【KAC20235】踊らされているのは俺らしい

香アレ子

第1話

 継続は力なりとよく言うが、本当だったのだなと思う。

 最寄り駅前に新しくジムができたのは4年前。

 大学で運動部だったのに、会社に入って半年、研修などデスクワークが多く、身体を動かしていなかったので、何か運動をしようと思っていた俺は、それでも金のかかりそうなジムに入会する気は全くなかった。

 その辺の河原を適当に走れば十分という人間だからだ。それが、なぜジムに入ったのかと言えば、よく覚えていない……というのは嘘で、駅前でチラシを配っていたお兄さんがたいそういい男だったからだ。

 それまで筋トレをする男といえば、ムキムキの筋肉自慢のイメージだったが、彼は魅力的な筋肉を持ちながらも細身の体型を維持していた。女子が細マッチョ最高と言うのを聞いたことがあるが、まさにそれである。ふくらはぎの筋肉などはしっかりしているが、足首は細い。腹筋なども、線は出ているが太さは感じない。

 なぜ分かるのかって? 彼が薄いトレーニングウェアにパーカーを羽織っただけの姿でチラシを配っていたからだ。客が居ない時間に宣伝のためにチラシを配っていたのだろう。まぁ、その姿に目が離せなくなったのだ。顔は、全く見ていなかった。綺麗な身体だと思っただけだ。変な意味ではない。

 そんな俺のぶしつけな視線に気づいたのか、彼は俺に近づいてきて言った。「宜しければ見学していきませんか?」と。

 軽い気持ちで見に行ったのに、「鍛えれば綺麗な筋肉になりますよ」なんておだてられ、気づけば入会していた。開店キャンペーンとかで、入会金は無料だった。月会費はお安くはないが、休日と平日夕方以降にしか利用できないプランにしたため、そこそこ抑えられた。

 そんな経緯で、気軽な気持ちで筋トレを始めたのだ。いつまで続けようとか、何か目的があったわけではない。ただ、なんとなく入会してしまったというやつだ。それが4年も続くとは思っていなかった。それもこれも、チラシを配っていたお兄さん、佐伯さんの影響が大きい。タイミングよく褒めるのが上手いのだ。なんとなくやる気が薄れてくると、佐伯さんが適度に褒めてくれる。そうすると、単純な俺は簡単に復活してしまう。まぁ、手のひらの上で転がされている。

 佐伯さんの筋肉を目標にしていた俺だが、結局そんな細マッチョにはなれず、取引先に行くたび、誰かに良い筋肉してますねとか鍛えていらっしゃるんですか?とか言われるほどだ。生活に不便なほどは鍛えられないが、サラリーマンでここまで筋肉がある人間はあまりいないと思う。

「今日も来たねぇ」

 ラットプルダウンをしていると、佐伯さんがやってきた。正直なところ、佐伯さんが居る日は仕事でどうしても来られない日以外は毎日来ていると思う。佐伯さんが居ない日は、半々くらいかな。

「もうすっかり習慣になっちゃって」

 嘘ではない。4年も通っていると、来ないと落ち着かないまでになった。

「筋肉のためには継続が大切だからねぇ。私も嬉しいです」

「佐伯さんが声かけてくれなかったら入ってなかったでしょうからね。俺も感謝してます。ちょっと思ったより育っちゃいましたけど」

「筋肉がつきやすい体質なんでしょうね。私は、自分好みに育ってくれて嬉しいですけれど」

 佐伯さんが朗らかに笑う。……なんか、今、気になるワードがあったような?

「え?」

「……筋肉の話ですよ?」

 だよなぁ。驚いた。

「ですよね。俺は佐伯さんみたいな筋肉が良かったんですけれど。まぁ、佐伯さんの好みならいっか」

「そうなんですか? 逆に私は育ちにくくて。うらやましいですよ、すぐに大きくなるの」

 決めた回数が終わったので、バーをそっと離す。話しながらも、ちゃんとカウントはしている。

「互いに相手の筋肉がうらやましいってことですね」

 筋肉を褒められただけなのに、なぜか自分の顔が赤くなった気がする。慌ててタオルを頭からかぶった。

 次のマシンに向かうために歩きだす。本当は、佐伯さんと顔を合わせているのが妙にはずかしいだけだ。すれ違う瞬間、佐伯さんがこちらに身体を寄せた。

「好みなのは筋肉だけじゃないけどね」

 一気に頭に血が上った。くらくらする気すらする。

 やはり俺は、佐伯さんの手のひらで踊らされているらしい。

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