撮り鉄

ツキノワグマ

撮り鉄

 今日、会社に辞表願を出してきた。上司のリアクションなんてものは思う以上に素っ気なくて、あっさりと受け取られてしまった。これからどうするのかとも聞かなければ、おじゃま虫のように追い出すわけでもない。引き継ぎ作業をして、親しい同僚や後輩に一通り挨拶をして回るだけの日だった。その時の反応もまた上司とさして変わらないように感じた。親しさを感じていたのは私だけで周りからすると鬱陶しかっただけかもしれない。そう思うほどに親しいというにはあまりに一方的だった。

 私にとって引き継ぎ作業という表現はあまりに大げさで具体性に欠けるものである。大きな案件なんてものを私が担当しているわけがなく、ちょっとしたデータの確認作業しかない。作業は、大分引き伸ばしながらでも昼休憩ぐらいのタイミングで終わってしまったので私は困ってしまった。その後は残っている有給の申請を一服休憩でなるべく引き伸ばして定時まで居続けた。別にいくらでも早く帰ろうと思えば帰れたと思う。しかし私はそれをしたくなかった。定時後の仕事?なんてものは思いのほかつまらなくて5分でやめた。(もちろん残業代は請求しない)そのあとコンビニで酒とジャーキーを買うとイートインコーナーで早めの晩酌をした。缶ビールなんてものはまずくて飲み切れたことなどなかったのだが、今日に限ってつまみを買い足しながらちびちびと飲み切った。ちょうど十一時くらいの出来事だったんじゃなかろうか?


 そこまで覚えているのだ、おそらく多少なりとも酔っ払いながら駅の改札を通り、階段を上がって電車を待っていた…はずだ。残念ながらそんな記憶もろとも無くなってしまっているのだが…。



 私は窓の外を見る。外は真っ暗で自分が今どこにいるのかはよくわからない。月の光も、星の輝きも感じられない。窓に反射する自分の顔すらあいまいだ。周りに他の乗客はおらず、ふわふわとして落ち着かない。

 私がいつも乗る電車は5分おきくらいで駅に止まる。しかし、私がこうして今日の記憶を必死に思い出そうとしている間にも、電車が駅に着くことはない。何かがおかしいのだ。そう思いおもむろにズボンのポケットを探ってスマホを探す。その時、電車の窓から見えていた暗闇が晴れ、一面田んぼの夜景が見えるようになった。どうやら今までトンネルの中にいたみたいだ。まあ、自分がいつも使っている電車はトンネルに入ることがないから、乗り間違えたということぐらいは分かる。ただひとつ疑問が残るとしたら、自分がいつも使う路線以外運行されている路線がなかったことなのだが…。


「…つぎは…終点…とまきか駅…とまきか駅です」


 長らく止まらずに走っていた電車が長旅の終わりを告げる。空を見ると十六夜の月が浮かんでいて、天の川の中を流れ星が一つ流れていった。


 私がホームに降りてから振り返るとそこには朽ち果てた電車があるだけだった。2両編成であったはずの電車は私が乗っていた後ろ一両だけになっており、前車両との接合部分となるジャバラ状のものは汚れて垂れ下がっている。少なくともついさっきまで動いていたとは思えない。

 とりあえず時刻を確認するためスマホを探す。しかし、スマホが見つからない。本当についてない、どこかでスマホを落としでもしたのだろうか。

 改札口に人気はない。...とりあえずホームを出てみるとするか。

 外はまさに田舎な感じで、道の整備もあまりされてない。外灯はないが、十分な月明りのおかげで周りを見渡すことができる。もちろん人なんているわけが...居た。確かに見間違えではないようだ。

 見るにニュースボーイハットをかぶった少年が踏切の手前で佇んでいた。いっちょまえに一眼レフカメラなんかをぶら下げて、ぼうっと夜空を眺めている。


「何をしているんだい?」


 私は彼に声を掛けた。少年は少し驚いた様子でこちらを見る。


「…おどろいたな。……どうしたんですか?こんな場所で人に会えるとは思いもよりませんでしたけど…」


 たった一言言葉を交わしただけだが、その少年の異常性はとても際立っていた。外見も声も少年そのものなのに、その子からは子供らしさが一切消えていた。この時間にこの場所にいることもそうだが、少年の大袈裟ともとれる身のこなし、言葉遣い、雰囲気、それらは絶妙に嚙み合っておらず少年の静かな不気味さを醸し出していた。


「いや~、寝過ごしたみたいでね、気が付いたらここの駅に着いてたんだ」


 私の言葉に少年は不思議そうな表情を浮かべた。


「ふーん、寝過ごした...ね。相当疲れてたのかな?」


「いや~、お恥ずかしい。結構酔払っちゃってたみたいで」


「それはまあ、お酒の飲みすぎはよくないですね」


 少年はそう言って笑顔をこちらに向けてきた。月の光が逆光となって少年の顔に影が落ちる。


「おじさんはこれからどこに行く予定で?」


「んー、帰りたいところだけどもう電車は出てないみたいだし...、とりあえずは朝までここにいることになりそうかな」


「?、列車ならもうすぐ出ますよ?」


「本当か?でも列車の姿はないようだが」


 ホームを確認しても壊れた電車しか見当たらない。おかしなことを言う子だな。


「僕はここで旅立つ列車を写真に収めているんです。知ってますか?銀河鉄道999を、僕はあの列車が大好きなんです。空を飛ぶ列車、とても神秘的で憧れませんか?」


「スリーナイン号は知っているよ。ちょうどテレビで見ていたのを覚えている」


「ぼくは惑星大アンドロメダという存在を未だに信じてます、スリーナイン号を信じているように。もしかしたらそれがサウザンクロスだったのかもしれないから。ぼくはたしかに助けたはずなんです、ジョバンニを。でもぼくは降りるほかなかった。ぼくは切符を持っていなかった」


 この子の言っていることと記憶が少し噛み合わない。自分の知っている話とも違うし、まるでスリーナイン号に乗っていたかのような話し方をする。


「天の川の正体は知っていますか。大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見える。ぼくはそれを学校で知る前からお父さんの書斎にあった本で知っていました。ぼくは白鳥が好きです。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」


「そうかい、そんだけ好きなものがあると人生楽しいだろう」


「... ... ... そうですね。楽しいこともありました」


 そういうと少年は黙ってしまった。黙らせるつもりでしゃべったわけではないのだが、なにか気に障ることでも言ってしまったか。


「そういえば、きみはまだ子供だろ。家に帰らなくて親御さんは心配しないのかい」


「そうですね。おそらく心配してくれると思います。...あの天の川のとこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのがわかりますか。きれいな野原です」


 私は少年の指さす方向を見る。確かに天の川銀河には小さくても暗く穴が開いた部分が存在している。野原が見えるかは別問題だが。


「ぼくはあそこに行きたい。もう誰もいなくなってしまったから」


「何を言っているんだ。誰もいなくなったって、少なくとも君と私はいるじゃないか」


「はい。たしかにあなたが来たことでぼくはひとりではありません。しかし、またひとりにならなくてはならないのです。それはおじさんもおなじ」


「ほんとうに何を言っているんだ。言ってることがまったく理解できないぞ」


 少年はカメラを私に向けてシャッターを切った。カシュッと乾いた音が小さく鳴った。


「ありがとう、おじさん。これでぼくは石炭袋に行くことができるよ。母さんに会うことができるんだ。そして安心して、おじさんは迷い込んだだけに過ぎない。どうしてなのかはわからないけど」


 その時、プオーと列車の汽笛が聞こえた...気がした。列車がそばを通るように風が揺れる。私はとっさに線路の方を見る。そこにはまだあの朽ちた電車があった。自分が下りた時のままの駅がそこにあり、もちろんこの駅を通り過ぎた列車の姿なんかなかった。

 なんだ気のせいかと思いながらふりかえって少年のほうを見たら、少年が立っていた場所にもう少年の形は見えずただ暗い月夜に照らされた田んぼだけが広がっていた。ああ、そこらが一ぺんにまっくらになったように思った。


 私は眼をひらいた。出発したはずの駅のホームのベンチにつかれてねむっていたらしい。胸は何だかおかしく熱ほてり頬にはつめたい涙がながれていた。となりを見ると駅員らしき人が立っており、いまにも怒鳴り声をあげようかという表情で私をにらみつけていた。

 私はばねのようにはね起き、促されるままに駅の外にでた。町はまもなくねむりにつくがごとく明かりを減らし、夜の冷たさが一層まちのにぎわいを消す。


 今日はホテルに泊まればいい。幸いなことに私は独り身だ。

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