恋する筋肉

三夏ふみ

恋する筋肉

マッチョネス高崎たかざきの朝は早い。


「ええ、そうです。この子達にもお目覚めの朝日を浴びせたくてね」


そう言うと彼は、朝ごはん代わりに20Kgのベンチプレスを落ち上げた。


「そうですね。僕にとって筋肉は家族みたいなものです」




「はい、カット」

「先生。お疲れ様でした」


カメラが止まりテレビクルー達の挨拶が終わると、黒ジャージの女性が小走りで高崎に近づいてくる。


「はい、おつかれ島君。今日もいい脊柱起立筋せきちゅうきりつきんしてるかい」


プラスチックの容器とタオルを渡され、プロテインジュースを一口、タオルで拭いた満面の笑顔から眩しく白い歯が覗く。


「はい、先生。えっと、今日のこの後の予定ですけど、お昼から昼食を兼ねてのジムトレーナー達とのマッスルミィーティング、その後は日本ボディビルド協会の会合、夜はスポーツ大臣との会食となっております」


タワマン最上階から、タンクトップにバギーパンツ姿で町並みを見下ろす。


「島君、ちょっと頼みがあるんだが」






「それでは後ほど、お迎いに上がります」


プロテインショップの前で黒塗りのセダンに右手を上げ、見送る振りをする。車が見えなくなると、ショップを離れ反対方向へ、2つ目の路地を右に曲がり奥へと進む。



間口が小さいガラス張りの建物、ショーウインドには専門書がディスプレイしてある。それを鏡代わりに身なりを整える。


黒の革パンに黒のジェケット、その下からは赤いタンクトップが覗く、サングラスに金髪の大男、その厳つい出立ちは有名映画の敵役のようだ。

小さく息を吐き左大胸筋ひだりだいきょうきんに右手を当てると、そっと手を伸ばす。



ドアが開きベルが鳴る。


「いらっしゃいませ。あ、高崎さん」


レジに座って本を読んでいた眼鏡姿の女性が挨拶する。会釈して専門書が高く並ぶ本棚を見渡すと、ちらりと女性に目をやる。


「今日はどうされました?」

「あの、ですね。この前その、美桜みおさんが言っていた、その、鳥の図鑑、あの、入ったかな?」

「ああ、野鳥の写真集ですね。ちょっと待ってくださいね」


パソコンを操作する白い指、立ち上がると本棚の森への狭い道を長い黒髪がゆっくりと進む、その背丈は高崎の半分ほどだ。


「えっと、この辺のはずですけど」


見つけたのか、見上げた先を目指して脚立に上り背伸びする。



美しい。



すらりと伸びる均整の取れた下腿三頭筋かたいさんとうきんに思わず見惚れる。押さえた左大胸筋ひだりだいきょうきんの内ポケットには、2枚のチケット。



「あ!」


小さく上がる悲鳴。バランスを崩して脚立から舞い落ちる、羽のように軽い体が高崎の前腕伸筋群ぜんわんしんきんぐん上腕二頭筋じょうわんにとうきんにすっと収まる。



見つめる2人を邪魔する電話のベル。ほんのり色づいた顔で艷やかな黒髪を耳にかけ、電話に出る。


「はい、ブック、スノーフォレストです。あ、うん、うん、そうなの?分かった、うん、うん、分かってるって。はいはい、はぁーい」


そっと受話器を置くその手を見て、左大胸筋ひだりだいきょうきんが微かに動く。




「6,600円に成ります」


カードで支払い、受け取った本を見つめる。カワセミが鮮やかな羽を大きく広げている。




「あの……」


店を後にしようとしたその時、呼び止められる。


「突然なんですけど、高崎さん明日お時間ありますか?」


きっと今までで一番、目を見開いていたに違いない。


「これ」


レジ下の引き出しから取り出したのは、2枚のチケット。


「オーデュボン原画展。明日まで何ですけど、一緒に行くはずだった兄に、さっき電話でドタキャンされちゃって。それでもしよかったら、」

「はい、行きます。はい、明日大丈夫です。はい」


大きく響き渡ったその声に、今度は彼女が目を丸くする。思わず吹き出し、つられて笑う。



店内を包む2人の笑い声。

恋心はいつだって、全力マッスル!

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恋する筋肉 三夏ふみ @BUNZI

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