家が潰れてしまったので働きます。
翠雨
第1話 初仕事で事件
首都の中心地にある大きな商家の豪邸の中。夕飯も終わり、屋敷の中が静かになり始める頃。セレーナは、この家の主人の寝室の前にいた。
大豪邸の持ち主は、食料品を多く取り扱う元貴族のエリントン家。15年前の貴族制度撤廃の混乱の中、生き残れた数少ない家である。
セレーナは、今日が初仕事だ。
実家の商家が潰れてしまい、金になるものはほとんど売って借金返済に当てた。少しだけ残った借金を、父と共に返済するため、仕事を探していた。できれば女性のためになる仕事を所望していたのだが、職業斡旋所でお薦めされたのはこの家だった。条件も良く、住み込みであったことも、家がなくなってしまったセレーナには都合が良かった。
トントン。
扉をノックして、返事を待つ。
緊張で足が震え、首から下げた母の形見のペンダントを握りしめる。
顔合わせのときに、使用人の顔色の悪さが気になった。労働環境が相当悪いのか…。斡旋所のお薦めだったのだが、大変な家に来てしまったのではないか…。
今のところ、新入りのセレーナに、使用人達は良くしてくれた。主人とも軽く挨拶を交わしているが、嫌な印象は受けなかったのだが。
「あぁ、ちょっと待ってくれ。」
声が聞こえると、足音が近づいてきて、中からガチャリと扉が開けられた。
「どうぞ。」
ラフな格好の初老の男性が立っていた。エリントン家当主のアランである。柔和で人の良さそうな雰囲気だが、眼光には鋭さがある。整った顔立ちで今でも女性ファンは多く、若い頃は令嬢が倒れるくらいの人気があったのではないかと思われた。
セレーナは寝室の中を覗いて、ギョッとする。
寝室で男性と二人きりにならないという条件があったはず。
セレーナは、道を歩いていれば誰もが目を奪われるほどの容姿だった。きれいなストレートの栗色の髪を胸まで伸ばし、丸く大きな瞳と小さくとも柔らかそうな唇は美しさと可愛らしさを兼ね備えていた。
"契約違反であれば、それなりの対処をしなければならないわね"
「すまないね。入って少し待っていてくれ。」
そう言うとアランは、扉を全開にした。
「失礼いたします。」
アランの気遣いに胸を撫で下ろしたセレーナは、サイドテーブルの上にアロマの準備を始める。
「きれいな道具だね。手付きもきれいだ。」
道具は高等学院の授業のために揃えたものだ。手付きまで誉められるとは、予想外で驚く。
「ありがとうございます。」
小さく頭を下げて声のほうを向けば、寝台に腰かけたアランが、優しげな顔でこちらを見ていた。
仄かな香りが漂い始める。選んだのは、心を落ち着ける香りだ。
「わぁ~!!いい香りね~。」
柔らかそうなワンピースで、巻き髪が美しい貴婦人が寝室の扉を閉めながら声をあげる。アランとは就職の際に顔を会わせているが、奥さまであるフレイヤとは初対面であった。
「これからお世話になります。セレーナと申します。これは、心を落ち着けて、リラックスできる香りです。奥様にもお持ちしましょうか。」
「そうねぇ~。でも、あなたも初仕事だし、色々頼むのもねぇ。今日は、ここで寝るからいいわ。」
"エリントン家夫妻は、仲が良さそうで何より"
セレーナは心の中で呟いて、早速仕事にかかろうとする。
「では、旦那様。どこらへんが辛いのか伺ってもよろしいでしょうか?」
「腰と肩?首なのかもしれない。座り仕事が多くてね。」
「わかりました。それでは少しずつ施術を始めましょう。うつ伏せになって頂けますか。」
アランは、モソモソと寝台にうつ伏せになる。
「あなたが女性だと言うから、私も同席させてもらったのよ。変な噂が立っても、お互い困るでしょうから。あなたが、こんな若い人でビックリしたわ~。」
「お気遣いありがとうございます。」
アランの背中に手を当て、うっすらと魔力を流す。魔力の通りかたで、血の流れが悪くなってしまったところを探っていく。
アランの言う通り、腰と肩甲骨周り、首の頭に近い部分に血流の悪いところがある。
この様子だと首が一番辛そうだ。頭痛まで引き起こしている可能性がある。
「まずは、首からにいたしましょう。一度に全ての症状がなくなるわけではありませんので、焦らず、少しずつ緩和していきましょう。」
「あぁ。頼むよ。」
少し指先に魔力を多めに込める。細胞を活性化するための医療魔法を発動させる。資格さえ持っていれば、準医療者でも使える魔法だ。
生命魔法とも言われる医療魔法は、比較的得意な魔法であった。
「少し失礼します。」
セレーナは、寝台に膝立ちした。魔法で深部に働きかけながら、軽く指圧する。
「綺麗ね~。」
奥様が寝台のそばまできて、うっすらと光るセレーナ指先をうっとりと見ている。
今日はこのくらいかな。
急激に治療しすぎても反動がある。
「肩にうつりますね。」
指圧しながら、肩の筋肉の隅々まで魔力を行き渡らせるように集中する。
「あぁ。温かいな。」
「今度、私にもお願いね。」
奥さまは、ニコニコと手を合わせてお願いする。可愛らしい動作に、思わずセレーナの目元が緩んだ。
「あら、やっぱり緊張してたのね!!美人さんだと思ったけど、笑ったら可愛らしいのね~。」
少し顔が熱くなるのを感じた。
「奥さまには、腰もいいかと思われますが、足のマッサージはいかがですか?」
「きゃ!嬉しいわ!マッサージ、楽しみにしているわね。それと、あなたが娘とも仲良くしてくれたら嬉しいの。歳が近いと思うのよね。ふふふ。よろしくね。」
素敵な奥さまだなと思いながら、ふと顔色の悪かった使用人を思い出す。
こんな優しい二人に仕えていて、労働環境が悪すぎるということは考えにくかった。
「では最後に、腰を。」
ガシャン!!カランカラーン!!ドカ!!
廊下で大きな音が鳴り響いた。
「ひゃ!」
セレーナは奥さまと顔を見合わせて、扉に急ぐ。扉を開けると、そこには執事として働いている、フレディが床に倒れていた。
私が頼んでいた、ハーブティーの器は床に落ち、フレディは苦しそうだ。
「何事だ!!」
「失礼します。」
セレーナはフレディの横に膝をつき、癒しの精霊に祈りを捧げると、両掌に魔力を集める。検査の魔法を発動すると、フレディの全身から不調か伝わってきた。
「毒……。」
弱々しく鼓動している心臓に左手で活性化の魔法を掛け、右手で無毒化を発動する。
「すごい。天才だとは聞いていたが…。」
「あなた。お医者さんを呼んできて。」
アランは慌てたように、騒ぎを聞き付けて集まってきた使用人に指示を出す。
医者や憲兵、検査官を呼びに行かせた。私の「毒」という言葉に、息子と娘は部屋での待機が伝えられた。
無毒化の魔法を掛け続け毒は消えているのに、症状は良くならない。
右手も活性化の魔法に切り替えた。
内臓にダメージが蓄積しているようだ。
"しばらく前から少しずつ、毒を摂取していたのかしら"
「あなた!!」
フレディの妻でメイドをしているヘーゼルが、青い顔で転がるように走ってきた。
「あぁ、ヘーゼル。落ち着いて。医者が来るまで、セレーナが治療中よ。」
ガチャガチャ、ガチャン!!
玄関から数人が入ってくる。護衛のジュリアンが呼びに行った騎士が3人到着した。
「何があったんだ。」
必死の形相で生命魔法を掛けるセレーナと、オロオロするヘーゼルを慰めるフレイヤを見ながら、アランに声をかけた。
「毒らしい。ここで倒れたんだ。ちょうど近くにセレーナがいたから、今は治療中だ。医者はまだか?」
人命がかかっているこの状況では、騎士や検査官よりも医者に最初に到着して欲しかった。
住み込みコックのアルロが走り込んできた。
「夜勤を用意していなかったようで、今呼びに行っています。なるべく早くとはお願いしたのですが。」
アルロが、悔しそうに言う。この様子だと、だいぶ粘って交渉したのだろう。
メイドのハンナとカミラが二人で戻ってくる。
「検査官は明日朝イチで来てくれるそうです。それまで怪しいものは口にしないようにとのことでした。」
「そうか。助かった。」
アランは、言葉とは裏腹に、落ち着かない様子で廊下を歩き回っている。
「セレーナちゃん。大丈夫?」
「はい。」
フレイヤが、顔色が悪いことに気がついて声をかけてくれたのだが、返事をするのも辛くなっていた。
セレーナの魔力は多い方ではない。至って普通だ。それなりに難しい生命魔法を使えるのは、国でトップレベルの高等学院で体の仕組みと生命魔法を一通り学んでいるためであった。その上、努力と持ち前の器用さで、効率良く魔力を使うことが出来た。
「この中で、生命魔法を使えるものはいないのか?」
アランが、騎士に向かって問う。
騎士は魔法が使える。魔力も多いことが多く、少しでもセレーナの助けになれば、それによりフレディが助かる可能性が上がるのであればと思ったのだ。
騎士の3人が顔を見合わせて、首を横にふる。
「すみません。生命魔法には、魔力だけでなく知識も必要で。」
セレーナの額には脂汗が浮かび、顔色が青白くなっていく。
医者が到着するまでの永遠とも思える時間が過ぎた。
「早く!!こちらです!!」
屋敷の入り口で、医者の到着を待っていたカミラとジュリアンが医者を引っ張るように連れてきた。
"あぁ、よかった。もうダメ"
セレーナは、意識を失った。顔色は悪く、小さく震えていた。
「こちらは魔力切れですな。ちゃんと寝かせてあげなさい。」
セレーナを示して言う。
「こちらは少しずつ治療することになります。彼女が無毒化をしたのですか?素晴らしい判断ですね。弱っているので時間はかかりますが、大丈夫ですよ。」
医者が回復の魔法をかけ始めると、やっと皆が安堵した。
「こんな事件が起こる日から勤め始めるなんて、あのセレーナって
メイドのカミラが眉をひそめて呟いた言葉に、アランが反応した。
「倒れるまで治療してくれたんだ。今はよそう。」
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