銀河鉄道の立ち食い蕎麦:ギャンブラーズオアシスステーション店

和泉茉樹

銀河鉄道の立ち食い蕎麦:ギャンブラーズオアシスステーション店

      ◆


 この度はルルカーアース線をご利用いただき、ありがとうございます。

 次の停車駅は、ギャンブラーズオアシスステーションです。停車時間は四十八時間です。どなた様も、お乗り遅れがございませんよう、お願い申し上げます。

 当列車では低金利で電子マネーをお貸しするサービスを実施しております。ギャンブラーズオアシスを十分にお楽しみいただくためにも、ぜひ、ご利用ください。簡便な手続きをお約束します。

 なお、当運行会社は多くの金融機関と提携を結んでおります。また、民間の債務回収代行業者とも契約を結んでおります。ギャンブラーズオアシスステーションでの負債の返済を、銀河鉄道を利用して逃れることは違法ですので、厳罰に処されますこととなります。また、もしそのような事実が確認された場合は、冷凍睡眠状態であろうと厳正なる対処をいたします。ご了承ください。

 次の停車駅は、ギャンブラーズオアシスステーションです。

 それでもはみなさま、ご武運を。


      ◆


 ギャンブラーズオアシスというところは、巨大なカジノだと聞いていた。

 銀河鉄道で五年ばかりの旅をするにあたって、いつからか最も楽しみな停車駅になっていた場所だ。停車する駅では他にも希少生物が展示されている駅とか、太陽に至近距離まで近づく観光シャトルがある駅もあったが、何と言ってもギャンブルというのは、人と人の勝負である。動物見物や名所見物のような、純粋な遊びではない。

 銀河鉄道の車内では基本的に賭け事は行われないけれど、昔ながらの馬やボート、自転車などから、闘鶏、ロボット格闘技等々、様々な映像が中継されていて、どこかしらのレースなりを常にチェックすることができる。賭けにも参加できる。

 もっとも、現場に行けないというのは、ギャンブル好きからすると生殺しのようなものらしいけど、人々に混ざって各種賭け事を見物する僕にはあまり実感がなかった。そもそも賭け事の趣味もなく、お金もないのだから、当然かもしれない。

 その僕がギャンブラーズオアシスというステーションを楽しみにするのは、ある種のスポーツの試合を見ようと意気込んでいるのに近い。

 ギャンブラーの大半はお遊びだけれど、一部は命がけでやっている。ルーレットの球の行く先や、手元に配られるカードに命をかけるのは馬鹿げているけれど、そういう場でしか生きられない人間がいる。

 僕がそんな変な観念を持つように至ったのは、銀河鉄道の列車の一角にある書棚を漁ってからのことだった。銀河鉄道の内部には古書店のようなものがあり、乗客のもう読まなくなった本がそこへ売られることがある。転売できそうな本は買い取られ、転売されるが、それ以外で有意義そうなものは図書室送りになる。

 で、僕は古本屋で安く転売されている本が並ぶ書棚で、その本に遭遇した。

 だいぶ古びていたけど、読める言語だった。いつの時代の作品かは知らないが、ギャンブラーが今はもう滅多に見なくなった麻雀というゲームで、うーん、命を賭けるというより、人生を費やして、勝ったり負けたりする小説だった。

 これが変なところで僕のツボに入り、冷凍睡眠で過ごすはずの時間を削って読みふけった。何度も読むうちに、ギャンブルというものにしかし興味を持たずに、変にギャンブラーという存在、生き方には興味を持つ、という歪んだところにはまり込んで行ったのだった。

 ギャンブラーズオアシスではギャンブラーをこの目で見れる。海千山千の猛者たちを。

 そう思うと、浮き足立つ気持ちになる。

 列車がホームに滑り込み、僕は意気揚々と外へ出て、ただ、そこでいきなり面食らうことになった。

 見知らぬ男が近づいてきたかと思うと、なんでもないように声をかけてきたのだ。まるで旧知の間柄のような態度だったが、間違いなく初対面だ。しかし男の口調はまったく自然だった。

「あそこの乗降口で今から三人目に降りてくるのは、男か、女か」

 男が指差したのは僕が降りた列車の別の昇降口で、客が降りてくる最中だ。まず一人、降りた。男性。

「俺は女だ」

 男が勝手に言うのに、何の話をしているのか、事情を確かめる前に、二人目が降りてしまった。女性である。

 ここで何か、口を挟めたかもしれない。しかしそれより先に、三人目が降りた。

 女性。

 強めに僕の肩を叩いた男が「俺の勝ちだな」と言って目の前に手を差し出してくる。

「一〇〇、寄越しな、兄さん。負けただろう」

 まったく無茶だったが、面倒だったし、何よりより怖かったので、僕は素直に財布から金を出した。男は満足そうな顔で受け取ると「もう一勝負、するかい」と言ってきた。強引に勝負を始められても困るので、早口で断って僕はその場を離れた。逃げた、とも言える。

 どうやらすごいところへ来てしまったようだ。

 感慨深い、というより、不気味だった。

 それでも、まずは腹ごしらえをしよう、と僕は店を探したのだった。気分を切り替えたい、と切実に思った。右へ左へ視線を巡らせると、ホームのすぐそばに暖簾を出している店があるのが目に入った。

 蕎麦屋か。立ち食い蕎麦だ。ささっと食べて、カジノ見物へ行こう。

 蕎麦屋の暖簾をくぐって、僕は足を止めるしかなかった。

 何が起こっているのか、目を疑うような光景があった。

 カウンターの上で、店員と客が腕相撲をしている。それを他の客が眺めて、声を上げている。

 な、なんだぁ?

 客も体格のいい男性だが、店員も負けてはない。腕が太い上に筋肉が隆起して、シャツの袖がはち切れんばかりに膨れ上がっている。

 グググッと店員の手が傾き、客の腕を押し下げていく。客は客で汗びっしょりになり、歯を食いしばって、息を詰めて耐える。

 歓声が爆発したのは、店員の手が客の手をカウンターに叩きつけた瞬間だった。

 空気が瞬間的に熱を含み、同時に勝負が終わったことによる弛緩が広がる。

 負けた客が肩で息をしているところへ、他の客が歩み寄って肩を叩いたり、腕を叩いたりしている。その客は客で楽しそうに、全員に応じると、不意に声を張った。

「ここにいる奴の分は全部、俺の奢りだ! 何でも注文してくれ!」

 わっと声が上がり、腕相撲で負けた客が券売機の横に陣取り、次々とその前に立つ客が食券を買うのを支払い始めた。

 僕はちょっと覗いただけだし、まぁ、後でいいか。

 全員が食券を買い、それがカウンターにずらりと並んだところで、僕はやっと券売機の前に立った。腕相撲で負けた男性を間近で見たけど、力仕事を生業にしていそうな風体をしている。

 彼は僕に気づくとギロリと視線を向け、「来るのが遅かったな」と唸るような声をかけてきた。はぁ、としか言えない僕だった。

 またおかしなことになりそうな予感がした。

 そしてそれはおおよそ正解だった。

 男性が口をへの字にする。

「なんだ、よそから来たのか? このステーションのことを何も知らんという顔をしているな」

 そうなんです、と口にすることさえはばかられたけど、しかし相手のペースは強引に僕を巻き込んでくる。

「ここでは何もかもが賭け事だよ。じゃあ、今、蕎麦を食っている奴を、俺とあんた、一人ずつ指名して、どちらが先に食い終わるか、賭けよう」

「いえ、いいです。賭け事はあまり好きではなくて……」

 抵抗は全くの無駄だった。僕の話が聞いてもらえるわけもなかった。

「そういう風には見えないぜ。いいじゃないか、ただ蕎麦一杯分だけを賭けよう。金にしてほんの三〇〇ってもんだ。今から食券を買うんだろう? あんたが俺の分も買うか、オレがあんたの分も買うか、それだけのことだよ」

 参ったなぁ、と思いながら、僕は一人を指名した。男性も一人を指名する。

 二人並んで客の様子を見る僕たちに、眉をひそめた店主が声をかけてくる。

「そうやって見張られていちゃ、お客が落ち着かないし、店のイメージも悪くなる。店の外で待っていてくれないかな」

 了解したよ、と男性があっさりと答え、僕たちは店の外へ出たのだった。

 特に話すこともないし、下手なことを言うと悪い展開に陥りそうだったので、僕は口を閉じていた。男性も沈黙だ。ここで僕から蕎麦一杯分だけでも巻き上げたい、と念じているのかもしれない。

 そのうちに客が店を出てくるタイミングが来た。

 一人、二人と店を出てくるが、なかなか、二人が指名した客はどちらも出てこなかった。僕としては客が出てくる度に冷やせものだけど、男性の方は堂々と立っている。胸を張って、腕を組んで。

 そうして、ついに指名されていた客が出てきた。

 僕が指名した客だ。

 男性が力無く首を振り、ポケットをあさるとコインを三枚、取り出し、僕の手に握らせてくる。

「あんたに負けているようじゃ、今日の俺は運がない。帰って寝るとするよ」

 勝手にそんな言葉を残して、男性は蕎麦を食べずに離れて行ってしまった。

 何か、自分が悪いことをしたような気分になりながら、僕は改めて蕎麦屋に入った。店主が笑顔で出迎え、「いらっしゃい」と声をかけてくる。券売機できつね蕎麦を注文した。壁に貼り出されている写真を見る限り、何か、茶色くて四角いものが載っているようだった。ひき肉を固めたものだと思う。きつね、とは、狐の肉ではないはずだけど。

 空いているスペースに立ち、食券を差し出す。店主がすぐに受け取り、グラスに入った水を出してくれた。

 他の客たちは何やら話をして笑いあったりしつつ、あっという間に店を出て行く。ギャンブルの途中の腹ごしらえ、というところらしい。

 僕はといえば、カウンターの内側で次々と蕎麦を用意する店主の様子を見ていた。大きな体躯はスポーツか何か、もしかしたら格闘技でもやっていたかもしれないと連想させる。年齢は見たところ三十代だけど、生存年齢は見当もつかない。

 僕の蕎麦がきた。

 しかし上に乗っているのはなんだろう。ひき肉を固めて焼いた、ハンバーグ的なものではない。肉ではないし、揚げ物のようでも衣はなく、黄金色でしかし揚げ物に近い。何を揚げたんだろう?

 ともかくフォークを手にとってつついてみると、それは汁を吸っていて、だいぶ重さがある。熱そうなので息を吹きかけて食べてみる。

 噛むと汁が溢れる。熱い。でも、不思議な美味しさがある。香ばしいような香りも独特で、食欲をそそる。

 蕎麦をすすっていると、不意に店主が声をかけてきた。

「賭け事をする気がないなら、列車にいたほうがいいぞ」

 思わず顔を上げると、店主は不敵と言ってもいい笑みを浮かべていた。

「ここにいる奴らはなんでも賭け事にするからな。あんたみたいな旅行者は一人残らず、カモにされる」

 わかりました、と素直に頷けたのは、店主の真摯さのようなものが感じ取れたからだ。

 蕎麦の上に乗っているものが何だったのか、訊ねても良さそうな気はしたけど、それさえも賭け事の対象にされてはたまらないので、僕は黙って食べ終えた。

「ごちそうさまでした」

 僕が空の器を返すと、毎度、と店主は笑顔で受け取ってくれた。

 店を出て、ちょっと考えてから、僕は足早にホームに停車中の列車に向かって歩き出した。

 一応、賭けは一勝一敗だから、もういいだろうと思えたし、これくらいの些細な賭けで満足するべきだろうとも思う。賭けは大きくしようとすれば、いくらでも大きくできるものなのだ。

 それと、僕と見知らぬ男性が蕎麦屋から出てくる客で行ったあの賭けは、蕎麦屋の店主が結果をコントロールしてくれたのではないか、という想像もあった。店主が僕を助ける理由は思い浮かばないけど、店主なら容易に結果に介入できた。ちょっと話しかけたりして、客の足を止めるだけで済むのだから。

 店主が短い時間で垣間見せた優しさが、僕の勝手な想像に確信に近いものを与えるけど、真実はわからない。

 それにしても、客全員に蕎麦をおごった男性は、腕相撲で店主に何を賭けさせたんだろう?

 これこそ、知らない方がいいだろう。たぶん。

 賭け事の現場は、遊びで踏み込んでいい場所じゃないな。

 帰って、ゆっくりと部屋で本でも読むとしよう。



(了)

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