泥試合

@kms05

リベンジ

今私は、とある男に絶賛ハマっている。


彼はもうとにかく私に優しくて、大好きだ。電話をすればすっ飛んできてくれるし、会う時はいつも求めてくれる。食事に行けば財布を出してくれるし、彼の友達にも私を彼女として紹介してくれた。でも時々、急激に手のひらを返したように冷たくなるのが気になる。何だかぼーっとして上の空になってしまう。適当にあしらわれているようで、不安になってしまう。私がそっぽを向くと、途端にホストみたいにご機嫌をとり出すのも気に入らない。毎日飲むお酒の量も半端なく、感情の振れ幅が激しい。鬱陶しいけど、でも愛しい彼。この強烈なアップダウンに振り回されているうちに、私も何だか自分というものを無くしてしまったような気がしていた。


おととい、お揃いのリングを買いたいと言ったら、渋谷のど真ん中で変な目をされた。私の存在を無視して、彼は一人でスタスタと歩き出してゆく。


置いて行かないでよ?


この宙ぶらりんはどこから来るのだろう。すっごくモヤモヤしている。そしてこのモヤモヤの頻度も前からするとずっと増えた。言いたいこともたくさんある。


どこに住んでいるの?

兄弟はいるの?


でももし大喧嘩でもしようものなら、彼は迷わずに別れを切り出すタイプだ。だからできるだけ爆弾を落とさないようにしている。なんで年下相手にこんなにも気を使わなくてはいけないのだろう?まるでベビーシッターをしているみたいではないか!



彼と出会ったのは一昨年のバレンタインデーだった。

友達カップルが主催した合コンで、私たちはお互いに一目惚れした。

彼は日本人とタイ人のハーフ。童顔なのに、体がとてもがっちりしている。体育会系の体とのギャップにドキドキした。「ほら見てよ」そう言ってシャツを捲り上げた左腕の腕の下には、タイ語のタトゥーがあった。読めない横文字。見たことのないフォント。それも含めて、ますます私は舞い上がった。


父親の誕生日を意味するのだそうだ。


「これは失踪した父親の誕生日なんだ。」


彼はおどけ、そう教えてくれた。

小さい時に居なくなった父親とは今も一切連絡が取れない。どうしているか、どこにいるかもわからないという。タイに残った母親は現在一人暮らしをしているが疎遠だという。


「俺は家族とは縁が薄いんだ。」


そう言って、残ったビールを一気に飲み干した。


なぜなんだろう、初めから誰とも付き合うつもりがないのだと境界線を張られた気がした。こんな寂しい俺を慰めてくれよ、そう言われているような妄想に陥った。幼い頃に両親が離婚、父親なしで育った自分の姿を重ね合わせた。私と同じ、愛に飢えた人間。寂しそうな瞳になぜか惹かれ、後日二人だけで会う約束をして、ケータイの番号を交換した。


あれから私たちはほぼ毎日、ずっとずっと一緒にいる。

一緒に住んでいないけど、毎日会っている。

彼がどこに住んでいるかも知らないし、彼のお家に行ったこともないけれど、でもまだ一緒にいるんだ。


付き合っているというよりも、正式に別れてはいないから、まだ一緒にいることになっている。彼が私のことを好きなよりも、私の方が断然、彼のことを想っているのはずっと前から明白だった。


期待しすぎてはいけない。期待しすぎると、裏切られた時に想像以上に大きく傷ついてしまうからね。。


彼の感情も、私の感情も、ずっと見ないフリを私はしてきた。



ぼーっとしながら新宿の町中をゆっくり歩く。こういう日に限って、カップルばかりが目につくのが不思議だな。みんな、どんな事を考えて付き合っているんだろう。。。


これから彼と会う約束をしている。会いたいからというより、毎日会うことがお決まりになっているから会う。多分今日も、ご飯を食べて、いつものラブホ。決まりきったことを繰り返すのは、安心感がある。


もうちょっと刺激がほしいな。

ホテルじゃなくて、彼の家に行ってみたい。一緒に手料理を食べて、テレビを見たり、「普通の」カップルになりたい。。。


そんなことを考えている時、急に右肩を後ろから「ポン」と叩かれた。


「久しぶり!!仕事帰り?誰かと待ち合わせでもしてんの?」


合コンで一緒だった、美恵子ちゃんだった。

コロナのせいで、もうずっと何ヶ月も会えていなかった。髪を短く切った恵子ちゃんだと気づくまでに、少し時間がかかった。スーツを着た美恵子ちゃんの髪の毛は黒くなっていて、すっかり銀行マンの雰囲気をまとっていた。


「ずっと連絡しようしようと思ってたんだけど、結局会えなくなっちゃったね。ごめんね。元気だった?今度一緒にご飯でも行こうよ!」


私はいつも、人の顔色ばかり伺うような生活をしていた。自分自身がない。根性もなくてやりたいこともないものだから、就職活動も上手くいかな買った。


こんな私の事を気にかけてくれる人がいることに何だか感動してしまったのと、自分の不甲斐なさに失望し、思わず涙がハラハラとこぼれ落ちた。


「え?え?どうしたの?何かあった??」


「ううん、ちょっと彼と上手くいってなかったから。ごめんね。。でも美恵子に会えてホッとしたんだよ。」


「え、あれ、そうなの、彼いるの?知らなかったよ!誰?私の知ってる人??」


「うん、覚えているかなあ、コロナ前の合コンで会った、タイと日本人のハーフの子だよ」


「。。。。。」


目を大きく開き、口も半開きのまま絶句したような美恵子ちゃんの顔が目の前にあった。しばらくして、彼女は申し訳なさそうに小さくつぶやいた。


「え、でもあの人、結婚してるんだよ?何人も股かけてるって有名だよ?ものすごい遊び人で、仲間内でも日本人の女の子好きで、相当派手だって。。。。奥さんの名前までタトゥー入れてるのに、信じられないよね。大丈夫なの?」


「。。。。。」


美恵子ちゃんは目を伏せて、ごめんね、もう行くわ、と小さく呟くと、そそくさと立ち上がり、その場を立ち去っていった。私は頭を後ろからかち割られたようになり、血の気がさーっと引いていくのを感じた。何も考えられず、全身に鳥肌が立ち、夢から一気に覚めたことだけを認識した。


小さな男の子のような、まるでバンビのような大きなくりくりした可愛らしい黒目。不貞腐れるのも可愛くて、時折りキュンとさせる笑顔をくれる。絶妙なタイミングの急なキス。街中でキスされた事のない私には新鮮だった。毎日欠かせない、おはようとおやすみコール。何もかもが計算、演技だった。彼のゲームだった。彼は「沼ゲーム」を楽しんでいた。


なんだあ、ものすごい才能じゃん!


心の底から軽蔑するような笑いが込み上げてきた。自分に対してなのか、あるいは彼に対してなのか。もしかしたら両方かもしれない。


もしかして、アメバとかに出てる、役者の卵だったりしてね。。。



下を向いたら、きっと涙が溢れて止まらなくなる。だからできるだけ上を向いていよう。。。


15メートルほど向こうから、ポケットに手を突っ込んだ「彼」の姿が瞼に飛び込んでくる。立ち上がって逃げようかとふと思った瞬間には、もう彼はすぐ私の目の前にいて、その力強い両腕で私の体をギュッと捕らえてしまった。


その腕には、あんたの奥さんの名前が刻まれているんだ。


そう言葉を発する前にもう、彼の唇は私の唇を塞いでいた。


「ずっと一緒だよ」


彼のその嘘に、吐き気を催した。失笑を隠すのに私は必死だった。何を勘違いしたのか、私の返事を待たずに、彼は凍りついた私の手を力強く握り返した。グイっと体を引き寄せると、そのまま肩を抱き寄せ、いつもの「沼ゲーム」を彼は始めた。


あと今日一日だけ、最後に、沼にハマったふりをしてやるか。

これからどうやって、こっ酷く仕返ししてやるかな?


いつものラブホへの道を、私はいつも以上に大股で、軽やかに歩き出した。



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