過剰な期待
桝克人
過剰な期待
年齢を重ねていくと筋肉量が減るという。その年齢に達した時実感せざるを得ない。動画サイトをだらだら閲覧していても、それまで気にならなかったのに気付けば簡単に運動が出来る方法とか、筋肉がつくまで半年の軌跡とか、食事で変えようダイエットといった文言に釣られ布団の上で、ほうほうと頷きながら見るのだ。
もし筋肉がついたら私はどうなるのだろうと想像してみる。体力がつくことで体がかるくなるだろう。スタイルは羨ましがられるほど魅惑的になったりして。心的ストレスは軽減されれば毎日が楽しくなるはずだ。重い物も軽々と持ち上げられて、スーパーヒーローにもなれるんじゃないだろうか!
そんな妄想を繰り広げては直ぐ萎ませる。夢は夢だ。
話しは変わるが、私は得意なことより苦手なことの方が多い。そう思っているのは私だけだろうか。いや思い当たる人はいるはずだ。私の場合人並みに出来ることよりも苦手なことの方が多いのが難点だ。そんなことはどうでもいい。何が言いたいかというとその数ある苦手なことのひとつが『運動』である。それも生きている中で自分からやりたいと思ったことがない。
それでも何度か苦手を克服しようと決意をしたことはある。全て儚く散ったことは目を瞑っていただこう。とにかく私は憧れの筋肉を得るために、スポーツジムにも通ったし、三年前には某ゲーム会社の運動系のゲームも取り寄せ暫くは頑張ったのだ。
問題は継続力がないことだった。筋肉は一日にしてならず。頭ではわかっていても一か月もすると飽きてくる。体重は大きく変化はしないし無駄についたお肉は減らない。筋肉量も増えない。当然だ。一か月で飽きてしまうのだから。
そんなこんなで苦手を克服するのは延期することにし、今もなおその延長線上にいるのである。
しかし最近、これ以上先延ばしするには限界の日も同時に近づいているのではないかと思い始めた。年齢を重ねればもっと動けなくなるだろうし、動くのも億劫になるだろう。事実数年前、十年前に比べれば今既に億劫になりつつあるのだから。必要以上に頑張りたくない。頑張ることへの諦めが芽生え始めているのだ。諦めが成長してしまえば私はきっと健康的な老後は送れないだろう。あの時もっと頑張れば良かったと杖をつき曲がった体で後悔するに違いない。
そんな未来を想像し、明日から頑張ろうと布団の上で決意を固めている。
過剰な期待 桝克人 @katsuto_masu
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