第3話 セカンド・インパクト

 まるっきりファンタジックなのに、やけにリアルな夢だった。

 印象は矛盾している。朝になって目を覚ました竜仁たつひとは、横になったまま中空を見つめた。


 もちろんそこに光る球など浮いてはいない。すすけたような天井から、安アパートに似合いの古臭い照明器具がぶら下がっているばかりだ。瞬きをしたあとにはもう剥がれ落ちていそうな、ひどく薄っぺらい情景。


 竜仁はあくびではなくため息をついて身を起こした。せっかく頑張って受験勉強して入った大学である。まだ五月にもならないうちから無期限ヒキコモリ休暇に突入してしまうのは、さすがに自分が残念過ぎる。


「おはようございます、我が君」

「おはよう」


 朝の挨拶を返し、布団から出ようとしたところで竜仁はあれと首を捻った。起き抜けでどうもまだ頭が上手く回っていないようだ。今のは誰だ。


 思い当たる節がない。呼び方もなんだか妙だったし、実は自分に言ったのではなかったのかもしれない。だとしたら恥ずいな、と思いながら声のした方に顔を向ける。

 鎧を纏った美少女が端坐していた。


「えーと……」

 凄い髪だな、というのが最初に頭に浮かんだことだった。プラチナブロンドというのだろうか、金よりも白に近く、丁寧に編み込まれたうえで結い上げられている。宝冠さながらの美しさだ。


 そしていっそう心を惹きつけるのが、遥かな天空を思わせる深い瑠璃色の瞳だ。今それは清冽で強い光を宿して、竜仁のことを真っ直ぐに見つめている。

 もし一度でも会えば絶対に忘れられない相手だ。なのにまるで記憶にない。


 竜仁の困惑をよそに、銀の鈴が鳴るような声音で少女は告げた。

「どうぞなんなりとご命令を。このカナミ・ユリア、我が君の望みとあらば万難を排して果たしてみせます」


 ああ、そういうことか。

 竜仁はようやく合点がいった。つまりこれはまだ夢の続きなのだ。ならばどこまでも自分に都合の良い展開になってもいい。


「ほんとに、どんなことでもいいんだよね?」

「無論です」

 念を押す竜仁に、少女は生真面目に頷いた。


「身も心も、私の全てはあなたのものです。もしも我が君のために死ねと仰せなら、今この場で命を断つこともいといはしません」

「そんなの冗談でも言わないって。僕のためっていうなら、生きて傍にいてくれた方がずっと嬉しい。それでさ、僕のお願いなんだけど……」


 竜仁はなおもためらいそうになった。だが自ら頬を張って弱気を払う。どうせ夢の中にいるのだ。やりたいようにやってやる。


「唇にキスしてほしいかなー、なんて」

 言った直後に悔やんだ。ここは是非ともエッチさせてとお願いするべき場面だろう。現実での経験値の乏しさが恨めしい。


 お子様っぷりを笑われないかとそっと様子を窺うと、昔話の騎士みたいな格好をした美少女は、凄い勢いで赤面していた。


「く、に、キ……ですか?」

 竜仁の視線に気付き、消え入りそうな声で訊いてくる。

「それはご命令でしょうか……?」


「いやいや、ちょっと試しに言ってみただけだから! 嫌だったらいいんだよ、あはは。ごめんキモかったよね。僕なんかが君みたいな超絶可愛い子となんてあり得ないよね。最低だよね」

「ち、違うのです、嫌などということは決して!」


 少女はまなじりに力を込めた。そして大きく深呼吸をしたのちに、少しずつ竜仁へ身を寄せてきた。距離が縮まるのと反比例して、二人の間の緊張が増していくかのようだ。


 少女の纏う瑠璃色の鎧の肩に、竜仁は手を置いた。金属ではなくガラスに近いような質感だ。少女が身を震わせると、チンと微かな音がした。

 竜仁は目をつぶった。わななきそうになる唇を、少女が待ち受けているはずの場所へと突き出す。


「はうぅっ、やっぱりだめっ!」

 爆発的な衝撃が頬に生じた。眉間の裏側で流星が弾け、速やかに薄れゆく意識と共に、一つの夢が散り果てた。




 ひどいよな。妄想さえままならないなんて。人生って虚しい。

 竜仁は切なく目を覚ました。


 超絶美少女騎士が突如自分のもとに現れ、我が君と慕ってくれる。分ってる。あり得ない。竜仁はそんな奇跡に値するような人間じゃない。異能の力など当然持ってはいないし、真剣はもちろん木刀を握ったこともない。


 気力も根性も人並み以下で、もしも何かの偶然で時空を超えて英霊を召喚できたとしても、ライバル達と華々しくも命懸けの戦いを繰り広げるなんて到底無理だ。

 だけど想像の世界でラブコメの主人公になるぐらいは許してほしい。ハーレム展開なんて贅沢は言わない。一人の女の子と好き合えるなら十分に幸せなのに。


 夢の中なら痛くないというのは嘘だ。振られればやっぱり辛い。はたかれれば頬も腫れる。現に今だってじんじんと熱を帯びていた。そのうえなんだか奇妙なことに、冷やりと気持ちいい感触までする。まるで誰かが濡れタオルをあてがってくれたみたいに。

 竜仁はがばりと身を起こした。何かが布団の上に落ちた。気のせいなどではない。まぎれもなく濡れタオルだ。


「……カナミ・ユリア?」

 記憶に残っていた名をそっと呟く。自分でも半信半疑、いや一信九疑にも満たない。鎧姿の凛々しくも可憐な美少女がこの部屋にいた必然なんて、どう頑張っても思いつかない。


「はっ、ここに」

 竜仁は座ったまま飛び上がりそうになった。喉につかえた空気の塊をかろうじて呑み下す。

 布団の脇に、鎧を纏った少女が土下座していた。

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