後編 1  ワイルドベア




 バーレル男爵が昨日のことを回想しているうちに馬車が止まった。



「降りましょう」


 プレートアーマーを着けたバーレル男爵はそう言って、御者が外から扉を開けると二人よりも先に降りた。

 そしてイトウ・ノゾミとカトウ・ユウタをエスコートし馬車から下ろす。

 バーレル領に、グリフォンと闘い一般人を守れるような戦士は、負傷しており既にいなかった。領主のリロイ=バーレル男爵自身を除いては。


「よいか、しばらく戻ったつづら折りの曲がり角の先まで行き、隠れていよ。全て終わったら呼びに行く。丸1日経っても私たちが戻らなかったら、妻ケイトに伝えに戻るのだ。ニラが沢山生えているところがあったから匂いを消すためにそこに潜んでおれ」


 バーレル男爵は御者にそう指示して逃がした。


「グリフォンは馬を嫌います。必ず出て来るはずです」


 リロイ=バーレル男爵は、自信を持ってそう断言した。

 グリフォンは馬を嫌う。隊商が襲われるのもそれが原因だ。

 討伐隊も、騎乗した将官が真っ先に狙われ、指揮系統が破壊され壊滅した。

 街道上で馬をおとりにしてグリフォンをおびきだすのだ。


「イトウ様、必ずカトウ様は私が守り抜きます。気にせず存分にお願いいたします」


「はい」


 イトウ・ノゾミが短く返事をする。


「……ご領主様、すみません、僕なんかのために……」


 カトウ・ユウタが小声でそう礼を言って来る。


「なんの。カトウ様の補助魔法がイトウ様の攻撃力をかなり増強しているということは聞いております。カトウ様がイトウ様を視認出来さえすれば、『部分筋力強化』は可能なのでしょう? 必ずカトウ様は守り抜いて見せます」


 そのやりとりを聞いていたイトウ・ノゾミは静かに目を閉じ、息をゆっくり吸ってゆっくり吐いた。

 イトウ・ノゾミは目を開けると、馬車の前に進み、「ふんっ」と気合と同時に震脚を踏む。


 ズン、と震動が地面を伝わってくる。


 高校のブレザーの制服の上にピンクのチェック柄のパーカーを羽織ったイトウ・ノゾミ。その眼鏡の奥の眼光は鋭く、ゆるく編んだおさげの三つ編みが風になびいた。


 その姿を見たリロイ=バーレル男爵は、これが本当に昨日あわあわと落ち着きがなかったあの少女なのかと息を呑んだ。


「カトウ様、今のは『部分筋力強化』は使われたのか」


「……いえ、希美ちゃん自身の力です。伊藤流拳法の震脚です」


 これが勇者候補……彼女ならば必ずや。


 と、その時街道脇の山側からバキバキガサガサと何か大きなものが移動してくる音がした。


 「イトウ様、恐らくグリフォンが動く気配を察知した山の魔物どもが逃げまどって、こちらに向かって来るのだと思われます! 油断なきよう!」


 バーレル男爵がイトウ・ノゾミにそう叫ぶと、イトウ・ノゾミは振り向くことなくゆっくりと音が近づくその方角を向く。


  ギャーオー!


 街道に姿を現し咆哮したのは、体長4m近い巨大なワイルドベアだった。


 ワイルドベアはイトウ・ノゾミに気が付くとあっという間に距離を縮め立ち上がり、素早くイトウ・ノゾミに右前足を振り下ろした。


 イトウ・ノゾミの身長は160㎝程度。立ち上がったワイルドベアはイトウ・ノゾミの3倍以上の大きさだ。

 その右前足の一撃が当たれば、イトウ・ノゾミの上半身は鋭い爪で切り裂かれ消し飛ぶだろう。


 当たる! とリロイ=バーレル男爵が感じた瞬間、イトウ・ノゾミは身をひるがえしてしゃがみこみ、その勢いでワイルドベアの足に下段回し蹴りを放つ。


 回し蹴りが当たったワイルドベアの太い足はバキッという音を立て折れた。


 イトウ・ノゾミは間髪入れず立ち上がりざまに右アッパーをワイルドベアの腹に叩き込んだ。

 ワイルドベアはくの字に折れ曲がり吹き飛ぶ。


 右アッパーが当たった腹は何ともないが、裏側の背中がアンチマテリアルライフルの狙撃を受けたかのように内部から破裂した。


前掃十字把ぜんそうじゅうじは! 下段回し蹴りと立ち上がる勢いを利用しての右アッパーの2連撃! 希美ちゃんの得意技ですっ」


「す、凄い……」


 そう言ったきりリロイ=バーレル男爵は絶句する。


 恐るべき力だ。あのような攻撃をされて耐えられる生物など果たしているのだろうか? ましてあれが人間相手に使われたならば……


「今のは、カトウ様の『部分筋力強化』は使われたのか……?」


「はいっ、希美ちゃんは技が正確ですから、僕もずれませんっ」

 

 嬉しそうなカトウ・ユウタの解説を聞いていたリロイ=バーレル男爵は、ふと気づいた。

 カトウ・ユウタが普通に喋れている。

 カトウ・ユウタを見ると、髪に隠れているが目は真っ直ぐイトウ・ノゾミを見つめているようだ。

 その表情は心なしか口角が上り、笑顔を形作っているようにも見える。


 その後も次々と現れるワイルドベアやジャイアントボアなどをイトウ・ノゾミは殆ど一撃で倒していく。


 「虎身連攻! 肘からの右後ろ回し蹴り!」

 「膝弾鉄山靠だ! 膝蹴りから背向けで全体重を乗せての体当たり!」


 カトウ・ユウタはイトウ・ノゾミが次々に魔物を倒していくさまを、嬉しそうに解説している。


 リロイ=バーレル男爵は、イトウ・ノゾミの強さに対する己の畏れが、カトウ・ユウタのその様子を見る事で和らぐのを感じた。

 なんとも微笑ましいではないか。


 なるほど、このお二人は、良いバディなのだな。


 恋愛とは少し違うが、カトウ・ユウタはイトウ・ノゾミに憧れ、力になろうとしている。

 そしてイトウ・ノゾミもカトウ・ユウタを庇護しようとしている。


 ふふ、ならば私も精一杯この少年を守ろう。

 イトウ・ノゾミの驚くべき力と、それを引き上げるカトウ・ユウタのささやかな能力。

 だが、この少年が危難に陥ればイトウ・ノゾミはまずこの少年を救うことを優先するだろう。

 私がこの少年を守り抜く限り、イトウ・ノゾミはその全ての力をグリフォンを倒すことに注ぐことができる。

 この少年を守ること、それが引いては我が領のためでもある。


 リロイ=バーレル男爵がそう気合を入れ直した時、既にグリフォンに恐れをなした魔物はあらかたイトウ・ノゾミに倒されていた。

 イトウ・ノゾミは気合いを緩めることなく辺りを伺っている。


 その時、山頂方面から大きな羽ばたきの音が響いて来た。


「来ました、イトウ様!」


 イトウ・ノゾミは無言で上空の羽ばたきする物体を見上げる。

 その物体は上空でぐるぐると旋回し、大きさもまだ定かではない。

 と、その物体が一直線に馬に向かって急降下した。


 速い。


 空の点だったグリフォンが、一瞬のうちに空の半分をその体と翼で覆い地上を圧し潰す、そんな重圧と風圧をリロイ=バーレル男爵は受けた。

 傍らのカトウ・ユウタの腕を左手でしっかり握り、右手は剣を構える。


 瞬間。


「やっ!」


 気合いの掛け声とともにイトウ・ノゾミの体が矢の如く一直線に鋭く飛び、突き出した左足と左拳がグリフォンの腹部に突き刺さる。


「GYAOu!」


 グリフォンの鷲の口から悲鳴が漏れた。

 馬を狙って急降下したグリフォンだったが、イトウ・ノゾミの一撃で狙いは逸れ、横に一度飛び去る。


箭疾歩せんしっぽ! いいタイミングだったけど、空中だったから破壊力はそんなに乗らなかったなあ」


 カトウ・ユウタが興奮気味に話す。もう声の大きさは普通に叫んでいるくらいになっている。


 一方のリロイ=バーレル男爵は、初めて自身の眼で見るグリフォンに戦慄していた。

 何だあの大きさは。

 急降下してきた足の蹴爪だけで十分馬の体長くらいはあったように見えた。


 あんなものに一直線に空から襲い掛かられたら、この少年を守り切れるだろうか……


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る