推しのために

紗久間 馨

ダイエット

「私、あなたのおかげでダイエットを頑張れたんです!」

 彼女は推しの写真集お渡し会で自分の番が回ってきた時にそう言った。

「えー、すごいねー。頑張ってえらいねー」

 推しはニコニコと微笑んだ。彼女は嬉しくて涙が出そうになる。

「ありがとうございます」

 言った瞬間にスタッフが「お時間でーす」と彼女の背中を押した。その一瞬のために頑張ってきたのだから充分である。




 彼女は幼い頃から食べることが大好きだ。おいしいものをお腹いっぱいに食べる。それ以上に幸せなことなどないと思っていた。

 体重は年齢とともに増加し、20歳を目前にした彼女は100kgになろうかというところまで来ていた。周囲から「デブ」だとか言われて笑われても気にしなかった。彼女の中ではその姿が普通だと思っていたからだ。


 しかし、TVドラマで見かけた男性俳優に心を奪われた。俳優だけでなく音楽活動もしており、CDやDVDを買い集め、ライブにも行きたいと思うようになった。

 彼女はライブのチケットを手に入れることができた。オシャレをして行きたいと思ったが、彼女の体型と彼女の着たい服は合致しない。どうしてこんなに太るまで放置してしまったのかと後悔しても、どうしようもない。それまで気にしてこなかった自分せいだと理解はしている。


 ライブ当日まで5か月。彼女はジムに通うことにした。トレーナーの指導を受けてながら運動に励み、厳しい食事制限も推しのためだと努力できた。

 最初のうちは正しい姿勢で動くことが大きな課題だった。腕立て伏せも腹筋もスクワットも、それっぽい動きをするだけでは効果的に筋肉を鍛えることができないのだと知った。

 ジムに行った翌日は筋肉痛でつらい思いをしたが、効いている証拠だと思うと嬉しい気持ちになれた。

 徐々に体重が減少し、鏡に映る姿もなんとなくスッキリして見えるようになった。彼女の充実感に反して、家族や友人からは心配する言葉をかけられた。


 ライブ当日、着たいと思って用意してあったワンピースはまだサイズが合わなかった。それでも、ツアーTシャツがゆったりと着られたことだけでも満足できた。ダイエット前の体型ならばピチピチだったはずだ。

 彼女はライブを思う存分に楽しみ、次こそは必ずオシャレをして行くのだと気合いを入れ直した。

 そして入ったのが、写真集の発売とお渡し会の情報であった。この日にはライブで着たかった服を着ようと意気込んだ。


 ライブまでの5か月で30kgの減量に成功した彼女は、お渡し会までの2か月でさらに10kgの減量を目指した。

 ジムでトレーニングマシンを使用する時は重りを増やし、筋肉への刺激を強めた。

 彼女は自身の体に筋肉を感じるようになった。それは特に体を洗う時。まだ脂肪が多いと思いながらも、その下にしっかりと筋肉がある。

「もっと鍛えたい」

 筋トレハイとでも言うのだろうか。そんな気分になった。


 その結果、目標にしていたワンピースが綺麗に着られる体型に変わった。喜びのあまり、鏡を見ながらクルクルと回る。想像以上のペースでダイエットが成功し、達成感で満ちていた。

 急に脂肪を落としたため、皮膚がたるんでしまっている。トレーナーが言うには、時間が経てば新陳代謝によって皮膚が体型に合って変化するらしい。そう聞いて彼女は安堵した。

 お渡し会の参加権もしっかりと獲得していて、準備は万端だ。




 会場である大型書店のイベントスペースには参加者が集まっている。やはりオシャレをしてきている女性が多い。その中でも見劣りしないと彼女は自信を持っていた。


 列が進み、彼女の番が迫ってくる。推しと対面できる時間は長くない。なんと声をかけようか。

 推しを目の前にすると上手く言葉が出てこない。

「私、あなたのおかげでダイエットを頑張れたんです!」

 咄嗟に出たのがこれだ。もっと「写真集発売おめでとうございます」とか無難なセリフがあっただろうと、少し後悔した。

「えー、すごいねー。頑張ってえらいねー」

 推しの言葉に救われた気がした。全てはこの時のための努力だったのだと実感が湧いた。


 これからも推しのために生きようと、彼女は強く思うのだった。

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推しのために 紗久間 馨 @sakuma_kaoru

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