冥源譚 ー陸丹の嬢子、小花が冥界にくだり里人を扶けること―

宮田秩早

縁起

臨京の大通りで物語売りが語ること

 さて、みなさまお立ち会い。

 ここ遠州の美は榠樝べいさに表すと言いますな。花は春、薄紅の花弁の咲き群れるさまは帝の座所を彩る繧繝錦うんげんにしきもかくや、秋の実の芳香千里に香り、醸す蜜酒は万病に効くとか。

 ほほう、たしかに遠州は榠樝がおおく見えます。行き交う娘子じょうしあでやかにも清美なること、男子の勤恪かつ颯爽たることまさに咲ける榠樝、薫る榠樝。もっとも、味わいが榠樝の蜜酒の如くかは、こうやって眺めるだけでは分かりゃしませんがね。あたしだって身の程はわきまえております。遠州人は情にこわい。あたし如きが遊び半分、ひと舐めしようものなら、酔うてほだされ、とろとろに煮込まれたところで、ぱくりとね。喰うつもりが喰われるのがオチでしょうよ。

 どうです? 少々、足を止めてあたしのこれより語る物語などいかがですか。古今東西の面白き、しき、妖しき、めでたきことごと、よろずの話がこのちいさなつむりに詰まっている。お代は聞いてのお帰り。安くはないが決して損はさせない。

 さあさ、東西南北、果ては冥府も巡ってきたこの物語売りの話を聞いていかないか。


 てててんてんてんてんっ

 先ほどからなにやら声を張り上げる男の、骨張った指先が叩く鼓から小気味よい音が響く。

 男の立つ大通りは、雲ひとつない晴天、うらうらとした春の陽射しが江帝廟の真新しい巴黎緑パリーリューいらかに降り注いでいる。街を東西に流れる鵜水うすいの流れも穏やかで、河縁には客待ちの渡し守、物売りの舟が豆莢のように浮かんでいる。

 廟前市の立つ日でもあり、正午を過ぎ日昳にってつの終わり(※)とあって通りはずいぶんな人の出だった。

 帝のおわす都、長春ちょうしゅんから南へ百里、この遠州の州都、臨京りんきょうは皇都の喧噪と比べればのんびりとしたものだったが、鵜水を東に三里も下ればおおきな港もある。

 とはいえ、この大通りの十年以上前の姿を覚えている者がいたなら、「まだまだ」と溜息を吐いたろう。

 十年前、異民族でありながらも軍略、内政の才をもって帝の寵臣であった波蝕はしょくが乱を起こした。

 帝の寵姫、えん貴妃の兄、垣淑えんしゅくとの政争に敗れ、自身の出自であった西の騎馬の民とごうして皇都に攻め入った。

 不意を突かれた廷臣たちは帝とともに一時はこの臨京にまで落ちのびてきた。おかげでこの臨京も波蝕の軍に囲まれ、兵糧攻めに遭った。

 北で起こった叛乱だ。飛び火してくることはあるまい、とたかをくくっていた臨京の人々は、長春の貴人たちに「水草臭い田舎ものめ」などと馬鹿にされながらも戦乱を耐え忍んだ。

 波蝕の起こした叛乱が、なにを目標にしていたのかは、いまひとつはっきりしない。皇位簒奪まで考えていたとは思えない。ならば帝の御心を惑わす獅子身中の虫として垣淑の首を獲れば終わりだったか。

 波蝕自身はそう考えていたかも知れない。しかし垣淑が早々に波蝕の軍に捕斬ほざんされたのちも、垣貴妃が自害したのちも、叛乱は続いた。おそらくは波蝕にも、もはや西域軍の勢いを抑えることができなかったのだろう。

 西域の民は、文化枯れた果て、夷狄いてきの地の住民として、ながらく中原の民に蔑まれてきた。波蝕はそんな状況を改革しようと力を尽くしてきたのだが、いちど火のついた積年の怨憤えんぷんは、なにもかもを焼き尽くさずにはいられなかった。

 結局、波蝕の軍の内輪揉めもあって、波蝕も死に、乱は三年前にようやく鎮められた。

 帝は昨年、長春に還御かんぎょ遊ばし、以来、臨京は叛乱のの残党がいまだにあちこちに出没することを除けば、まずまず平穏を取り戻している。

 兵士に、帝の御座所の普請にと、賦役に取られていた男たちも、運良く生き延びた者たちは戻ってきた。

 一時は叛乱軍に包囲されていたせいで、略奪に遭った商家などは土塀が崩れたままになっていたり、臨京の端に位置する屋敷など、焼き討ちでなかば焼けた建物を取り壊すのにも手が回らず放置したままのものもあり、三年経ったいまでも都の佇まいはなにもかも元通りにはほど遠かったが、「明日は今日より良くなるだろう」と思えることこそが街を明るくしている。


 男の声に誘われて、まわりに人が集まり始めている。

 ちかごろはみな、娯楽に餓えている。

 戦のせいで失ったもののおおきさを忘れ、日々の忙しさからしばし時を忘れていられるような。

 男はこの臨京周辺の者ではなさそうだった。

 歳の頃は三十を過ぎたあたり。

 ひょろりと背が高く、痩せている。

 とりたてて醜美が気になるような容姿ではなかったが、はんとして光を宿した瞳は、少年、というよりは童女のようなまろやかさと活気に溢れていて、男を見た者の目を惹きつけるのに一役買っていた。

 かすれてはいてもよく通る声はいかにも話芸を生業なりわいにしている声で、南の遠州人の耳にも馴染むように訓練された発音だったが、よくよく聞けば北の地、長春よりもさらに北方の訛りが感じられた。

 遠州の民にとっては、恨み骨髄。頼みもしないのに北から戦乱の厄災ごとやってきて、自分たちが厄介者だと自覚しておとなしく縮こまっていればまだしも、蓮の実喰いだの泥河生まれだのと遠州人を馬鹿にすることだけは一人前、臨京の人々が餓えるのもお構いなしに戦火を片目に享楽三昧、早く波蝕を蹴散らせ、死んでも我らを守れと口ばかり動かして牛馬の如くこき使ってくれた長春の都人の発音に似ている。

 それでも男の物言いがあまり気にならないのは、北の民でも都臭さが感じられないからだろうか。男の発音には、太陽の下で汗を流してきた者の朴訥さがあった。

 身につけている衣服はどこにでもあるような洗いざらしの麻の袍衣。髪を結いまとめるための冠は手製の竹細工。その細工には特徴はなかったが、冠を留めるためのこうがいには北の民族が好む飛鳥ひちょうが意匠されている。

 金目のものはほとんど身につけていない。

 腰にはなにやらかめの欠片、こちらも飛鳥が描かれたそれに穴を開け、麻紐で腰帯にくくりつけている。

 ひとつ、左腕に四神獣の彫られた紫檀の腕輪を付けていて、それだけは材といい、細工の美しさといい、それなりの値打ちのあるもののように見えた。

 その男の背後には、青年がひとり、ひっそりと控えていた。

 こちらはひとめで上物と分かる黒一色の絹の袍を纏い、銀の細工に瑪瑙を飾った冠で髪をまとめ、腰には太刀を佩いていた。

 肌の色は日にあたったことなどないかのようにしろく、玲瓏という言葉がふさわしい美貌の持ち主だった。

 その美剣士が、気配もなく軽やかに前へ出ると、口上を述べる男のまわりに集まる見物人に、「十銭」と、三寸ばかりに切った砂糖黍を突き出した。見れば太刀を履いたほうとは逆の腰に備えた籠には、砂糖黍の茎を切ったのがぎっしりと詰まっている。

 愛想笑いのひとつも浮かべず、眼光鋭くひたりと客を見据えているさまは、到底、ものを売る態度ではない。

 しかし見物人は男も女も、その美剣士の気迫に気圧されるか頬を染めるかして、懐に余裕のある者はその黍を求めていた。

 だが、ひねくれ者はどこにでもいる。

「なんだ、ただじゃねえのかよ」

 集まった者のなかから呆れたような声が挙がった。

 物語売りの口上は「お代は聞いてのお帰り」だ。聞く前から銭を取るのはおかしい、というのだろう。

 黍売りの剣士は声の挙がったほうを振り向きもしないが、物語売りはからからと笑った。

「まあそうかっかしなさんなよ旦那。物語は正真正銘、お代は聞いてのお帰りだ。良いこと、面白いことを聞いたと思えば、懐の許す分だけ銭を投げてくれりゃいい。けど、それは耳慰みのお代だ。口慰みのお代はいただくよ。もちろん欲しくなきゃ買わなきゃいいのさ」

 おおげさな身振り手振り、物語売りのくるくる変わる百面相にくすくす、はははと、控えめに笑い声が漂う。

 茶々を入れた男も、結局、苦笑いで砂糖黍を一本、あがなった。

 南国は炎帝と江帝の座所。四季を通じて雨が多く、夏はまことに暑いこのあたりでは、砂糖黍は手近なおやつで、馴染みの味だ。里ならどこでも畑の畦や庭に植えてある。

 砂糖を作るために絞った黍の茎と、炒った鳩麦を一緒に炊いた黍茶は喉越しも良くほのかに甘い遠州人の故郷の味だった。

 砂糖黍は、茎の一番外側の皮を剥いて、茎のずいをしがむと、滋味のある甘さが口いっぱいに広がる。

 物欲しそうにしている孺子こどもが黍売りの剣士を見上げている。

 砂糖黍は食べたいが、小遣いがないのだろう。

 黍売りの剣士は一寸ほどの黍を差し出して「孺子には特別に用意してある。これは売り物ではない」と孺子に手渡した。

謝々ありがとう

 笑顔いっぱいの孺子の言葉にも、剣士はにこりともしない。

 だが、おなじように物欲しそうに彼を見ている孺子たちに、おなじものを手渡していく。

 そのようすを砕けた笑顔で腕組みしながら眺めていた物語売りが、やにわに組んだ腕を解いて、ててん、と手元の鼓を叩いた。衆目が集まる。



(※)日昳の終わり:午後二時~三時

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