7話 翌朝、彼女の土下座
翌朝。
窮屈感と体の節々から感じる鈍い痛みで、俺は目を覚ました。
寝袋にくるまったまま、もぞもぞと右手を動かしスマホを拾う。ホーム画面に表示された現在時刻を確認すると午前六時ちょっとすぎ。
昨晩は九時には眠ってしまったこともあって、だいぶ早起きしてしまったようだ。
俺は上体だけのっそりと起こし、寝袋のジッパーを引き下げて両手を自由にしてから、うーんと大きくのびをする。
バキベキボキッと肩周りから派手な音がした。
寝袋を床に直置きしたのがいけなかったのか、そもそも安物だったせいなのか、寒さこそ凌げたものの寝心地はサイアクだった。
寝袋を脱ぎ捨て立ち上がってから、そのままキッチンシンクに置かれたコップで水を一杯飲む。
それでようやくひと心地ついて、まどろんでいた意識がクリアになってきた。
「烏丸さんは生きてるかな……」
そうつぶやいて、俺は彼女がいるであろう部屋の中へと足を向けた。
「うう、死にたい……消えたい……うち、なんてことしてもうたんやろ……」
早朝といっても過言ではない時間にも関わらず、彼女はすでに目を覚ましていた。
部屋の片隅で縮こまるように膝を抱えて体育座りしており、ぶつぶつと自虐的なセリフを呟いている。
「あー烏丸さん……?」
そんな彼女に俺が声をかけると、彼女はビクッと肩を大きく震わせる。それから錆びついたブリキ人形みたいに、ギリギリと鈍い動きでこちらに振り向いた。
彼女と目があう。彼女はメガネを掛けていた――かと思ったら、すぐに目を逸らされた。
「あーその、おはよう」
「ぉ……ょう……ぃます……」
「えっと、どこから説明したらいいかな……」
俺は頬をポリポリとかきながら、彼女にかけるべき言葉を探す。
「昨日のこと……覚えてる?」
その質問。それがきっとスイッチだったんだろう。
「この度は……本当に……本当に本当に本当に……」
彼女の上体がコメツキバッタのように飛び上がったかと思うと。
「本当に申し訳ございませんでしたー!」
そう言って彼女は勢いよく頭を下げた。後頭部から背中にかけてのラインが真っすぐで、お手本になるくらいキレイな土下座だった。
「ま、まぁまあ、そんなに謝らなくてもいいよ。ほら、顔を上げて?」
「申し訳ありません。申し開きの言葉もございません。生きててホントにすいません」
「いいから、マジで。頭上げて! ね?」
彼女は一向に顔を上げようとしない。それどころか、床におでこを擦り付けるように、さらに深く強く頭を垂れようとしているように見えた。
どうやら、昨晩の痴態は、しっかりと彼女の記憶に刻み込まれているようだ。
***
「とりあえず、水飲む? ちょっとは落ち着くよ? はい、これ」
「はい、すいません……いただきます」
正座の姿勢でうなだれ続ける彼女にペットボトルに入ったミネラルウォーターを手渡した。これは昨日の飲み会のドリンクの山から、こっそり拝借してきたものだ。
烏丸さんは俺に促されるままにペットボトルを受け取ると、そのまま力なく、こくこくと口に含んだ。
「ちょっとは落ち着いた?」
「はい……ありがとうございます……」
「それで、えーと、今の俺と烏丸さんの、この状況なんだけどね」
「はい……」
「昨日の夜、まあ烏丸さんは酔いつぶれちゃってね。それで俺がアパートまで送っていったんだけどさ」
「なんとなくそこまでは覚えてます……」
「そりゃよかった。それで烏丸さんの部屋の前まで着いたんだけど、部屋のカギが見つからなくてね? ずっと外にいるわけにもいかなくて、とりあえず俺の部屋に上がってもらったんだ。つまり、今君がいるこの部屋は、俺の部屋ね」
「わざわざ、私を連れて移動していただいたんですか?」
俺の説明を聞いていた烏丸さんはおずおずと、申し訳なさそうに――といってもさっきからずっと申し訳なさそうにしてるんだけどさ、質問を一個返してきた。
「ああ、そうだ。そのことを説明しなきゃな。えっと、ひとつすごい偶然があってさ。俺と烏丸さん、同じアパートのお隣さんだったんよ」
「え……?」
烏丸さんの瞳が、分厚いメガネレンズの奥で、丸くなったような気がした。
「そうなんですか……?」
「うん。ここはコーポとまり木の201号室。烏丸さんの隣の部屋だよ」
「はあ、そうだったんですね……」
烏丸さんはそうつぶやくと、しげしげといった感じで回りを見渡していた。
「ところで、部屋のカギなんだけど。ありそう? もしかしてどっかに落としちゃったとか」
「あ、えっと。大丈夫です」
烏丸さんはそう言ってカバンの中からカギを取り出して、俺の方へ見せてくれた。
「ごめんなさい。カバンの内ポケットの中に入れていたもので……」
「よかった。じゃあ部屋には入れるね」
俺が安心して微笑むと、烏丸さんはサッと顔を俯けてしまった。
「とりあえず、授業は明日からだし、今日はゆっくり休むといいよ。その、色々あって疲れてるだろうし」
「わかりました……」
烏丸さんはそう言うと、自分のカバンを抱えてよろよろと立ち上がった。
そして、俺の方に向き直ると、改めて深々と頭を下げた。
「あの、鳩山さん。この度は、多大なるご迷惑をおかけしてしまい、本当に本当に……大変申し訳ありませんでした。この償いはなんらかの形で必ず行いますので……」
「いやいや、償いってそんな大げさな。あんまり気にしないで」
「大げさじゃありません。本来ならこの場で喉元をかき切って、死をもってお詫びすべきなんです。でも、警察の事後処理など……鳩山さんに重ねてご迷惑をおかけするだけかと思って――」
「いやいや! こえーから! 冗談でも笑えないから! 酔っ払いの介抱したくらいでいちいち死なれたら、たまったもんじゃねーから!」
「いずれにせよ、このままでは私の気がすみません。いったんこの場は失礼させていただきますが、後程必ずなんらかの報いを……お待ち下さい」
な、なんだろう。どこまでマジなのか分からないけど、なんか怖いよ。
「それなら償いとか報いとかネガティブなのじゃなくてさ。お礼とか、そんな感じのポシティブなので頼むよ。ははは……」
「お礼ですね……はい、承知いたしました」
苦笑いを浮かべながら入れた俺のフォローに、烏丸さんは大まじめな顔でうなづく。
「それでは失礼させていただきます」
烏丸さんはもう一度だけペコリと頭を下げて、玄関の方へ歩いていった。
「あー、そうだ。烏丸さん」
その後ろ姿に向かって、俺は声をかける。烏丸さんが振り向いた。
「はい、何でしょう?」
「えっと、俺……昨日の夜は、神に誓って烏丸さんに変なことはしてないから。肩を貸したりはしたけど、それ以外は指一本たりとも触れてないし。その、成り行きでこんなことになっちゃったけど。だから、それだけは安心してね」
烏丸さんを安心させるため、そして自分自身の清廉潔白を示すために、そう言葉をかけた。
仮にもこれから四年間、同じ学科でしかもお隣さんになるわけだし、変な誤解や禍根とかは残ってほしくなかったからだ。
「お互い、新生活が始まるわけだし。昨日のことは悪い夢だと思って早く忘れて、これから楽しい大学生活にしていこ?」
そんな俺の言葉を受けた烏丸さんは、しばらく立ち止まってしまった。
まるでフリーズしたかのように、その場に立ち尽くす。
「あの、烏丸さん……?」
「はっ……! す、すいません……!」
俺が声をかけると、彼女は我に返ったように赤面した。
「あの、うち……! 男の人にそんなに優しくしてもらうん、初めてやけんね、なんて反応していいか分からんで……あ、いや、何でもないです。ごめんなさい、失礼しますッ!」
烏丸さんはバタバタと足音を立てて部屋から出て行ってしまった。
うーん、言わないほうがよかったかな?
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