第3話 高専時代

 出来損ない故、他人ひとよりも勉強ができないため、推薦によって、私はとあるR高等専門学校、俗称、R高専へと入学致しました。

 新しい環境、新しいR高専での未知の生活に備えるべく、私は近所のM本屋にて大量のノートを買い込みました。所以ゆえんは何かと申しますと、全く想像のつかないR高専での高度な勉学に対応出来るよう、様々な知識を独学で学ぶためでありました。其の際の私はとても活気に満ち溢れており、恐らく今迄で一番勉学に奮起したと言っても過言では無いはずです。日中から夜遅く迄、自分のペースで勉学に務めました。しかし、そんな私の元に待ち受けているのは活気に満ちた高専生活などでは無く、此れでもかと云う程に堕落し、墜ちに墜ちた社会其のものでありました。ですが、其の時の私には其れを知る術を持ち合わせておりませんでした。

 長い休みを終え、私は晴れて高専生となりました。ですが、一つ問題を挙げるとしたら、私の入学式はコロナウイルスによって開かれませんでした。今考えてみれば、此れが最後の災いの始まりだったのかも知れません…

 地元からは遠く離れており、知人が一人も居なかったために少々緊張は致しましたが、しばらくも経たない内に私は目出度く何人かの友人を作ることができました。併し、中学の経験が幸いしたのか災いしたのか…私は決して怒らず、己が意見を述べず、風の様に唯其処に居続ける、偽りの顔を表にさらす様になっておりました。ですが、此れが思いのほか上手く機能致しまして、私は何人かの他人様達ひとさまたちと良好な仲を築くことができたのでありました。

***

 友人達や家族に進められ、私は部活動への入学を検討致しました。写真部や映像研究部、サッカー部と言った様々な部活動を見て回りました。と言いますのも、学生に実に不親切なR高専はコロナウイルスを言い訳とし、部活動紹介という欠かせないイベントを開かなかったのです。

 おかげ様で私達、学生共は其のR高専の先輩達と交流する機会を失い、まるで孤島に取り残されて居るかの様な心持ちを抱かされました。

 放課後となり、道場へと赴いた私は剣道部の顧問の教師に話をつけ、部活動を体験してみることに致しました。準備運動や素振りと言った様々な部活動を体験し、剣道についての雑談の最中、私がH中学にて部長の座についていたことを顧問の教師に明かしてみますと、剣道部の顧問の教師は私に対して好待遇で接してくるようになりました。「凄いねぇ!」、「剣道が上手なんだね…!」、「是非、剣道部うちに入部してよ!」…そう言いながらも楽しそうに笑う顧問の教師に私は唯々「考えて見ます…」としか答えられませんでした。何故かと申しますと、いくら顧問の教師から、お褒めの言葉を掛けられましても、私の心は一切揺らぐことが無く、『嬉しい』や『楽しい』と言った感情が一切湧き上がってこなかったのです。

後の日、私は入部届の置かれている部屋の前まで赴きました。

家族に勧められ、私は例の剣道部に入部しようと考えたのです。

入部届を手に入れるため、私は入部届の置かれた部屋へと入ろうと致しました。しかし、其の時です、不意に私は頭の中で不覚にも中学校時代の剣道部の記憶を呼び起こしてしまったのです。「若し、此の部活動に私が入部したことによって。もし、また、私が部長の座に選ばれてしまったら…もし、亦、私が誰かに好意を抱かれてしまったら。亦、私は他人ひとの人生に汚点を残してしまう……」そう考え出してしまいますと、私は部活動に入部することがとても恐ろしく、嫌になってしまい、私は其の場から逃げ出してしまいました。そう、私は決して誰にも迷惑を掛けず、新たなトラウマとなる事件が決して生まれることの無いることのない帰宅部を選んだのです。

***

 時は経ち、独学で得た知識を書き記したノートを手に、私は初めての専門授業に挑みました。『オームの法則』や『キルヒホッフの法則』と言った様々な知識を事前に学んでおいたため、私はとても楽しみに教師が教室へと入ってくるのを心待ちにしておりました。併し、ここからでありました……私の抱いていた輝かしい理想が崩れ始めたのは………

 「お前らの内の半分以上が此の学校を辞めるんだ」

 此れは私の学科の専門授業を請け負っている教師から私達学生へと向けて放たれた言葉でありました。とても…いえ、決して信じられません……ですが、此れが現実なのです。研究職の人間であり、教員免許を持っていない者であるとは言え、此の発言は『他人ひとにものを教える者』として、『可能性に溢れた学生に道を示す者』として…まさに『教師失格』と言えるでしょう。当然、此の失格教師に言い返してやりたいことは山程ありました。併し、鬱陶しくも小心者であり、小学校時代に他人様に逆らうことを辞めた私は唯々口を固く塞ぎ、拳をギリギリ…と、己の爪が己のてのひらに食い込む程強く握り締めながらも、何も言い返してやることができませんでした。

 失格教師は此の他にも様々な暴言を私達学生になんの躊躇ちゅうちょも迷いもなく向けて吐き続けました。

 「お前らのせいで俺は学校の教員のブラックリストに載っているんだ…っ!」

 「もっと気を引き締めて勉強しろ…!」

 何度も々々々失格教師の暴言を聞き続け、耐えがたい高圧的な威圧を掛けられ続け…何時の日からでしょうか、私は勉学が…努力というものが心底、嫌になってしまいました。そして、学校への…いや、社会に対する期待も一切合切…消え去りました。『激しい怒り』もありますが、其れよりも『失望』や『悲しみ』、『不快な思い』が大半を占めておりました。そして、此の日以来、私が勉学に奮起し、独学で得た知識を書き記したノートは箪笥たんすの奥深く二度と手の届かない場所へと葬りました。

 小心者故、誰にも相談できず、唯々溜まり続ける不快な思いは行き場を失い、気がつけばいつも私は己が髪を搔き毟っておりました。そして、其れに気がつく度、私は己が手を強く握り締め、小刻みに震えながらも押さえつけました。倫理の授業の際、神父が『愛』だの『救い』だのを口にする度に、私ははらわたが煮えくり返る様な心地を抱きました。

 「お前に何が分かる、俺の苦しみが分かるのか…俺の痛みが分かるのか…いや、分かってたまるか!」

 そう心の中で何度も々々々叫びながらも、私は日々を生きるのでありました。

 家へと帰り、テレビをつけますとバラエティ番組では様々な者達の笑い声が飛び交っておりました。他にも、ドラマでは『頑張れ』や『君なら大丈夫』、『決して諦めてはいけない』と言ったきらびやかで前向き思考な言葉が次々と口から放たれておりました。其れを聞く度、人の笑う顔や、子供の純真無垢な姿を見る度、私は「上っ面だけの言葉ばかりだ…」、「此れの何が面白いんだ…」、「未だ地獄を此奴らは知らないんだ…」としか捉え、考えることができなくなってしまいました。

 どうやら、私は…夜空よりも暗い闇に染り、根暗で、卑屈なことばかりしか考えられない人間になってしまった様です。

***

 日々苦悩し、苦しみ続けながらも私は何とか生きてきました。併し、ある夜、己が身に異変が起こり始めました。

 眠れなくなってしまったのです。

 「明日も学校だ…其の次も、次の日も……学校が来る………」

 そう考え始めた途端、身体が拒絶しているのでしょうか、いくら疲れていても、いくら眠くても…唯一の安息の地である夢の世界へ行けなくなってしまったのです。

 「もう嫌だ…勘弁してくれ……」

 不眠の日が何日と続き…そして、到頭其の時が私の元に訪れました。学校へ行くのを止めたのです。そう、いわゆる引き籠もりという者に私は就任したのです。

 「もういい、学校のことはもう忘れよう…そうだ、学校なんて無かったんだ。俺には何も起きていない……」

 そう必死に自分に言い聞かせ、地中に生きる土竜もぐらの様に私室に閉じ籠もった私は『小説』や『ゲーム』と言った様々な娯楽に溺れました。併し…

 「……眠れない………」

 次の日も、其のまた次の日も、私は一向に眠れる気がしないのです。どうやら、忌々しいトラウマの根は私の心の奥底に迄浸食し、むしばんでいた様です。

 眠れぬ夜が一日、二日、三日、四日、五日と続いたある日、私の耳の中でプツン…と何か、頭の中にある大事な糸が引き千切れたかの様な大きな音が響き渡りました。そして、思わず両耳を手で塞ぎますと、其の時、小心者である私は全てを悟りました。

 「そうだ、全て学校が悪いんだ…どうして被害者である私が気を遣う必要があろうか……」

 ブツブツとそう呟きながらも、私の口は知らず知らずの内に湾曲し、ニタニタニタニタ…と宛ら悪魔の様な笑みが溢れ出して止まらなくなってしまいました。そして、此の時、私の頭には素晴らしい仕返しの方法が思い浮かんだのです。

 「こうしては居られない、彼奴らに目に物見せてやろう…っ!」

 そう口ずさみますと、私は数日ぶりに閉め切った、真っ暗な部屋を飛び出しました。そして、其のまま家の玄関を開け、長い間行っていなかった学校、R高専へと赴くのでありました。

***

 夜の暗闇の中、私は電車を乗り継ぎ、薄暗い街道を歩み、1時間程であの忌々しいR高専の校門の前迄辿り着きました。校門は左程高くなく、乗り越えられない高さではありませんでした。周りに人が居ないことを確認し、校門を乗り越え、校舎の中へと侵入することに成功した私は静寂に満ちた廊下にコツ、コツ…と足音を鳴り響かせ、110号室…私の学び場であった教室へと這入はいりました。当然のことですが、其の時は深夜を回っていたため室内には誰一人として人の姿はありませんでした。

 「此処が……此処が………俺が裏切られた、終わりの場所。だが、始まりの場所でもある…」

 そう呟きながらも、私は肩に背負っていた鞄を己が机の上へと置きました。そして、鞄の中から何本もの…甘い香りの漂う液体が並々封入された容器を取り出しました。

 「此れで煌びやかに染め上げてやる…全て……何もかも………!!!」

 常軌を逸した眼を浮かべながらも、私は容器の蓋を開け、中に封入されていた液体を室内中に、さながら闘牛の様に乱雑に、そして、夏の夜空に咲く花火の様に激しく、童が川辺で水遊びをしているかの様に満面の笑みを浮かべながら撒き散らしました。

 校舎の至る場所に甘い香りを漂わせる液体を全て撒き散らし終えますと、私は上着のポケットの中から一箱の燐寸マッチを取り出しました。其れは新品のため、箱の中には此れでもかと云う程に大量の燐寸棒マッチぼうが這入っておりました。燐寸棒を一本、手に取り、火薬のついた棒先を燐寸箱マッチばこの横側面へと軽く押しつけ、シュッ…と素早く擦り、リンの香りを纏った淡い焔を灯しますと、私は其の淡い焔のあまりのきらびやかな美しさに 見とれてしまい、己が眼球が焔に接するすれすれ迄、其れを食い入る様に近づけ、見つめました。十分に見納め、焔の灯った燐寸を眼球から遠ざけますと、私は足下に溜まり広がっていた甘い香りを漂わせる液体の水溜まりへそれを落としました。

 液体の水面へと淡い焔が触れた途端、其の焔は瞬く間の内に広がり、立ち上り、大きく々々々なり、やがて焔は校舎を丸々飲み込んで了う程に大きく成長致しました。そう、甘い香りとはベンゼンの香りであり、液体の正体はガソリンだったのです。

 再び校門を越え、離れた場所から焔に喰われた校舎を眺めておりますと。私の表情はまるで溶け始めた氷の様な笑みを浮かべ、生涯で初めてと言っても良い程の心躍らされる感動にひたっておりました。

 「なっ、なんて…何て、綺麗なんだ……!あの焔が、己が手の代わりに全てを破壊し、喰い散らかしてくれる………っ!!!」

 あのきらびやかで美しい焔が忌々しい学校を完全に飲み、喰い尽くすのを見届けた後、私はニタニタと満面の笑みを浮かべながら薄暗い街道を歩き、M駅のホームへと帰って参りました。すると、其の時です、クワァ…と大きなあくびが、己が口から漏れ、あの懐かしい…数日ぶりの心地よい眠気が私を夢の世界へと誘うのでありました。みるみるうちに足元がふらつき、二足で立っていられなくなってしまった私はM駅のホームを飛び出し、線路の上へと転がり落ちました。そして、迫り来る電車が轟かせる警笛の音色と共に私は夢の世界へと旅立って逝きました。

 こうして、私はきらびやかな、高専生活を終えるのでありました。

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