㉑ 綿雲の橋続編に向けて

前に書いた児童文学、「綿雲の橋」の続編希望と言う声を聞いて、嬉しいそんなこと言ってもらえて…と、心から感謝した。

この作品は当たり前を普通に書こう。不便や物足りなさや、特別の無い世界を淡々と書こう。そこから出発した物語だった。

私の書く小説はどの作品も総じて同じ様なテーマだからわざわざ言うまでもなく普通を貫いているのだけれど、初めての作品の「綿雲の橋」は特に意識が強かったと思う。

そこを味わってもらえたらじゅうぶんと思ったけれど、まさか続編?と、それからずいぶん悩んでいる。

この作品は、主人公が綿雲の橋に導かれて雲の上の世界に紛れ込み、そこで出会った友達との牧歌的な暮らしに、楽しい感動やささやかな喜びを覚え、大人びて気持ちの起伏の少ない自分を省みながら、成長し、最終的に主人公がもうしばらくここにいよう。本気で自分を見つめるのも悪くない。と決断したところでお話が終わっている。

いわゆる主人公は行ったっきり帰って来ない設定で、橋を登りながら突然異世界に迷い込んでしまう、荒唐無稽なお話を簡単に元には戻せなくて、最後は考えに考えて向こうに残すことにしてしまった。

真下には今までの世界がある。たどり着いたそこは特に際立ってメルヘンな世界でもなく、風変わりな異世界でも無く、筆者の子供の頃の思い出やエピソードが詰まった場所で、ただただ単純な機械化されてない素朴な世界を描いている。そこに行き着いた方法と突然帰れなくなる現実が加わっただけで…

もちろん親元を離れ異次元を体験する、元に戻せない状況は切羽詰まった辛い気持ちになる読者も多い様だ。

声を拾えば、雲の下にいるはずの元の家族に帰してあげて欲しいと、戻らないとこの話は中途半端だから家に帰ってようやく物語が完結する。と願う親心に満ちていて心が痛む。

帰して欲しいと訴える人々の子供時代はきっと幸せだったんじゃ無いかと、ほのぼのと思い当たる。家族の愛や子供時代の喜びを感じながら育った読者の心は親子か離れて暮らすなんて張り裂けんばかりなのかもしれない。

私は雲の上の暮らしを辛く描かなかったし、戻らないことが可愛そうとも思わなかった。親と離れ、育ちの履歴を無くした少年をこれもありかと、多くの疑問も持たずすんなり受け入れたのだから、普通を目指している癖に、少しか、かなりか、歪んでいることに驚愕する。

自分の家族への冷めた気持ちに申し訳ない気持ちにすらなる。主人公の今は、まさしく私なのだろう。

寂しさを感じ無い気持ちは、割り切りが良いとか言えるものでは無く、次に来る冒険に向かおうとする積極性でもなく未練なんて簡単に言い切れないものを断ち切りながら生きてきた私の履歴なのだろう。

さて、続編をどうするか?自分の元いた場所を、家族を思って涙する今を想像してみようか。


雲の上の世界なら雲の端がどこかにあるに違いない。その端から飛び降りたら…ヒューンストンと墜ちながら元の世界に到着するのかも知れない。


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