第6話 美和子の風鈴 ③

「その代わりに……健太郎さんとの恋の記憶を消して欲しいんです」

「え!」


 流石の惟楽も驚いたような顔になった。


「なぜ? 彼はあなたを見かけでは無くて心で愛してくれた人なのでしょう? それはあなたにとって幸せな記憶だったのでは? 消してしまっていいんですか?」

「いいんです。私は誰にも愛されなかった。それでいいんです」


 強い眼差しで懇願する美和子を、眉をひそめて見つめる惟楽。まだ納得ができないと言う顔を向け続ける。


「自分で自分を蔑むような女はもてない。そう自分を戒めながらこれからの人生を過ごしていきたいんです」

「なぁんだ。そういうことね」


 その言葉に惟楽の雰囲気が一変した。意地悪な笑みを浮かべて美和子を流し見る。


「自分だけ楽になりたいんだ」

「何ですって……」


 美和子の顔色が変わった。ぎりりと唇を噛みしめた後、深呼吸を一つ。


「反対です。自分の罪を背負っていくつもりなんです。整形したことも、歪んだ感情を持っていたことも、それによって傷つけた人がいることも。彼は私を救ってくれたのに、私は彼を傷つけてしまいました。それはもう、償いようのない罪です。だから、私は自分の救いも放棄しようと思ったんです。私はこういう方法でしか自分を罰することができないと思ったんです」


「罪と罰かぁ」


 小さな声で呟いた惟楽。切なげな瞳を自分の手元へ向けた。しばし逡巡したような沈黙が続き、覚悟を決めたようにほうっと息を吐き出した。

 

「ねぇ、あなたの考えはわかったわ。でもね。愛された記憶を消したら、健太郎さんのことも全て忘れてしまうのよ。そうしたら健太郎さんを傷つけたことも忘れてしまうんじゃないかしら? それって自分の罪悪感ごと記憶を消してしまうだけのことよね。ずいぶんと都合の良い話じゃない?」


「……」


 はっとしたように息を飲む音がして、美和子が苦し気な顔になる。


「……私って……やっぱり馬鹿だわ。自分で自分を罰するなんて息巻いて。思いついたことは自分の罪を軽くすることばかり。やっぱり、私最低だわ」


 そんな美和子に顔を上げた惟楽の表情が和らいだ。


「美和子さん、あなたはやっぱり真面目な女性なのね。最低なんかじゃないわよ。ただまあ、自分で自分を罰するっていう考え方もどうなのかなって思うだけ。罪と罰って、生きていればぜったいどちらも背負うことになるの。どちらか一方だけの人なんて、この世に存在しないのよ。だから、変な言い方かもしれないけれど、心配しないで。あなたも、ちゃんと償いをしながら生きているのだから」


「そう……なのでしょうか」

「そういうものよ」


 美和子の頬を、先ほどよりも激しく雫が転げ落ちていく。細い指先が、それを掬い上げて笑い掛けた。


「でも……彼との恋の記憶を手放すことで、あなたが少しでも生きやすくなるって言うのなら、その記憶、引き受けるわ。私に任せて」

「生きやすくなる……」


 生きやすいって、どういう状態?


 美和子はふと考えた。


 日々色々起こって、対処するだけで大変。生きやすいなんて思ったこと無かったわ。それでも、健太郎さんに認めてもらえた時は、自分で自分に自信が持てた。一人でいたらクヨクヨ悩むようなことも、気にしないで済んだ。

 

 こんなに彼に助けられていたんだわ……


 でも、これからはもう、彼はいないんだから。


 意を決したように顔を上げた美和子。今度は迷いなく惟楽へ願いを伝えてきた。




「で、結局彼女が引き取って欲しいと言ったのが、この記憶ってことなんだね」


 清果の膝に頭を乗せたままの閻魔が、そう言って桃色の風鈴を指差した。

 先程からクルクルと回って幻燈のように記憶を映し出していた美和子の風鈴が、ひっそりと動きを止める。


「ええ。そう」


 閻魔の髪に指を絡めては、するすると解いて遊んでいた清果。反応を面白がるかのように、閻魔の瞳を覗き込む。


「やっぱり、辛い記憶は一つでも減った方がいい」

「そうね」

「罪も罰も、どちらも辛い記憶が引き金になることが多いからな」

「傷つけられた記憶って、引きずりやすいのよね。それを打ち消そうとして無理を重ねると、罪を重ねやすくなるし。そうやって連綿と続く負の連鎖を、少しでも断ち切れたらいいんだけれど……」


 閻魔の瞳が宝物を見つけた時のように嬉しそうになる。清果の手を掴んで引き寄せると、一気に上下逆転。清果をベッドの上に組み敷いた。見下ろしながら言う。


「やっぱりそなたは最高だ。で、彼女のその後は? 調べてあるんだろう?」

「やっぱり気になるでしょう?」


 ふふふっと笑った清果。まんまと清果の筋書き通りに尋ねてしまったと気づいた閻魔は、肩をすくめて力を抜いた。

 横抱きに清果を抱きしめる。


「続きを。頼む」

「はい」


 今度は目と鼻の先に互いを捉えながら、二人の夜話は続く。

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