないと言うことか」

「実は私も最初そう思っていたの。私が道楽で人間の記憶を集めたくらいでは何も変わらないだろうって。でも……案外、そう単純でもないみたいよ」


 閻魔の目がきらりと光った。


「我々も干渉できると」


 清果の口角がきゅっと上向いた。




 思わず、声を掛けてしまった健太郎だったが、困惑して黙り込んでいる女性を見て少し後悔した。


 清水の舞台から飛び降りる決意だったんだけど、やっぱりまずかったかな……


 そう思い始めた時、彼女が真剣な眼差しで健太郎を見上げてきた。


「あの……私、光本美和子って言います。前の会社で……あなたと同期でした。覚えて……いないですか?」

「そう……だったんだね。ごめん。ちょっと覚えていなくて」

「あの、病気をされたとか事故にあわれたとか、何かあったんですか?」

「え、いや、別に何も無いよ。ああ、だからか。君に会ったことがあるような気がしたんだよね。会社の同期だったからか」


 ようやく納得がいって、健太郎は明るく笑い返した。


「また会えて良かった」


 その言葉に、美和子の涙が決壊した———




 私は罪人……でも、癒されてもいいですか?


 許してもらえますか?


 やっぱり私―――健太郎さんが必要なんです。


 

 奇跡の再会は、美和子の心を丸裸にした。そして、残ったのは、健太郎ともう一度やり直したいと言う願いだった。




 桃色の風鈴と、水色の風鈴。

 最後にチリンチリンと呼応するように鳴ってから、他の風鈴のところへと帰っていった。



「人間って奴は、本当に厄介だね。自分の本当の気持ちに気づくまでに、何回も何十回も遠回りして、自分で自分を縛り上げて。なんでこんなに複雑なんだろうな」


 ほうっと閻魔がため息をついた。


「そのもつれた糸を丁寧に解きほぐして、罪を洗い出し罰を与える。それがあなた様のお仕事。浄玻璃鏡じょうはりのかがみを見続けているだけで、肩が凝っておしまいになるでしょうね。お疲れ様です」


 労う清果を愛おし気に見つめた閻魔。


「で、彼らのことを私にわざわざ話したのは私を慰めるためだね。清果」

「さて、何のお話ですか?」

「とぼけるところがいやつだな」


 そう言いながら、するりと胸元の蝶結びを解いた。


「人間にも自浄能力があること。それを私に言いたかったのだろう? だから、私が仕事をさぼっても大丈夫と」


「サボるなんて、思ってもいないことを口になさいますな。でも……そうですね。そんな悲しげな瞳のあなたを放ってはおけませんので気分転換にでもなればいいなぁと」


「そうか、そうか。そんなに私のことが好きか。ならそう言えばいいのに」


 嬉しそうに口づけを落としていく閻魔の頬をふいっと包み込んで、さり気なく静止させると、「放ってはおけないと申し上げただけです。好きなんて一言も申し上げておりませんよ」と挑発的な瞳で言い放つ。


「ここにも素直じゃない奴がいる」


 そう言って、カラカラと笑うとパタリと清果の横に身を横たえた。その体には、もう余分な力みは何も無くて、心の底からリラックスしているように見える。


 美しい紅の双眸を閉じると穏やかな呼吸になった。


 しばらくそのまま黙っていたが、ポツリと呟いた。


「やはり清果は優しいよ。あの二人が闇に囚われずに済んだのは、そなたのお手柄だ。そして、その分私が裁かなければいけなくなる罪も減る。礼を言うぞ」


「畏れ多いお言葉、ありがとうございます」


 清果の瞳が切なげに揺れた。心の中で、ほうっと安堵のため息をつく。


 御労おいたわしい……こんなに疲れていらっしゃるのに、泣き言一つ言えない閻魔様。


 人間の負の部分ばかり見る役どころは、さぞ気が滅入ることだろう。

 その罪に等分な罰も与えなければいけない。


 誰かを裁くと言う事は、自分も裁かれ続けているようなものなのだ。


 その決断に誤りは無いかと、問われ続けているのだから。

 その憂いは、深く深く閻魔の中に降り積もっているに違いない。


「なぜ、私は居るのだろうか」


 ようやく零れ落ちる本音。


「いつも、そう自問していた」


 眉間の皺が濃くなる。


「絶対的暴君のような存在を、なぜ私は押し付けられなければいけないのだと」


 紅の眼をカッと見開き、苦しげに浅い呼吸を繰り返す。

 

「なぜ、人の罪を暴き、罰を与え続けなければいけないのかと」


 空に向かって問いかける。


「己の存在を厭わしく思わない日は無かった」


 虚無の視線は、やがて清果に戻って来た。


「だから、そなたが忘却の薬湯をくれると言ってくれた時、本当はとても嬉しかった。礼を言うぞ」

 

 隣に座り込んでいた清果に、大輪の笑顔の花が咲く。


 「もったいないお言葉、ありがとうございます」


 






 







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