KAC20235 筋肉

@wizard-T

20年間、筋肉ひとすじ

「お疲れ様でした!」


 そんな声を聞くのも、今日が最後であり最初かもしれない。

 オレは20年もの間、こんな世界で生きて来た。


「愛用品とはお別れですか?」

 そんな風に茶化してくれる記者とも今日で本当にお別れだ。ああ、向こうはただの人事異動だそうだけどな。


 人事異動って言ったら、俺もそうだ。

 長年親しんで来た背番号が、来年から10倍になる事が決まった。


 そう、来年から俺はコーチになる。




 万年四位の筋肉バカ。いつのまにかそれがオレのあだ名になっていた。

 ドラフト会議でも四位で入団。そして打率も打点も四位が多かった。「四番」?ああ十六試合ほど経験がある。四×四って言われたけどな。


 とにかく、俺は細かった。甲子園ではそれなりに活躍したつもりだったけど、いざスカウトされてプロ入りすると丸太と枯れ枝だった。

 だから俺は、とにかく筋肉を付けた。ダンベルは毎日三ケタ以上持ち上げ、プレスマシンを壊しちまった事もある。


 その結果三年目に一軍昇格、ヒットもいきなり三ケタ打った。あの時は期待の新人と言われたけど、実際に一軍のグラウンドに立って野球をすると、やっぱり細かった。

 強くなりたい。強くなりたい。その一心でトレーニングを続けた。


 気が付けば一年、二年と経ち、記者が茶化した通りダンベルが恋人のようになっていた。それと一緒に俺はレギュラーになり、クリーンナップになり、九ケタを稼ぐ男になり、万年四位になった。

「筋トレ全振りで技術がない」

「筋肉付きすぎで振りが重い」

 そんな風に笑う奴もいた。だがオレはこうして結果を出した。

 万年四位?チームは万年四位どころか万年Aクラス、日本一も五回も経験した。オレ自身だって二千本安打も打った。

 もう、選手としてやるべき事はやった。悔いなどない。




「しかしもったいないよなー。お前のキャラと活躍からしてオファー来てただろ、たくさん。俺が事務所紹介しても良かったんだけど」

 そんなオレにスーツ姿で声をかけて来たのは、俺の同期にドラフト1位で入団した大卒で元エースの先輩。一二〇勝を挙げたはずなのに、今見るとずいぶんと腕が細い、と言うかひょろ長い。

 今は解説者と言うかキャスター、いや、タレント。まあ、現役時代からしょっちゅうそういうテレビ番組に出ていたから、落ち着くべきところに落ち着いたんだろう。でもオレは、まったく興味がなかった。そんな事をするなら、トレーニングでもしていた方が有用だったから。

「お前、うちのコーチになるんだな…………」

 だからオレがタレント事務所に入らないかと言う同期の先輩の誘いに首を横に振ると、先輩はかなりがっかりしていた。この上なく分かりやすくがっかりしていた。

「まあ、お互い特権階級になってしまったからな。その事を忘れるなよ、ノブレスオブリージュだぞ」


 ノブレスオブリージュ。その言葉に何の意味があるのか。


 とにかくオレは、新たなる道を進む。


 どうしようもなく脆弱だった自分だって、変われたんだから。


 人間、やってやれない事はないはずだ。

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