第6話 アキナ出陣
深夜の〈923club〉の店内に入ってきた黒い若者に、すべての客の視線が集中した。
全員が今日、ここに彼が来店することを知っていた。
なぜならば、その日の昼間に彼に挑戦状を叩きつけた女の存在がフェイスブックなどで知れ渡っていたからだ。
常連客も、たまにしかこない―――いわゆるミスター・アンシーリーコート目当ての客も、こぞって時間前に訪れて席を確保していた。
良識あるものは眉をひそめる。
ミスター・アンシーリーコートの試合がどういう結果を引き起こすかわかっている以上、主たる目的がただの残酷な見世物をみたいという昏い欲望だと見抜いていたのだ。
見物人たちは公開処刑を待ち望んでいるのだ。
そして、今回処刑されるものは、フェイスブックの投稿によれば、見目麗しい日本人の美女だという。
「気持ち悪いやつらだ」
〈923club〉のオーナーであるジョン・マルコスは吐き捨てた。
古風な社交場を意識したプールバーとして始めた彼の店が、ただの見世物小屋にまで落ちぶれてしまったことを嘆いていた。
数ヶ月前に、アンシーリーコートが通うようになって以来、彼の城は急速に落ちぶれて、今ではあんな悪魔によって支配されるようになってしまった。
だが、アンシーリーコートの悪魔具合を最もよく知る者も彼だった。
逆らえるはずがない生粋の悪魔。
店内でも店外でも、彼に逆らえば待つものは死だ。
アンシーリーコートと試合した直後にトイレで首を吊って自殺したギャングの身内が、路上で銃をもった大勢で襲撃した時も、トラックでひき殺そうとした時も、どちらも失敗に終わり、逆に返り討ちにあっていた。
いや、返り討ちにあったかどうかもわからない。
生きて誰かと再開した者もおらず、一つの死体もでなかったからだ。
CSIの特殊捜査班でも見つけられないぐらいに、襲撃者たちはこの世から姿を消してしまった。
だが、みんなは犯人を知っていた。
ラスベガスの夜を支配する悪魔として、ミスター・アンシーリーコートは君臨していた。
そして、悪魔は信者とともに待つ。
一人の生贄がやってくるのを。
◇◆◇
トントンとベランダの窓ガラスが叩かれた。
仮眠から覚めたばかりのアキナが、眠い目をこすりながら近づくとガラス越しに突っ立ったシーリーコートがいた。
指を使って、開けて、というジェスチャーをしていた。
アキナは無視して、ベッドまで戻り、スーツケースを開ける。
そろそろ〈923club〉に行かなければならない時間なので、準備をしなければならなかった。
妖精なんぞに構っている時間はない。
それにどうせ……
「……ひどいですよ。開けてくださいって言ったのに」
窓ガラスを開けてもいないのに、すぐ後ろに白い青年がやってきていた。
何事もなかったかのように茫洋とした顔で。
「どうやって入ったの?」
「あれ、アキナさん、僕が入ってくるのを絶対に見越していましたよね」
「―――まあ、ね」
二十階建てのホテルの十八階のベランダに現れるような非常識な存在が、たかが窓ぐらい開けられないはずがないと思ってのことだ。
それについさっき見せられた超常能力の持ち主であることも加味すれば、何があっても不思議ではない。
「ところで、あたしの言いつけ、ちゃんと守ったでしょうね」
「僕は貴女の召使ではないんですけど……。でも、ちゃんと従いましたよ」
「今は?」
「言いつけ通りにしてますよ」
「ならいいよ」
シーリーコートが自分の言うとおりにしたことを確認すると、アキナは彼への関心を全くなくし、そのまま姿見に向き合うと着替えを始めた。
皺になったカットソーを脱ぎ、用意しておいた白いブラウスを身につけ、棒タイを締める。
スカートは動きやすくスリットを作ったタイトだった。
ベストとタイトスカートは揃いの臙脂色で、この日のために仕立て屋で作っておいた動きやすいものだ
長い髪はアップにまとめる。万が一にも目に前髪が入らないような配慮だ。
それから仮眠中もつけていた眼鏡を外して、コンタクトレンズを付ける。
「……一言、いいですか?」
「なによ」
「僕がここにいるのによく生着替えができますね。いきなりでびっくりしましたよ」
シーリーコートが部屋の端で呆れたように言う。
目の前で女がいきなり着替え始めても顔色ひとつ変えないくせに、まるで常識人のような発言をする不審者であった。
不審者がいるのに平然と着替え出すアキナも並大抵ではないのではあるが。
「別に全裸になったわけじゃないでしょ。あたしは気にならない。それにあんたは何もしないでしょ」
「うーむ、そこまで信頼されると困りますね」
「信頼なんてしてない」
「え、そうなのですか?」
「会って数時間の怪しいやつを信頼するはずがない。あたしが信じているのは、あたしの観察眼とあんたの立ち位置。―――あんたは、あたしを利用してミスター・アンシーリーコートをどうにかしたいだけなんだから、あたしに危害を加えることはしないはずだからね」
「うーむ、確かにその通りなんですけど、ちょっと複雑な気持ちになりますね……」
「あたしは人外と馴れ合う気はない」
シーリーコートは肩をすくめた。
正直な話、彼は目の前の少女の扱いが今ひとつわからなかった。
どうにもやりづらいのだ。
自分のペースに持っていくことができないし、かといって取り付く島もないというわけではなく話も通じる。
だが、はっきり言えることは、最近の彼が
そして、それはかつて幾多の妖精たちが敗北してきた、御伽噺の中にあるものだということも。
(まさか、現代の世の中にこういうタイプがいるとは……。いや、違うかな。人間というものは本来こういう強い心を持っているんだろうね。
「作戦は立ててあるんでしょうね。アンシーリーコートに勝つための」
「今までずっと磨いてきた技術で正々堂々勝負するだけだから」
白い青年の問いかけに、アキナは答える。
眼元が歪んでいた。
笑いの形に。
(まったく、なんて油断も隙もない女性なんでしょう)
シーリーコートは立ち上がると、準備が終わり、ビリヤードケースを持つだけという状態になっていた彼女に手を差し出した。
「何、その手?」
「〈923club〉までお連れしますよ。僕が妖精であることの証明も兼ねて」
「どうするの」
「僕はどこにいても自在に好きな場所に遍在できます。それが僕の力の一つです」
「へえ、じゃあやってみて。報酬は出さないけど」
「……貰う気もないですけど」
そう言って、シーリーコートは彼女の手を取ると、そのまま「移動」した。
大妖精シーリーコートだけが持つ、特殊な力「妖精遍在」だった。
遍在とは、広く行き渡って存在することをいい、どこにでもあるがどこにもないという真逆の意味を持つ言葉だ。
そして、シーリーコートの「妖精遍在」とは近くに彼と同質の妖精が存在さえすれば、未踏破の場所ですら瞬時に移動できるという便利なものだった。
その便利さゆえに、彼の追跡を嫌がり、自らの存在を隠そうとするものたちは後を絶たないので、猟犬としての彼はあまり有能とはいえなかった。
普段は、従者のパックや仲間のレプラカウンの力を借りて「裁判にだす被告の妖精」を探し出している始末なのだが……。
今回、彼が追っているアンシーリーコートは彼の存在を知ってはいるようだが、純粋な妖精ではないため、警戒する程度の反応しか示しておらず、その点では苦労というものはなかった。
ただし……
(元人間というのが厄介なんだよね……)
今回の彼は元々の自分と同じ境遇の相手に対して、あまり非情に出られないところがあった。
普段ならば、勝手気ままに妖精の力を行使する相手ならば容赦なく粛清するのだが、どうにも勝手が違い、ただ様子を見る程度のことしかできなかったのだ。
今生のシーリーコートとしては未だ成り立てということもあったが、望んで妖精と人間の中間に立ったわけではないものとしては断罪の刃を非情に叩き下ろすということはかなり難しかった。
シーリーコートという存在が、人間が妖精の力を得たものと定義されるのならば、アンシーリーコートは手に入れた力を得手勝手に奮うものと定義される。
つまりは、彼とて下手をすればミスター・アンシーリーコートと同様の存在に堕ちてしまうのだ。
妖精王オーベロンを身に宿し続けていたおかげで得た無類の力だけでなく、相原ケイヤという思慮深く優しすぎる少年の心があったおかげで「目に見える法廷」となったが、実際問題、彼とミスター・アンシーリーコートにはそれほどの違いはない。
ただ、立ち位置が真逆だというだけだ。
そういうこともあり、手を出しあぐねていたところにやってきたのが、彼女―――川澄アキナだった。
ラスベガスの闇の象徴として君臨する悪魔を倒すためと大口を叩く若い女性。
そこで、アキナを利用してアンシーリーコートをやりこめようと考えた彼だったが、その目論見は大きく外れることになる。
利用しようとするにはあまりに難しい相手だったからだった。
(ただ、この
シーリーコートは、彼にしては珍しく他力本願なことを考えていた……。
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