ラジオ体操
楠秋生
ラジオ体操
一年生になった甥っ子の夏休みが始まった。今日からラジオ体操通いが始まる。
「おーはーよー!」
朝からハイテンションの甥っ子辰也が、沙也加に馬乗りになってくる。
「起きて起きて起きて〜!」
大声で揺さぶられ、まどろみから一気に目覚めさせられる。
「わかった。起きるから、ちょっとだけ待って」
寝ぼけまなこで返事をしてまたうとうとしかけると、いきなり脇をくすぐられた。
「うわっ! ふははははは! やめて! 起きる! 起きるから」
辰也の両手首をつかまえて起き上がる。辰也はそれを見届けると、「早く来てねー」と言い残して部屋を出ていった。
はぁ。毎朝こんな起こされ方したら大変だ。明日からは先に起きよう。
壁の時計に目をやると、五時半にもなっていない。
……五時には起きないとあれをやられるのか。
深い深いため息をついて、沙也加は洗面所に向かった。
都会での暮らしに疲れた沙也加が、会社を辞めて実家に帰ってきたのは半年前。家に引きこもってだらけた生活を送って過ごしていたら、兄さんからお役目を言いつかった。
「夏休みが始まったら、辰也をラジオ体操に連れて行ってくれ」
え……。ラジオ体操って早朝じゃん。めんどくさい……。公園まで何気に遠いし。辰也、絶対ぐだぐだ言いそう。
でも産後の義姉さんには無理させられないから仕方なく引き受けたんだけど、ラジオ体操を楽しみにしてたのか、辰也は拍子抜けするくらいまっすぐ公園へ向かった。
なんだ。ついていくだけでいいんだ。幼稚園のころは、買い物に連れて行くのにも、寄り道したり途中で行くのを嫌がったり大変だったけど、一学期間学校に通っただけで、こんなにしっかりするのね。そういえば、帰ってきてから一度も一緒に外にでかけたことなかったな。
思ったより楽そうで、沙也加は気が楽になった。久しぶりの早朝の空気は気持ちがいい。
ラジオ体操かぁ。懐かしいな。兄さんにひっついて行ってたなぁ。今の辰也と同じように首からカードをぶらさげて。
十分前に公園に着くと、ラジオ体操をする人たちがすでにちらほら集まってきている。ベンチに座っておしゃべりしている老人グループに、高学年っぽい女の子グループ。小さい姉妹を連れたお母さん。ラジオ体操には関係なさそうな、ウォーキングやランニングをしている人たちもいる。
健全だなぁ。朝からしっかり起きて活動して。
友だちを見つけた辰也が走って行ってしまったので、沙也加はあいていたベンチに腰掛けた。
半年前まで、沙也加もあんな風に朝からしゃきっと起きて仕事に行っていたのに。今は昼前までゴロゴロして、夜は遅くまで動画をみたりSNSをしたりして過ごしている。このままじゃいけないな、とは思いつつ、なんにもやる気が出ない。
仲良くしてた同期に仕事の功績を取られ、上司はトラブルの面倒を避けて見ないふりをされた。長くつきあっていた彼氏には浮気され、新しく引っ越してきた隣人に騒音を注意したら始まった嫌がらせされるようになった。そんなことが立て続けに起こって、なんだか何もかもが嫌になって帰ってきてしまったのだ。
一体何がいけなかったんだろう。
ベンチの背にもたれ、空を眺めながら考えていると、辰也が戻ってきた。
「始まるよ!」
「うん、やっといで」
「さやちゃんも一緒にするんだよ!」
「え? 私はいいよ。ここで見てる」
「ダメ! さやちゃんも!」
繰り返し言われ、手を引っ張られてしぶしぶ立ち上がって伸びをする。
懐かしいラジオ体操の歌が流れた後、ラジオ体操が始まった。
あいたたた。え? なにこれ。ラジオ体操って、こんなにきつかったかな。子どものころは『こんなの、どこが体操なんだろう』って思ってたのに、きちんとやろうとするとかなりきつい。しっかり伸ばすべきところを伸ばすと、筋が突っ張る感じ。それに身体がかたいかたい。めちゃくちゃかたくなってる。そりゃ確かに会社に入って五年、運動っていう運動はしていないけど。こんなにかたくなってるなんて。
沙也加はあまりにも退化してしまっている自分の身体にショックを受けた。
「お腹すいた~。帰ろ~」
カードにスタンプを押してもらいに行っていた辰也は、戻ってきてそれだけ言うと、踵を返して公園の出口の方へ走り出した。
「あっ! 待って!」
沙也加は慌てて追いかけるが、すばしっこい小学生の速さについていけるわけがない。
と、辰也が道路に飛び出す直前、近くにいた青年が辰也を捕まえてくれた。
「飛び出したらダメだぞ」
青年は屈んで辰也と目の高さを合わせを諭すと立ち上がって、追いついた沙也加に軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえ、小さい子の相手は体力いりますよね」
「そうですよね。この頃運動不足で……。さっきのラジオ体操でへばっちゃってました」
「しっかり言い聞かせて、一緒に歩いて帰ってくださいね。ちゃんと、離れないで帰るんだぞ」
笑顔で沙也加に言ったあと、身体をかがめて辰也の頭に手を乗せ、目をしっかり見て話す。お義姉さんや私に何か言われても、いつも聞き流して適当な返事をする辰也が、めずらしく素直にうなずいた。
屈んで視線の高さを合わせたり、目を見て話すからだろうか。沙也加はいつも適当に返事をしていることを反省した。
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