未来の浮気

春雷

第1話

 浮気というのはどうしてこうも盛り上がるものなのか。禁断の愛、許されざる恋。人は背徳感のある行為ほど、その内なる激情をさらに熱く燃え上がらせるものである。

 三年目の浮気、という歌が確か大昔にあったか。俺は今、インターネットで知り合った女と浮気をしようとしている。付き合っている彼女とは三年目。いわゆる倦怠期である。一年目は付き合いたてのフレッシュさで乗り切れた。二年目も大きな喧嘩が二度ほどあったが、それでも乗り切れた。しかし三年目。互いの熱も冷めていく。喧嘩すらなくなった。つまり、付き合っているという状態に慣れ、互いへの関心が失われつつあるのだろう。人は慣れると興味を失う。その性質が人を浮気へと導くのか。

 これだけは言っておきたいのだが、俺は別にはじめから浮気をしたいと思ってインターネットで女性を探していたわけではない。単に趣味を共有する友達が欲しかっただけである。俺の趣味はプラモデル作りなのだが、彼女はもちろんのこと、他の友達ともこの趣味を共有できていなかった。一人で黙々と作るのも、それはそれで楽しいのだが、やはり、この喜びを分かち合いたいという思いが湧いて来る。俺はインターネットのチャットでプラモデルについて語れる人を探した。何人か反応してくれて、俺たちはかなりマニアックな話で盛り上がった。話のマニアックさと盛り上がりは比例する。俺たちだけがこの話題を共有できるのだという思いが、そうさせているのだと思う。秘密の共有と同じ原理であろう。

 俺たちはグループとなって、毎週プラモデルに関する話題で盛り上がった。しかし、次第に話題はパーソナルなものへとシフトしていく。仕事の話や恋愛の話をすることも増えた。俺は恋愛の話は気恥ずかしかったので、彼女はいないと答えた。それは、そのグループ内での恋愛話が、少々下品なものだったからだ。普段人に言えないようなことを話題にすることで、場を盛り上げるのは別段構わないが、どうも俺の性に合わない。お前も何か恥ずかしいことを告白しろ、という圧力がその場にあるように感じられるからかもしれない。断ればノリが悪いと言われ、場が白ける。しかし本来、全員がしているのだからお前もそうしろ、というのはおかしな話であると思う。そんな義務などないだろう。

 そういうわけで、俺はそのグループと段々疎遠になっていった。インターネットで趣味を共有するのも、ここらで潮時かなと思った。そしてグループを脱退した。

 そろそろ現実に戻って、また元のように一人で黙々とプラモデルを作るかと思っているところで、俺の端末にメールが届いた。それが、彼女と一対一で繋がる、最初の会話となった。

 彼女もそのグループのメンバーだった。女性でプラモデルを作る人は割と珍しい方ではある、という偏見がそれまではあったのだが、実際はそうでもないらしい。俺の周りにいないだけだ。

 彼女もグループの雰囲気が合わなくなってきて、抜けたのだという。でも、俺とは気が合いそうだから、もう少しお話をしたい、と。

 下心がなかったと言えば嘘になるが、現実的な何かを熱烈に期待していたわけではない。そもそも、俺は彼女の顔を知らない。性格も知らない。彼女に関する情報と言えば、城や戦艦のプラモデルが好きだということと、看護師をしていること、実家が岐阜だということくらいだ。年齢も知らない。

 彼女も俺を深くは知っていないだろう。顔を合わせたわけではないのに、どうして気が合うと思ったのか。俺と彼女はほとんど会話していない。

 まあしかし、あなたに興味がありますと言われると、悪い気はしない。俺は彼女とほとんど毎日チャットで会話した。

 そうして会話をするうちに、彼女の情報が増えてきた。大学で初めて男性と付き合ったこと。その男がマルチ商法に引っかかっておかしくなったので別れたこと。父親が家具職人をしていたこと。母親が細菌の研究をしていること。兄が音楽関係の仕事に就いていること。彼女は二十七歳で、身長は百六十二センチだということ。今は神奈川県に住んでいること。今製作中のプラモデルは姫路城だということ。等々。

 俺と彼女は色々な話をした。話題は多岐に及んだ。俺と彼女はプラモデルの好みだけでなく、音楽や映画の趣味も合った。人生観も共通点が多かった。要するに気が合った。俺は段々と彼女に惹かれている自分を発見した。インターネット上だけでなく、リアルで彼女に触れたいと思うようになっていた。俺はついに、彼女と現実で会う約束をした。

 俺は彼女から住所を聞き、彼女の家に向かった。電車を乗り継いで、小一時間ほどかかった。彼女の住むマンションは最近建てられたもののようで、非常に綺麗だった。彼女はこのマンションに一人で住んでいるのだと言う。

 俺は彼女から、三年付き合っている彼氏がいるということを聞いていた。あちらも俺と同じ状況で、倦怠期に突入しているのだという。……淡い期待を抱かずにはいられない。

 一階のロビーで、インターフォンを押す。彼女の部屋は三〇三である。

「はい」彼女の声だ。

「今着いた。待ち合わせ……、十二時で合ってるよね?」

「……はい?」返ってきたのは訝し気な声。

「あれ? 違った? 今日の十二時に待ち合わせじゃなかったっけ」

「あなた、誰ですか」

 もしや違うインターフォンを押してしまったか。いや、それとも彼女の部屋にいる誰かが事情も知らずに話しているのか。……いや、この声は彼女のものだ。二度、電話で話したから分かる。ちなみに、その時のビデオ通話で彼女の顔を知った。

 俺は自分の名前を告げた。

 しかし。

「知りません。誰ですか。……もしかして、またストーカーとか……ですか」

「また? いやいや、そんな。え……、覚えていないんですか」

「知りません」

「そんな……」

「切りますよ」

「ちょっと……」

 切られてしまった。

「どういうことだ……」

 俺は混乱していた。彼女は記憶喪失になってしまったのか? どうして俺を覚えていない? あるいは双子か? 双子ならば声も似ているだろう。彼女の家族構成は把握しているつもりだったが、俺にはまだ言っていないことがあるのかもしれない。

 いや……、しかし……。

 俺は額の汗を拭う。

 ここまで来たというのに。

 そうか、もしかすると、彼女の部屋に今彼氏が来ているのかもしれない。そうだ。どうしてその考えがはじめに浮かばなかったのだろう。突然彼氏がやって来たために、俺の来訪を受け付けられないのだ。なるほど、先ほどの冷たい反応も彼氏の前なら説明がつく。

 そういうことか。それなら俺の携帯に事情を説明するメールが届いていることだろう。俺はマンションから出るなり、携帯を見た。

 しかし何の連絡もなかった。彼氏に捕まって連絡もできない状況なのか。

 こちらから連絡するのは得策ではないか……。さっき名前を言ってしまったし。

「だけどなあ」

 ここまで来て彼女に会えないなんて、それはちょっとないだろう。俺はどうしても彼女に会いたい。できればその肌に触れたい。

 抑えきれなくなり、俺は彼女にメールした。「今大丈夫か?」と。

 返信はないかもしれないと思ったが、意外にも返信はすぐに来た。「大丈夫だよ」

 大丈夫なのか? 本当か?

 俺は返信する。「彼氏が部屋いるの?」

 すぐに返答がある。「いないよ」

 いないのか。だとすれば先ほどの対応は一体どういうことだ。

「さっきはどうして部屋に上げてくれなかったの?」

「どういうこと?」

「どういうことって……。さっき上げてくれなかったじゃん」

「……?」

「いや……、だから……」

 どうにも話がかみ合わない。彼女は二重人格なのかと疑うくらいだ。これは一体どういうことだ。頭が混乱してきた。

 とりあえず俺は再びマンションに入る。そして彼女が住んでいる部屋のインターフォンを押す。

「はい」やはり彼女の声。

 俺は名前を告げる。

「……だから何なんですか。あなたのことは知らないです」

「知らないってどういうことですか。ネットで会話をしたでしょう? 今だってメールで」

「知らないです。やっぱりストーカーですか?」

「違う。そっちこそ何なんですか。俺をからかっているんですか?」

「警察呼びますよ」

「だからストーカーじゃないって。一緒に盛り上がったでしょう、プラモの話題でさ。もうすぐ姫路城が完成しそうだって言ってたじゃないですか」

「どうしてそれを! 私……、プラモデルのことは誰にも……。そうか、あのアカウントを見たのね!」

「アカウント? そんなことは知りません。あなたが直接」

「警察に連絡します」

「いやちょっと待って……」

 切られた。

「ちくしょう! 何だってんだ!」

 段々と怒りが込み上げてきた。これは何だ。おちょくっているのか?

 俺は何度もインターフォンを押したが、彼女は出てくれなかった。代わりに管理人と警備の人がやって来て、俺を捕まえた。


 マンションの管理室で、事情を説明したのだが、彼らには通用しなかった。そりゃそうだ。俺にだってうまく呑み込めていない事情なのだ。結局俺はストーカー扱いされ、署に連行された。

 署の一室に入って事情を聞かれた。俺は冤罪ってこうして生まれるのかもしれないなあ、もう何言っても駄目だ、逮捕されてしまうのかなあ、と自棄になっていた。事情をうまく説明できなかったからだ。ありのまま説明したつもりだが、俺の妄想と捉えられても仕方がなかった。

 軽く絶望していた時、部屋に若い警官が入って来た。彼女はタブレットを携えていた。

「サイバー課の者です」と彼女は言った。「今回の件、こちらで調査したところ、これが原因ではないか、という推測が立てられましたので、確認をしていただきます」

「原因? 分かったのですか」

「ええ。これをご覧ください」

 彼女は俺の前にタブレットを置いた。

「あ」

 そこには彼女が映っていた。紛れもない彼女だ。

「ここに映っている人物が、あなたが今日会いに来た○○さんですね?」警官が俺にそう尋ねた。

「ええ……、そうです」

「間違いないですか?」

「はい。間違いないです」

 警官は頷いて、「しかし、現実の彼女とネット上での彼女は別人なのです」と訳の分からないことを言った。

「はい?」

「これは○○さんですが、○○さんではありません」

「どういうことですか」

 現実の人格とネット上での人格が違うというのはよくある話だが、彼女が言っているのはそういうことか?

 しかし俺の予想は外れた。警官は衝撃的な単語を俺に放って来た。


「これはデジタルクローンです」


「デジ……? 何ですか、それ」

「簡単に言えば、ある個人の人格をAIに学習させたものです」

「AI……。つまり、この画面に映っている人物はAIってことですか」

「そうです。AIが作り出したクローンです」

「そんな……。いやでも……、ええ?」

「このAIは彼女のSNSアカウントや通話内容を学習して、クローンを作り出したようですね。AIに○○さんのデジタルクローンを作るよう指示を出したのは、彼女のストーカーだったみたいです。彼女を付け狙い、アカウントをハッキングし、彼女のデジタルクローンを作った。彼女が自分のものにならなかったはらいせなのか、彼女のクローンをネット上のあちらこちらにばらまいていたようです」

「俺はそのうちの一つに引っかかったということか……」

「引っかかる、といっても犯人の目的は詐欺ではなかったようですが。彼は単に、彼女のデジタルクローンを自分の都合のいいように改造しただけのようです。男にすり寄る女性、といった願望の入った彼女の像を作り上げた、とか。ちょうど今日、彼女のストーカーが捕まっていて、色々と自白してくれました」

「じゃ、じゃあ、俺と会話していたこの彼女は、現実には存在しないということですか」

 警官は頷いた。「もちろんそうです」


 こうして俺の浮気は未遂に終わった。ある意味ではこれでよかったのかもしれない。浮気はやはりよくないことだからだ。しかし、多少残念だと言う気持ちは残る。下心は抜きにして、単純にあの話の盛り上がりが嘘だったということ、その過去が現実には存在しないこと。その事実が悲しい。全部嘘だったのか……。

 最先端技術はほとんど魔法と大差ないように思える。俺は魔法にかけられていたのだ。

 夢……、幻覚を見させられていたのだ。

 しかし、と思う。それは今までにもあったことだ。俺たちは様々な夢を見させられている。どこまでが現実でどこまでがそうでないのか。その区別がついたためしはない。

 架空の恋……。

 それもまた一つの現実なのかもしれない。

 

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未来の浮気 春雷 @syunrai3333

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