不可侵領域を開ける者
クロアの目が覚める。
辺りを見渡せば、そこは航空機の中であった。
前にもこんなことがあったなと思いながら、身を起こす。
「起きましたか、クロアさん」
壁にある編み目のケースに囲まれた機械から声が聞こえる。
ホーンズの声だ。
ホーンズはクロアが起きたことを確認した後、詳しい説明をした。
あの影らしき人物の要望によってマイズの近くへ輸送されること。
生身の人間では近づくこともできないため、遠隔操縦で輸送されていること。
輸送が完了した後のことは彼らも聞いていないため、全て任せるということ。
「あと、シュドさんもいますので」
そう言われてクロアが振り返るとシュドは椅子の端の方に壁にもたれながら座っていた。
こちらを見ていると気づいたシュドはクロアに微笑み返す。
「でも、普通の人は近づいたら…」
あのマイズについて知っていることを踏まえれば、クロアであってもシュドがまともに生きて帰ることができないことは想像できた。
「シュドさんがついて行くといって聞かなかったので許可しました。その代わり、生命については自己責任としています。クロアさんも自分の任務を優先してください」
そう言われてクロアはシュドを見るが、本人はどこ吹く風だ。
とはいえ、それ以外にこちらが付いてくるなと言う理由も無い。
クロアはシュドについてはこれ以上聞かなかった。
連絡が終わり、いくつかの雑談をした後通話は切れた。
クロアは窓の外を見た。
白い巨体がすぐ側にあった。
思ったよりも寝ていたらしい。
すでに載っている飛行機は高さを下げている。
振動がして、機械が音を上げた後静寂が訪れる。
ゴオンとドアが開く。
「いよいよだ」
頭に声が響く。
「出口からまっすぐ行けばじき奴の影響範囲だ」
事態は一向に理解できないが、声を信じるしかない。
クロアは歩を進めた。
管制室で通話を切ったあとホーンズは疑念に思う。
「いくら彼女が特異な存在とはいえ、一人の少女に事態の収拾を一任するというのは胴なんですか?」
横に立つレイノルズはカメラを通して映る機内の少女の様子を眺める。
「確かにあれは見た目が少女で、内面もそれと同じくらい幼い。だが、正体は大災害を引き起こしているあのマイズに連なるものだ。事態を任せるに力不足ということはない」
M.U.などから集めた資料の紙をなびかせながら言う。
「それよりも、問題は世界的組織の直下である我々が解決を少女に一任したという状況だ。我々は事情を知っているが、世間や上がうるさく言ってくるかもな」
話している内に目的地についたようだ。
航空機はマイズの進行方向に降ろした。
昇降口が開き、カメラから少女が外れていく。
監視役として共に行かせたシュドも少し離れてそれに続く。
降りた先は住宅街であった。
だが、誰もいない。
皆が逃げ去り、街は無人となっていた。
自分と後ろにいるシュドの足跡がよく聞こえる。
「くるぞ」
声が聞こえて立ち止まる。
シュドも後ろの方で立ち止まった。
クロアは目の前の白いそれに目を向ける。
近づいて見るそれは恐ろしく大きい。
見上げても頭はおろか体さえ足に阻まれて見えにくい。
そんな巨体が滑るように近づいてくる。
移動になれたのか陸にいるせいか、最初に見たように歩いたりはしていない。
「範囲に…入った!」
声が危険域に入ったと告げる。
だがクロアには何も感じられなかった。
「何も影響がない…?」
それは声の主も同じようだった。
あれに近づくと、感情が昂りすぎて死んでしまうらしい。
だがそんな感情はまるで生まれなかった。
いつも通りの感覚であり、巨体を眺めることにも支障は無い。
「疑問はあるが後にしよう。奴の影響下にいることに違いは無い。精神の干渉を始めよう」
でもどうすればいいのかクロアには分からない。
ここまで来れば自然に分かるかもしれないと少し期待していたが変化は感じられない。
どうすればいいのと独り言のように呟いて聞く。
「大丈夫だ、もう少し待っていれば良い。どうやらあいつはシャイらしいからな」
どういう意味、という疑問はすぐに消えた。
知らない感情が湧き出てきた。
幸福にしてあげたいという欲求が芽生えてきた。
「自分を見失うな」
声が聞こえてハッとする。
「目を閉じろ、その方が集中しやすいだろう」
言われた通り目を閉じる。
頭の中、心の中に自分の自我や感情、意識とは異なるものがあることが分かる。
頭に思考が流れ込んでくる。
心にもう一人誰かがいるような、人格が声を発しているような気分がする。
目を閉じているはずなのに景色がうっすらと映る。
聞こえるはずのないものが聞こえる。
「これがあんたの能力の真髄、その一端だ。精神をリンクさせ、相手の感情や意識をこちらも閲覧できるようにする。普段声が聞こえていたのはこの能力が制御できてなかったからだろう」
目を閉じているだけのはずなのに、まるで空に浮いているような気分になる。
「とはいえ、ここまでできるのはワタシたちと相手が同じだからだろう。人間相手はもうちょっと苦労する」
揺蕩う心地をもう少し味わおうと思っていたが、仕事にかかろうと声に促される。
「何故あんたがしないといけないのか、説明しておこう」
本来なら能力の扱いに長ける声の主の方が作業をする上では適している。
だがそれはできないのだと声は言った。
本来この能力は肉体の人間でいう神経に相当する制御あるいは受動的な機能を操るためものである。
それが実体をもたない第二原種の生態だ。
だが、それ故に第二原種同士の干渉は不可能らしい。
実体を持たないもの同士は影響を及ぼすことも取り憑くこともできないという。
だが、肉体を得たクロアは違う。
能力が変質して精神を相手との媒介としている。
第二原種にも勿論精神はある。
むしろ精神だけの存在といってもいいかもしれない。
故に、その変質した能力本来の持ち主であるクロアこそが今回の解決に相応しい。
クロアよりもクロアの能力を知っていながら解決を丸投げしていたのはそういう理由だと声は語った。
「リンクさせればこちらからもアクセス可能になる。相手の思考や感覚を根本から書き換えてやろう」
声の主はそういうがクロアは割とそれどころではなかった。
初めこそ相手の感覚がこちらに伝わってくることを楽しんでいたが、能力に慣れてくるにつれ伝わってくる情報も多くなっていた。
今は自分の中に流れ込む情報を整理して、自分という存在が分からなくならないようにするので手一杯であった。
しかし、そんなクロアをよそに声は話を続ける。
「相手が放ってるのは視覚補正と感情補正な訳だが、弄るのは視覚補正の方がいいだろう」
存在していると認識されなければ、そもそも存在していない事になる。
そうすれば感情の付与も感知されなくなり無害化できるとのことだ。
「いない奴が何しようが空想の話だろ?」
そう聞こえた後、整理していた情報が不意に消える。
次の瞬間、夥しい数の目に囲まれている感覚を受け、クロアは小さな悲鳴を上げた。
さながら着ぐるみをまとっているような気分だ。
視線は自分を見ている訳では無いが、自分の方向に向いている。
「これが奴を見ている目か」
閉じた目の暗闇に目が浮いているように見えるが、これはイメージだという。
「精神を重ねるといっても実際に伝わってきた情報の解釈はあんたの知識に基づく。不特定多数の誰かに見られるという状況のイメージはあんたの中でこんな感じになるんだな」
目から逃れようと自分の目を開けたり閉じたりしているクロアの状況を他人事のように解説する。
無論イメージであるため自分の目を開けようが閉じようがその目が消えることは無い。
「どう見られてる?」
声が聞いてくる。
どうと言われてもクロアには分からない。
そもそも自分のすべてを暴かれているみたいで落ち着かないというどころではない。
「これがあいつのやっている観測能力の付与だ。こう見られている、こう見ろという意思の下に能力が行使された結果だ」
クロアは今その自意識とつながっている。
そのため、どう見られるか、それに思うように干渉できるという。
「奴を消したいなら、見られたくないような感じでいけ。殺したくないなら…まあ自分で考えろ」
ここに来て大雑把な指示が出される。
精神をつなげ、感覚が流れ込んでくるという実感を得たクロアは、管制室で武器に感覚を与えていた頃に比べ、自分の能力をある程度理解していた。
だが、相手がどんな意識や感情を持っているかを知って理解するという過程は理解できても、自分の感情や意識が相手に影響するというのがまだよく分からなかった。
「機械は相性がよくない。精神なんて無いからな」
心を読んだように声が告げる。
驚くクロアに声は笑って答える。
「ワタシとあんたは肉体を同じくしてるんだ。考えていることくらい分かる」
呆けていたクロアだが、声に促されて本題に戻る。
“見られたくないような感じ”がどんな感じかは分からないが、イメージが重要だという。
だから自分が透明になるイメージをした。
相手が見たくても見えない。
あるいは見る気がない。
そんなイメージをした。
するとイメージで浮かんでいた目が少しずつ消えていくような気がした。
クロアは少し手応えを感じた。
だが次の瞬間その視線は数と強さを増した。
隙間無く浮かぶ目が自分の細胞ひとつ見落とさんとばかりににらみつけてくる。
それだけではない。
声も聞こえてくる。
怖がる子どもの声、悪態をつく男の声、逃げ惑う悲鳴、小さくとも確かに侮蔑のこもった呟き、どれもこのマイズに対する声だった。
「反撃してきたな」
ギラついた視線と負の感情にまみれた声に包まれ、思わず口を押さえたクロアを見て声が反応する。
「落ち着け、これはあいつの意思だ。自分の存在を見せないようにするこっちの動きに感づいたな。さすがに同種か。この干渉に反撃できる奴はそういない」
感心していた声の主だったが、クロアに注意を戻してギョッとする。
目を見開いて口を強く押さえている。
足は倒れないだけの力を維持しているが、強ばって体を揺らしている。
「さすがに様子が変だ!おい!?リンク切れ!切れない!?しょうが無いな!」
全ての感覚が消え去る。
クロアに残ったのはただ気持ち悪いという感情と頭痛、吐き気のみであった。
シュドがかけよって背中をさする。
「休め、気分が戻ったら話を聞く」
そういうと頭の中にあった存在感が消える。
少し落ち着いたクロアは辺りを見る。
不可思議な体験であったが時間はそれほど経っていないらしい。
白い巨体はさっきより近づいてはいたが、まだクロアを越えてはいなかった。
声の主がリンクを切ったからか。
あるいはシュドが側にいるからか。
クロアはさっきまでとは真逆の、静寂にひたっていた。
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