22.夜の電話-6



「知っているって、なにを」


 大輝はショックのあまり足がよろける。ガクッと膝から崩れ落ちた。唇を震わせ、ただ携帯電話の画面に手の甲を強く当てる。いんとうな酔いは一気にさめた。

 和絃の指摘する太輝の悩みとは、一体どれだろうか。太輝は大それた悩みなんて持ち合わせていない。和絃こそ何かを隠しもっていに違いない。

 そうだ、一番触れて欲しくない夢の話、それだけは違うに決まっている。いくら和絃でも信じるわけがない。「天から超能力を授かりました」ならば納得がいくのに、「新興宗教の教祖様から譲り受けたので、とても悩んでいます」とまで正直に説明すればいいのか。自分の抱えている現実の重さを直視した。大輝は自身の摩訶不思議な状況の滑稽さ、あまりの憐れさに鼻で笑ってしまう。


「病気が進行してる、先生に言わないと、助けてもらわないと」


 大輝は、独り言をつぶやく。


『あー、ダイちゃん聞こえてる? 言いにくいことなんだけどね』


 ひとつ、和絃が咳払いをする。続けて本題だと切り出した。

 いつの間にか、音声をスピーカーにしていたようだ。神妙な和絃の声が部屋に響く。この時間は家族が寝静まっている。さほど音量が大きくなかったのでそのままにした。


『ダイちゃん、俺の読んだよね』


 毛の長いラグの上で、大輝はまた携帯電話を滑り落とす。それは一度軽く跳ねた。煌々と光る画面は黙々と通話時間を刻んでいく。


「うん。話が飛びすぎで吃驚したけど。大丈夫だって送っただろ、気にしてないよ」


 大輝はわざと、ひょうきんな声で誤魔化した。和絃はどちらを指しているのか。睦美への嫉妬を滲ませる一通目、大輝の秘密を暴こうとする二通目か。


『大輝お前さ、ろくでもないものを押しつけられただろう』


 睦美の声は、ハッキリと耳に届いた。


『綿貫健三郎って知っているよね、ダイちゃんの通っている病院の精神科医だよ』


 知っているも何も、綿貫健三郎は大輝の家族まるごと世話になっている、五十代の精神科医であり教祖だ。

 なぜ、彼らの口から、綿貫の名が出るのだ。いや、過剰に彼ら相手に疑心暗鬼となっていた。すでに和絃には太輝の通っている病院のことは教えていた。だから心配性な彼のことだ、インターネットでも調べたのだろう。別段、不思議がる必要もなかった。


「うん、それで、なんで二人が知っているの」


 和絃と睦美の沈黙が恐ろしかった。大輝はラグに上体を倒して、携帯電話に顔を近づける。


『そいつが、俺たちの親父だからだ』


 睦美が吐き出した言葉は、あまりに出来すぎたドラマの脚本みたいに陳腐でいて、同時に残酷な告白であった。


「そ、そうなんだ、知らなかったよ。そう言えば、和絃と同じ名前だなって、考えてたっけ、待って、それが、どうしたんだよ、綿貫先生にはお世話になっているけど」


 どこからどこまで、彼らと自分は繋がっていたのだ。


「ああ、来週ね、病院に行くから、その時に和絃たちのことを聞いてみても良いかな」


 大輝は話を逸らそうと、普段より気が急いていた。和絃たちの了承を得たかったわけではない。ただ、社交辞令のつもりであった。


『ダイちゃんがそうしたいならいいよ。ただ、俺たちが言いたいことはね』


 話をつなごうとする和絃の声が、一瞬だけ言いよどむ。

 不穏な空気を感じ取った大輝は、通話ボタンに指を近づけた。


『ダイちゃんが、親父から脅されてるって』


 唐突なまでの爆弾に、大輝の視界が歪む。


「なっ、なに、それ」


 頭が痛かった。体内の奥深くに押し込んだうみが、かみ殺そうとした悲鳴が濁流のよう、勢いであふれ出す。だくだくと涙も溢れ始めてきた。片手で口を塞ぎ、中指の肉を強く噛んだ。


「違うよ、何か勘違いしてるんだよ」


 言いたい、彼らに本音をぶちまけたい。


「先生は、とても親切な人だよ」


 大嘘だ、あの男は悪魔だ。もし大輝自身だけだったのなら許せたのに、大輝の家族まで巻き込んでいる。いつまでも人の目を気にして、偏執的なまでに臆病になりたくない。これ以上一人で抱えるのは限界だ。その悪魔に助けを求める自分もどうかしている。心底反吐が出る。


『ダイちゃん、あいつは悪魔だ。君を苦しめているくそ野郎だ』


 きれいな顔をしているのに、和絃は普段から口が悪かった。今だって綿貫を口汚く罵る。皆は彼に幻想を抱きすぎている。


『ああそうだ。俺らの親父だっていうのが人生最大の汚点だ。それが大輝にまで』


 睦美は世話焼き体質なのか、人の記憶から消えて行く太輝みたいな男を思い、心を痛めている。そんな睦美がかわいそうでならない。大輝なんて彼は気にも止めなくても良いのに。睦美の父親が綿貫ならば、彼も苦労をしてきたのだろう。


『電話で話すつもりじゃなかった、すまない』

『ごめんね、いままで助けられずに』


 すらすらと口に出る酌量の言葉たち。彼らの心はどこまでもまっすぐでいて澄んでいる。しかし、それだけで大輝は救われない。今夜も、誰かの夢を見るのだ。その事実だけが絶対であり、自分がこれからどう歩んでいくのかすら不明瞭でも、他人の夢を見ることだけは一目瞭然であった。

 生きている限り、悪夢から逃げられない。息を吸って生きている限り、それはいつも暗闇の時間に手を振ってくる。

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