筋トレ・シュワルツェネッガー

正妻キドリ

第1話 憧れのシュワちゃん

「…ったく、いきなり筋トレなんか始めやがって。シュワルツェネッガーにでもなろうってのかよ、お前は。」


 朱莉は、部屋で腕立て伏せをしている蒼に向かって、呆れ口調で言った。


「ふっ…!…あぁ。なってみたいもんだね、あんな筋肉モリモリマッチョマンに…。」


 蒼は両腕で上体を支えながら、少し苦しそうにしている。朱莉はそんな自分の彼氏を哀れにしか思えなかった。彼女はベットにちょこんと座り、そこから蒼を見下して言った。


「へっ、蒼みたいなもやし男が、ああなろうと思ったら、何億光年もかかるぜ。それよりジョン・コナーでも見つけて来いよ。たぶん、そっちの方が現実的だ。」


「…ふっ!…それじゃあ機械だろ?…俺が成りたいのは武装集団を一人で撃退できるような強い人間の男だ。…ふっ!子守りロボットにはなりたくないよ。」


「なりたくてもなれねぇよ、力不足だ。蒼がなれるとしたら、T-800じゃなくて、いいとこがC-3POとかのヒョロガリロボだ。見つけてくるのはジョンじゃなくて、ルークかアナキンに変更だな。」


 朱莉の発言を無視して、蒼はひたすらに腕立て伏せを続けていた。


 朱莉には、それがとても面白くなかった。


 いつもなら、朱莉に構ってもらおうと、蒼の方から身を寄せてくるのだが、彼は何かに没頭してしまうと、途端にそれ以外のものを遮断してしまう。


 今の蒼には、自分の筋肉以外のものが見えていないのだ。


「大体、なんで急に自分の筋肉が可愛くなりだしたんだよ?大胸筋に惚れ薬でも盛られたのか?」


「…いいや。大胸筋とお茶した覚えはないな。」


「うるせーよ。じゃあ、なんだって筋トレにハマり出したんだよ、お前は。」


「別にいいだろ、何でも。…ふっ!」


「よかねーよ。蒼がそれに没頭してると…その…。」


「なんだよ?」


「…私が暇になるだろーが。」


 朱莉は照れて蒼から顔を背けた。そして、自分の両足を抱え込んで、少しいじけた様子を蒼に見せた。


 蒼はそんな彼女が可愛く見えたのか、あれだけ没頭していた腕立てを一旦中止し、その場で膝を立てて座った。


「…じゃあ、なんで俺が筋トレしだしたかを教えてやるよ。俺が筋トレを始めた理由、それはな…いつ、異世界転生してもいいようにだ。」


「…はぁ?」


 朱莉は蒼の言っていることの意味が分からず、首を傾げた。そんな彼女を余所に蒼は話を続ける。


「俺は最近、異世界転生もののアニメを見たんだ。神様の手違いで、主人公が2トントラックにダイレクトアタックをかまされる、お決まりのやつさ。そんで、お詫びとして、神様は主人公の能力値を全てマックスにして、異世界に転移させる。そして、全能の神となった主人公が、その世界でメイトリックス並みの無双を繰り広げるわけなんだが…そこで思ったんだよ。」


 蒼は朱莉を指差して、得意げな顔をした。


「もし、死因が神様の手違いじゃなかったら、能力値がそのままの状態で異世界に行くことになるんじゃないかってな。だったら、今のうちに上げれる能力値は上げておいて、いつ転移してもいいようにしておこう。そう思ったから、筋トレを始めたのさ、俺は。」


 そう言って朱莉の目を真っ直ぐ見つめる蒼の目は純粋さに満ち溢れていた。


 朱莉は、今までの人生で一番大きいと言っても過言ではないくらいの、大きな溜め息を吐いた。そして、強い口調で彼に大声で言った。


「お前は馬鹿か!?あんなもん間に受けてんじゃねぇよ!小学生だって分別ついてるわ!それをなんだ、いい歳した大人が!ピーターパン症候群かよ!ドラゴンクエスト・ユアストーリーかよっ!プリキュアおじさんかよーっ!!」


「うるさいなー。死後のことはわかんないだろ?神様がいないって証明できるか?人生は何があるかわかんない。だったら、死後のことなんて、もっとわからないじゃないか。」


「あー、馬鹿馬鹿し。我ながら、蒼と付き合ってる自分が哀れに思えてくるわ。何が悲しくて、自分の彼氏に『お前は馬鹿か!』とツッコまなくちゃいけないんだよ。私をあんまり出川の哲っちゃんみたいにさせるな。お前は彼氏から彼ピに降格だ。」


 朱莉は腕組みをしてプイッと明後日の方向を向いてしまった。


 蒼はそんな彼女を見て、苦笑いを浮かべた後、再び腕立て伏せを始めた。


 しかし、蒼は腕立て伏せをしながら、また彼女に語りかけた。


「…っと、それが99%くらいで、残りの1%は…ふっ!この前、ベロベロに酔い潰れた朱莉をおんぶした時に気づいたんだ。これじゃあ、何かあった時に守れないなって。」


「えっ?」


 朱莉は蒼の方に視線を戻した。


「俺は朱莉をおんぶした時、のそのそと歩くのが精一杯で、ろくに動けなかった。朱莉は別に太ってない。むしろ、女子の平均より若干痩せてるくらいだ。なら、これから一緒に暮らしてく上で、俺がもやし男でいるわけにはいかないって思ったのさ。」


 彼の言葉を聞いた朱莉は、呆れた口調で返した。


「…守るってなんだよ?こんなゴキブリが1匹出たくらいで大騒ぎする人達ばっかの国で、私を守る機会なんてあるか?あくまで、肉体で。」


「言ったろ?人生は何があるかわからないって。災害に遭うかもしれないし、暴漢に襲われるかもしれない。そうでなくても、この前みたいに朱莉が外で酔い潰れたりしたら、家まで運んでやらなくちゃだろ?その為に鍛えるのさ、俺は。」


 蒼は必要だと思ったことは一生懸命やる男だ。


 朱莉と海外旅行に行きたいからと、ネイティブと自然に会話できる程度の英語力を身につけたり、見せたい景色があるからと、大型二輪の免許を取ったり、はたまた、朱莉の誕生日に、彼女が大好きなアニソンのアコースティックアレンジを披露する為に、編曲と演奏の技術を身につけたこともあった。


 彼がそれらに没頭し、周りのものを遮断する度に、朱莉は頬を膨らませることになる。なぜなら、朱莉はそんなサプライズよりも、蒼が自分に戯れついてきてくれる方が嬉しいからだ。


 とはいえ、朱莉は、蒼のその自分に尽くしてくれる姿勢に惚れている。だから、物事を始めた理由に自分を絡められると、つい見逃してしまうのだ。


「…フフッ!」


 朱莉は少しだけ笑った。


「なるほどねぇ。なかなか舌が回るな、蒼。ふん、合格だよ。お前は、今、朱莉検定3級を取得した。」


「なんだ、そのクソ恥ずかしい言い回し。昔の少女漫画かよ。」


「うっせー!悪態ついてる暇があったら腕を動かしな!シュワちゃんになりたいんだろ?だったら、私がトレーナーになってやるよ!今から、私のことは丹下段平と呼びな、矢吹ジョー!ほら、まずは私を背中に乗せて、腕立て伏せ100万回だ!」


「えっ?ちょ、ちょっと待て、朱莉!お前を背中に乗せて腕立てなんて、俺には…ぐわぁ!」


 嬉しそうに背中に乗ってきた朱莉。


 蒼はその体重に耐えきれず、踏まれたカエルのように地面にへばりついた。

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筋トレ・シュワルツェネッガー 正妻キドリ @prprperetto

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