生徒の書初めに「贅肉」ってあるんだけど

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第1話   あの時の優等生

 新しい年を迎えて後、冬休みが明けて、大きなランドセルを背負った一年生たちが、次々に教室に入ってきた。


「せんせぇ、あけまして、おめでとうございまぁす」


「お、あけましておめでとう!」


「せんせせんせ! やねからツララもってきた!」


「せんせ~、おれ、宿題、わすれました」


 開口一番、生徒が片手を挙げて報告する。お前は今日まで一回も宿題をしてないが、今年もなのか?


 だが、こんなのは想定の範囲内だ。宿題をやらなかった子には、別の宿題を特別に課す。ちゃんと期限通りに出した子よりは少なくなるが、成績に加点される。


 朝から遅刻した生徒がいたり、氷の張った道路で滑って怪我をしたと言うから保健室に送ったりと、バタバタした末、何とか時間内に一限目が始まった。


 ざっと見る限り、どの生徒たちも元気そうだ。新年最初の一限目は、全員揃って、宿題のチェックと、それから書き初めを披露しあい、教室の後ろの壁に、みんなで貼り付ける予定だ。


 書き初めの課題は二つ。「令和」と、自分の好きな二文字だ。覚えたての漢字を、のびのびと書いてもらうためだった。鉛筆とはまた違う、特別な文字。これを機に、漢字を好きになってもらえたらいいと思う。


「せんせ~、山田くんが、すごくかっこいいの書いてるぅ」


「せんせ、これなんて読むの?」


「山田くんが、教えてくれませぇん」


 なんだなんだ?  小一とはいえ全教科ほぼ百点で、音読も読み間違えが一度もない、体育の成績も学年一位の山田が、またみんなを驚かせているらしい。


 山田はみんなに騒がれて恥ずかしかったのか、書初めを折りたたんで、机に突っ伏している。


 ……そろそろ、書初めを担任の俺に提出してもらわなきゃ困るんだが。山田は書初めを抱えてじっとしており、少し心配したが、やがて他の子と同じように、教卓まで来て宿題の全てを提出できた。


 ビリッと豪快な音が鳴る。


「あ、せんせ~、やぶれちゃった」


「わあああん! あたしの書初めー!!」


 そんなこんなで、一限目以内に書初めを教室の後ろに貼る計画は、明日に変更になった。


 一限目が終わり、俺は両手いっぱいの生徒の宿題を置きに、職員室へ向かった。デスクで山田の書初めを広げてみたら……そこには、とんでもなく達筆な「贅肉」の二文字が。止めハネ、払いが、完璧だ。って、違う違う、どういうことだ?  好きな文字が、贅肉……?


 他の子は、元気とか、音楽とか。それなのに、どうしてお前は贅肉なんだ!?


 これ、明日このまま教室の後ろに飾っていいのか!?



 昼休み、たまたま廊下を歩いていた山田を発見し、ちょうどいいので声をかけた。


「山田君、書初め見たよ。君は、あの二文字が好きなんだね?」


「はい」


「贅肉、だよね……?」


「はい。ステーキとか、しゃぶしゃぶとか。なのに、みんながヘンって言うから、なんでかなって……これから図書館の辞書で調べに行こうと思ってました」


 ……ん?


 もしかして、あの文字を「贅沢な肉」って意味だと思ってるのか? 大人でも四字熟語の意味を間違ったまま覚えてしまうことはある。けれど、これはなんとも面白い勘違いだった。


 ……だけど、このままにしておいていいのか?  教師として、正しい意味を教えて、書き直させるべきか?  それともこのまま放置して、漢字の読める上級生に山田がからかわれるのを放置するのか?


 ……自主的に図書館で調べものをするのは感心なんだが、今この場で贅肉の意味を、説明してやったほうがいいか。書き直すかどうかは、本人に決めさせよう。



 十年以上も前に、そんなことがあったのを、ふと思い出した。何年教師をやっていても、誰一人として同じ生徒はいなかった。宿題を忘れてくるヤツは、必ずいるけどな。


 ……ああ、あいつら、黒板消しとけって言ったのに、もう帰ってやがる。しょうがないな。


 黒板消しを持って、背伸びしながらゴシゴシしていると、俺の名前を呼ぶ声がした。


 はい、と言って振り向くと、学ランを着た見知らぬ高校生が、教室の入り口に立っていた。


「先生、お久しぶりです。山田です」


「おお……」


 すまない、山田は百人ぐらいいたから、どの山田だったか思い出せない。小学生と高校生では、ガラッと雰囲気が変わる子もいて、本当に誰だかわからなくなる。


「先生、俺、東京の大学に行くことになりました」


「おお、よかったなぁ。第一志望か?」


「はい」


 会話しているうちに、だんだんと彼の幼少期の顔をおぼろげに思い出してきた。


 もしかして、この生徒は……


「ひょっとして、小一のときに書き初めで贅肉って書いてた山田か?」


「え、はい」


「そうか。あの後、書き直したよな」


「はい」


「栄養だっけか?」


「いいえ、筋肉です」


 なんと彼が受けたのは、超難関大学だった。もうすぐ地元を離れる、その前に、塾の講師を含めて、お世話になった先生方全員に、会えるだけ会ってお礼を言いに来たらしい。


「俺が受かったのは、今まで出会ってきた先生方の指導のおかげだと思うんです」


「そうか、向こうでも頑張れよ。応援してるからな」


「はい」


 あの日、俺は確かに「栄養」にしたらどうかと勧めた。肉料理は成長期にとって欠かせない栄養だから、最初に描いた二文字とほぼ同じ意味になるんじゃないかと思って、提案したのだ。


 しかし「贅肉」の意味を正しく教わった山田は、「筋肉」と書き直した。失敗すらも糧にして、たくましく前に進んでゆく、そんな気概を感じた。なんかこいつは、なんとなくだが、凄いヤツになるぞ、そう思いながら、壁に貼った書き初めを眺めていたのを思い出した。


「東京は誘惑が多いから、しっかり励めよ」


「はい。それじゃあ、失礼します」


 彼は一礼して、去っていったのだった。どんな大人になって、帰ってくるんだろうか。どの生徒も、予想がつかない。たまに道端や、校舎内で、こうして会うのも教員の醍醐味であった。


                              おわり

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生徒の書初めに「贅肉」ってあるんだけど 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar

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